満天の星が瞬く夜空に、月が輝いている。
九番隊、第二十席の一人である相原美幸は、現世にある民家の屋根の上で呆然と月を眺めていた。
「美幸」
美幸が眺めていた夜空から姿を見せたのは、九番隊、副隊長、檜左木修兵である。
美幸は修兵を認めて一言。
「月が見えません」
美幸のその発言に修兵は息を吐いて、修兵は瞬歩で美幸の隣に陣取る。
「それ、折角、お前を迎えに来た上司に向かっての台詞か」
「……私のような末端の第二十席を迎えに来る上司は、護廷十三隊の中では珍しいと思いますけど」
「お前はその意味を、知ってるんじゃないのか」
「……」
修兵の言葉に、美幸は黙り込む。
そう。美幸は知っている。十席より更に下位の位に居る二十席の美幸を、副隊長である修兵が迎えに来る事自体、異例だという事を。九番隊でも十一席以降は、その他大勢と変わらない位置に居る美幸を修兵が率先して、迎えに行くという事は何を意味するのか。
「月が綺麗ですね」
「美幸」
話題を変えようとする美幸を、修兵は抱き締める。
修兵は、美幸の視界から月を遮り、代わりに自分の顔をその目に焼き付けさせる。
「……だから、私は月を見にここまで来たんですけど」
「向こうでも、月は見える」
「私は、こちらの月が好きで」
美幸の言葉を遮るように、修兵は彼女の背に回していた手の力を強めた。
「戻るのが遅いから、心配した」
「……」
修兵が震えているのが、美幸にも伝わる。
修兵は美幸が虚にやられたのではないかと危惧し、それが現実になったのではないかと恐れていた。
美幸は今、現世において、居座っている地区を担当している。
美幸のような下っ端の隊員達の役目は、もっぱら担当地区の見回りである。見回りの最中に虚が出現すれば真っ先に位の高い上司に伝達し、その場で待機するのが常であった。下手に虚に手を出せば、いつ、自分の命を落とすか分からないからだ。美幸も自分の力量くらい、理解している。
しかし、運悪く虚に見付かり、やられてしまった場合。死神の代わり等、幾らでも居るので新しい人材を補充して終わりである。
美幸もその例に漏れず、今夜もいつものように担当地区の見回りをすませ、時間内に九番隊の隊室までまで戻り、修兵に報告して一日を終えるつもりだった。
その美幸を現世へ引き止めたもの、それは。
「余りにも月が綺麗で、見惚れていたんです」
美幸は震える修兵を落ち着かせるように、優しい声で言った。
修兵は顔を上げて、美幸と同じように月を仰ぐ。
「……ああ、本当だな」
「現世の月を見ていると、癒されるんですよね」
美幸の明るい言葉に、修兵は息を吐く。
「月もいいが、それで遅くなるなら俺に連絡を入れてくれ。お前と付き合ってると、心臓が幾つあっても足りない」
「……今度から、そうします」
修兵から心底心配されていたのだと知った美幸は、これほど幸せな事は無い、と思った。
だから美幸は、修兵にだけ秘密を漏らした。
「この場所は、私のお気に入りなんです。私以外の隊員は、知らない場所です。今の所、檜左木さんにしか見付かっていません」
「……そうか」
美幸の告白に、修兵は、ようやく彼女の視界に自分が入れたと思うと、月に嫉妬しなくてすみそうだ。修兵はそれだけで、美幸の視界を独占していた月に激昂していた気持ちが次第に冷静さを取り戻して行くのを感じた。
もしこのまま美幸が自分より、月に心を奪われたままだったら。修兵は自分の思考が余りにも幼稚だった事に、人知れず自嘲する。
「よく、私の場所が分かりましたね」
「……上司が部下の霊圧を把握しないで、どうする」
不思議そうに首を傾げる美幸に、修兵は肩を竦ませ苦笑した。
「さて。いつまでもこうしている訳にもいかないからな、そろそろ戻るぞ」
修兵が美幸の手を取る。
「えー、もう少し、月を眺めていたいんですけど」
「早く戻らないと、東仙隊長に、あの目で見下されるぞ」
「うわ、それだけは勘弁してもらいたいです」
「だろう?」
東仙の名を出しただけで慌てる美幸に、修兵は声を立てて笑う。
修兵と美幸が連れ立って、現世から姿を消した。
闇の中で光り輝く月だけが、その事実を知っている。