真夜中。
バルフレアは飛空艇のラウンジで、彼女――アスカが座っているのを発見した。
「アスカ、此処に居たのか」
「あら、起きてたの?」
「起きたら隣に居ないから、何処に行ったのかと思って……」
「そう」
少し焦った様子のバルフレアと違って、アスカは落ち着いた様子だった。
バルフレアは、アスカが持っているカップに注目する。
「それ、温めたミルクか」
「うん。ちょっと、目が冴えちゃってね。これ飲んだら寝ようと思ってたのよ」
「……そうか、それなら良かった」
ふう。バルフレアは溜息を一つ吐いて、遠慮無く、アスカの横に座った。
アスカはバルフレアの様子を見て、聞いた。
「それでバルフレアが落ち着かない理由は、私があなたに黙って帰ったかと思ったから?」
「……」
アスカは冗談っぽく笑うが、バルフレアは笑えずにその質問に答えない代わり、空いている彼女の手を握った。
アスカはバルフレアを振り払わず受け入れ、彼を諭すように話した。
「……飛行中の飛空艇に居るのに、どうやって地上まで帰れる? 私が自動操縦から手動操縦に切り替える方法も知らないし、飛空艇を操縦出来ないの知ってるでしょ」
「そうだな。でも、異世界から来たアスカなら、それも可能かもしれない」
バルフレアはアスカの手を離した後、改めて彼女を見詰める。
アスカ。黒い髪に黒い瞳、白い肌、十八歳だというわりに子供っぽい体と顔つきはダルマスカでも帝国でも見ない風貌だ。
アスカいわく、日本は東京という巨大都市から来たという。しかしアスカは、帝国の方が東京よりはるかに巨大都市で驚いたと話した。
アスカは、イヴァリースより外の世界――異世界から来た。そんな話は空賊のバルフレアでも、アスカに出会うまで、聞いた事がなかった。
「異世界から来たアスカは、俺が知らない力を持っているかもしれないとは考えた事が何度かあった」
「そんな、私は異世界から来たという事情が無ければ、パンネロと同じで、普通の女の子に変わりないわ」
アスカは「異世界から来た」というだけで特別な力を持っているのではないかと探るバルフレアに、苦笑する。
「……パンネロもなんだかんだで俺達について来ているぶん、普通の女の子という部分に疑問を持つが。パンネロはそもそも、あのヴァンにくっついていけるだけでも、普通じゃないよな」
「あはは、それもそうね」
パンネロは普通の女の子ではあるが、あのヴァンにくっついているだけでも、凄い話だ。アスカはバルフレアのそれを聞いて、遠慮無く笑った。
そして。
「私の場合、ヴァンと離れたくなくて帝国までくっついてきたパンネロみたいに、バルフレアについていけなくて、帝国に残っていたからね。そのぶん私が、普通の女の子だってのが分かるんじゃない?」
「……まあ、そうだな」
アスカはヴァンにくっついて旅を続けるパンネロのようにはなれなかったと自虐的に笑う。バルフレアもアスカの事情を知っていたが、同じように笑えなかった。
そしてアスカは、バルフレアの前で、遠慮無く『彼』の名前を出した。
「それから私は帝国に残っていても一応、バルフレアの父親であるシドさんのせいでこの世界に召喚されてきて、その責任を取る形で援助を受けていたから、路頭に迷う事がなくて良かったけど」
「……」
アスカが日本の東京からこのイヴァリースに召喚される、その原因を作ったのが、自分の父親であるドクター・シドであったのは、バルフレアも知っている事だ。
ドクター・シドが破魔石に関する実験中に何かの間違いでアスカを召喚したらしく、血相を変えて「この泣きわめく娘をどうにかしろ!」と自分に押し付けてきたのは、いつだったか。
シドは多分、兄弟の中でも女の扱いに慣れていた自分に白羽の矢を立てたのだろう。バルフレアも「おうちに帰りたい」と泣きわめく女を世話するのは勘弁してもらいたかったが、アスカの住んでいた世界の話を聞くうちにそれに興味を抱き、イヴァリースについて何の知識も常識も無かった彼女を不憫に思い、結局、自分の家に住まわせる事にした。
