回転戯曲

「――十番隊、第二十一席、柚木橙子、であってますよね?」
「はい」
「それが何故、五番隊の部屋に居るんです?」

 もっともな質問を彼女、五番隊副隊長である雛森桃は、書類と私を見比べて、顔は困惑しているものの、快活な調子で聞いた。

 そう。
 私は護廷十三隊の一つ、十番隊の第二十一席の一人として名を連ねる、柚木橙子本人である事には間違いが無い。
 私は内心、五番隊の隊長室に雛森副隊長の姿がある事に動揺していたが、外面では冷静を装う。
「書類を……、届けに来たんです。日番谷隊長から、藍染隊長あてへの」
 私が書類の入った茶封筒を雛森副隊長に差し出す。
「シロちゃんから? ……それなら、シロちゃんか乱菊さんが持ってくるものだけれど」
 雛森副隊長はまだ疑いの眼差しを私に向けながら、私から雛森副隊長がその封筒を受け取った。
「確かに、受け取りました。あとで藍染隊長に渡しておきます」
「あの、藍染隊長はどちらに」
「……私用で出かけていますが、藍染隊長に何か用事でも? 藍染隊長に用事があるなら、私から言付けておきますが」
「いえ、大した用事ではないのでいいです。失礼しました」
 私は雛森副隊長に一礼して、部屋を出ようとした所、で。

「――おや、柚木君じゃないか。何の用事だね?」

 眼鏡を人差し指で押す仕草をして、五番隊の隊長でもある彼、藍染惣右介隊長は実に楽しそうな目で私を見下ろした。


「私は、あなたの言う時間通りに隊長室に来たつもりなんですけどねえ? 何であの子が居るんです」

 こめかみを指で押さえながら、私は目の前に居る藍染隊長を睨み付ける。
 因みに雛森桃副隊長は、藍染隊長が無意味な用事を作って彼女を外に追い出してしまった。お陰で外出する際の雛森副隊長の私に対する視線が恐かったのは気のせいか。気のせいだろう、きっと。
 私が藍染隊長の呼び出しを受けて隊長室に行ってみれば、何故か雛森副隊長が入って来たので私はその件を藍染隊長に問い質している。
 私の問いに、藍染隊長は涼しい顔をして言った。
「一度、雛森君を柚木君と会わせてみたかったものだから」
「どうして、そんな真似を」
 十番隊の私と、五番隊の彼女と。あるいは十番隊二十一席の私と、五番隊副隊長の彼女とでは実力に置いても地位に置いても雲泥の差があり、普通であれば副隊長との謁見も叶わないはずで、それを裏付けるよう、今日の今まで、私と雛森副隊長とでは何の接点も無かった。
 それが。

 それがこの男の――相も変わらず何を考えているのか読めない笑顔を浮かべている藍染隊長のせいで、私の全てを覆されるまでは。

 藍染隊長は眼鏡を拭きながら私に聞いた。
「柚木君――君は、雛森君をどう思う?」
「……それは、あの若さで副隊長に抜擢されるくらいですから、術の使い方もかなりの上級者でさぞかし優秀な子なんでしょう? ギリギリで入隊できた私と違って、あなたの手元に置くべき子である……と、私に彼女を評価してもらいたいんでしょう?」
 私はそう言い切って、藍染隊長から顔を逸らした。
 それは卑屈な言い方だったけれども、私の心境からすれば仕方の無い話で。

「橙子」

 ……彼に名前を呼ばれたくらいで振り向いたら負けだ、と思った。
 不意に、藍染隊長がくすくす笑う声が私の耳にも聞こえてきた。
「まさか、君がそう素直に引っかかってくれるとは思わなかったよ」
 はい?
 私は藍染隊長の言葉に振り向きそうになったが、振り向かなかった。私は十番隊の中でも忍耐強さだけは定評がある。
 けれども。
「雛森君と会わせたのは、橙子の妬いた顔を見たかっただけだ」
「……ッ!」
 耐え切れず、私は藍染隊長に振り返った。
 すると、いつのまにか藍染隊長の顔が間近にあった。いつのまにか私の腰に藍染隊長の腕が回されている。
「橙子」
「……」
 私は遠慮がちに彼の背中に自分の腕を回した。
 そして。
 私が背伸びして顔を上げ藍染隊長の顔に近付き、藍染隊長は見下ろすように私の顔に近付き、互いの唇が近付いた瞬間――。

