清清しい朝、廊下で悲鳴がこだましている。
その悲鳴の主と、原因は僕も分かっていた。
「お帰り、ご苦労さん」
「うん。ただいま」
教室に戻って来た彼女、坂上智代を僕は出迎えて、ねぎらいの言葉をかける。
坂上智代。腰まで届く長くて綺麗な髪。細身で出る所は出ている身体。女の子らしい外見とは裏腹に、以前、バイクでグラウンドに入り込んできた他校の不良達を一人で一網打尽にしたという、とんでもない力の持ち主でもあった。
坂上はその、不良達を女の手であっさりと倒した所を上級生の問題児二人に目撃され、おまけに目を付けられ、休み時間になれば絡まれる、という事を最近、繰り返していた。
悲鳴の主は三年の問題児の一人、金髪の春原陽平である。奴は坂上に勝負を挑み、抵抗も虚しく呆気無く吹き飛ばされたのだ。
もう一人の問題児、煙草を吸わない不良、岡崎朋也。彼は春原と違い、傍観者として坂上と春原の喧嘩を面白そうに見ているだけで害は無かった。
ただ、坂上に喧嘩を吹っかけて自滅する春原より、傍観者で居る岡崎の方がよっぽどか危険人物であると、僕は見ている。
「大丈夫か」
「ああ、心配要らない。大丈夫だ」
僕の心配を余所に、坂上は嬉しそうに奴等に付き合っている事が、明らかで。
だから僕は。
「あんまりさ、あいつらに付き合わない方が良いんじゃないか。ほら、生徒会の選挙も近いだろう」
坂上は元、伝説の不良だという噂があるくらいで、その嫌な噂は彼女が目指しているという生徒会の選挙活動に十分、影響を与えるものだった。放っておくのも一つの手だが、噂が一人歩きして、嫌な方向へ進んでいくのだけは勘弁して欲しかった。
春原と岡崎のせいで、坂上が選挙で落選、というのはどうしても避けたかった。
何を隠そう、僕も坂上が生徒会長になる事を望んでいる一人だから。
「いや。あいつらはあれで、面白い。上級生である、という事を除けば良い奴等だ」
僕は坂上の話を聞いて、唇を噛み締める。
ああ。
僕は分かっている。坂上があの岡崎朋也に惚れているという事を。
だって、彼等が来た時の坂上の顔は、嬉しさを通り超えて頬を紅潮させ、それが興奮しているように思えたから。
僕は。
僕は坂上智代が好きだった。それは、友達としてではなく恋愛対象として。
坂上がこのクラスに編入生として現れた時から、ずっと。
坂上は日に日に岡崎達と話すのが楽しくてしょうがない、という話を僕達の前でも始めた。その時の坂上の顔はとても、綺麗で。岡崎も坂上と居るのが満更でも無さそうで、二人が付き合うのも時間の問題だ、という声も聞こえて来た。
そんな状況の中で僕は決心する。
坂上に愛の告白をしようと。
生徒会の選挙戦も近い。坂上が生徒会に当確でもすれば、彼女と一緒に笑っていられる時間も少なくなる。
だから僕は放課後、坂上が一人で居る所を狙って告白する事にした。
そして――。
放課後、僕は見てしまった。
誰も居ない教室で、岡崎と坂上が抱き合ってキスをしている所を。
僕は居たたまれなくなって、その場で逃げ出した。
ああ。
そういう、事か。
坂上は、幸せだったんだ。だから、岡崎の話をする時の坂上の顔は綺麗だったんだ。
ははは。
笑いが込み上げてくる。
僕はそれからひとしきり笑った後、学校を出ようとした。
と。
「おい、今から帰りか」
校門付近で僕に声をかけて来たのは、坂上だった。
坂上の隣には、当然のように岡崎の姿もあった。
「私の友人だ」
坂上は怪訝な顔をする岡崎にそう断って、僕に近付く。
岡崎が僕を睨んでいる。僕も岡崎を睨みたい気分だったが、彼が上級生であると考慮して出来なかった。
「丁度良かった、選挙の演説の話なんだが……」
坂上は何でも無い風に僕に話しかける。
「――悪いけど、今日はこれから用事があるんだ。それに遅れる訳にはいかないから、僕は君の話に付き合っている暇が無い」
「おい、そんな言い方は無いだろう」
僕の話を聞いて、岡崎が一歩前に出る。
「話くらい、聞いてやったらどうだ」
岡崎が僕と坂上を引き合わせる。
ああ、こういう奴だと分かって坂上も岡崎を好きになったのか。
だから僕は。
「僕は、二人の邪魔をする気は無いからね。それじゃあ」
それは、僕が岡崎へのせめてもの抵抗と反抗だった。
僕の言葉を聞いて岡崎と坂上が呆気に取られている。多分、二人の中では自分達が付き合っているのを、周囲には秘密にしていたんだろう。
これで、僕の方が一本取れたかな。
僕は二人に背を向けると、彼等にばれないように笑みを浮かべる。
明日、教室で坂上と会ったら彼女は、どんな顔をするだろうか?
僕は明日、坂上に会った途端「おめでとう」と言ってやるつもりだ。
そうすれば明日が少しだけ、楽しめるから。