「藍染隊長、先刻、うちの部下が寄越した書類に不備があって――」

 バサバサ、と。
 彼女が抱えていたであろう茶封筒から書類の束が落ちる音が自分の耳にやけに大きく聞こえた。
 藍染隊長は常に冷静な態度であったけれども、私は違っていた。
 何故なら、その場に居たのは。

「柚木、あんた!」

 よりにもよって十番隊、松本乱菊副隊長、その人であった。
 松本副隊長は私と藍染隊長が抱き合っているのを見て、呆然としたあとで、思い切りにやけた。
 ヤバイ。
「ま、松本副隊長、これはですね」
「はっはーん、なるほどねえ。藍染隊長が私達ではなくて、あんたばっかりを指名してくるものだから、おかしいとは思ってたのよ」
「その、誤解で」
「……、誤解なら、何でいつまでも藍染隊長にしがみついてるのよ?」
「え、あ」
 床に散らばった書類を集め終わった松本副隊長に指摘されて始めて、私は藍染隊長とまだ抱き合っているのに気付いた。
 上では藍染隊長が私から顔を逸らし口元に手をあてて、くつくつと笑っているではないか。
 私は藍染隊長の態度と、松本副隊長に言われて、みるみる顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。
「うふふ、そう心配しなくてもいいわ。私は二人の関係を余所には漏らさないわよ」
「ほ、本当ですか」
「――女性死神協会の幹部の皆以外はね」
 ニィ、と意地悪そうな笑みを浮かべて松本副隊長は私に向かって言った。
 私の顔が瞬時に青ざめる。
「そ、それが一番ヤバイですって! 彼女達に知られたら、遅くても明日にはもう、十三隊中に私達の噂が広まってますよ!」
「いやあ、今夜の酒の席が楽しみだわ。あ、藍染隊長、不備の書類はまたあとで柚木に持たせますんで、それでは続きをごゆっくりどうぞ!」
「松本副隊長!」
 私の話を無視して松本副隊長はそれはもう嬉しそうに、それこそスキップしそうな勢いで、しかもご丁寧に瞬歩まで使って五番隊の隊長室を出て行ってしまった。
「あ……」
 風のように立ち去った松本副隊長を追いかける気力も無く、私は呆然と立ち尽くす。
「ああ……人生終わった……」
「それは大袈裟じゃないか」
「あ、あなたは良いかもしれないけど、私の立場がヤバイんですって! 松本副隊長に知られたら、十三隊の上から底まで知れ渡りますよ!」
「……僕としては、願ってもみない事だけどね」
 え。
 私は藍染隊長を見上げる。
「僕と柚木君の関係を皆に知られるには、良い機会じゃあないか」
「……で、でも、隊長のあなたと、二十一席の私では、身分の差が」
「それがどうした? 僕は独身で、君も独身ならば、何の問題も無いだろう?」
「……そうだけどでも」
 さらりとそれを言い切った藍染隊長を前にして、私はまだ迷っている。
「橙子」
「わ」
 私の体は、あっさりと藍染隊長に捕まってしまう。
「皆に橙子と僕との関係を隠すのはもう終わりにしよう。公にした方が、人目を気にせず君とこうしていちゃつけると思わないか?」
「……、私としては皆の前であなたといちゃつきたくはないんですが」
 私は自分の言葉とは裏腹に、藍染隊長の胸に顔をうずめる。
「橙子」
「何です」
「松本君の好意に甘えて、さっきの続きをやらないか?」
「……全く」
 見上げれば相変わらずの読めない笑顔を浮かべた藍染隊長の顔があり、私は呆れながらもそれに応じるよう、目を閉じた。

 ――ああ、私があなたの首を狙っているのも知らないで。


 それでも藍染隊長は私に酔い痴れて、私もまた藍染隊長に溺れてしまうのだった。