シドの方はアスカを一時的にバルフレアに預けて、それ以降は、魔石に関する研究に没頭していった。
その間、バルフレアが帝国の家でアスカと一緒に暮らしていたのは、半年だけ。一年は経っていない。
それはバルフレアがシドともめて、家を出て行ったせいだ。
アスカはバルフレアが家を出て行くと言って本当に行ってしまった日の事を、今でもよく覚えている。
「それにシドさんより、バルフレアの方が、酷いわよね。私を置いて帝国を出て行って何をやっていたかと思えば、空賊になってたなんてね。しかも、ヴィエラの中でも一番美人のフランさんを従えてね」
「……」
「私の方はシドさんの援助で帝国で余裕で暮らせるだけの家と生活費を与えられても、見知らぬ世界の見知らぬ土地で一人で暮らすには厳しかったわね。誰かさんはその間、空賊になって、私の知らない女と楽しくやってたのよね。一番驚いたのは、ダルマスカの王女様までたらしこんでた事かな」
「……空賊の間に親しくなった女は、フランだけだ。フラン以外の女とは付き合っていない」
「どうだか」
「アスカ」
バルフレアはいまだにあの日の事を根に持っているアスカに顔をそむかれて、焦る。
「俺は一応、アスカも一緒に行かないかと、声をかけた」
「……そうね。でも私は帝国よりほかの見知らぬ世界に出るほどの勇気はなかったし、武器も魔法の扱い方も知らなかったから、それを断った」
これは本当の話で、異世界に召喚されるも何の力も与えられず、普通の女子高生のままのアスカは、パンネロのよう、外の世界に飛び出す勇気も度胸も無かったのである。
アスカはしかし、バルフレアについていけなかった力の無い自分に対して悔しい思いはあったけれど、それをバルフレア本人に対しては恨む事はなくて、むしろ感謝している。
「私ね、バルフレアが居ない間にこの世界――イヴァリースについて勉強してたよ。そのおかげで読み書きくらいは出来るようになったし、魔法とか武器の扱いも少し詳しくなって、あの研究所でシドさんの助手としての仕事も始めて、少しは稼げるようになってたんだから。それを考えれば、バルフレアと離れて良かったのよ」
「……ああ。帝国でアスカと再会した時、お前が親父の助手として研究所で働いていたとは知らなかった。あのヴェインも親父と同じで、お前の言う事はちゃんと聞いていたらしいからな」
バルフレアは、帝国でアスカと再会した時、彼女がシドの助手としてドラクロア研究所で働いていたとは、夢にも思わなかった。おまけにあのヴェインも、アスカに一目置いていたと、後で知った事だ。
「それを知った俺が一緒に研究所を出ようと言ってもアスカは、ずっと、親父の傍についていたな。俺はアスカが親父に洗脳されて良いように扱われて最悪な事を想像していたが、フランだけではなくて、アーシェやバッシュからその傾向は見られないと、逆に説得される始末だった」
バルフレアは当時の自分の混乱状態を思い出して、苦笑する。
「私も、私の事で、あんなに冷静さを失ったバルフレア、見た事がなかった。いつも堂々として、格好良かったのにね」
「……」
「でもそこで、バルフレアから『親父から、お前を盗んでやる!』って、とても空賊らしい愛の告白を聞けたから良かった。私がシドさんから離れてこの飛空艇に居るのも、そのせいだし」
「……それはもう、忘れてくれ」
「あら。そんなの、忘れられないわ。大事な思い出よ」
「……」
アスカはくすくす笑うも、バルフレアは笑えなかった。それは今でもヴァン達の間で、酒の肴にされているせいだ。
バルフレアからすればその話は頭痛の原因にもなるが。
「私の方はシドさんの異変を感じていたのにその暴走を止められなくて、バルフレアにつらい思いをさせてしまった。それだけ、後悔している」
「アスカ……」
アスカの優しい思いがバルフレアにも伝わり、頭痛はすぐに治まった。
バルフレアはアスカに、ある告白をしようと決意する。
「……俺が家を出て空賊になる決心をしたの、アスカのせいだって分かってたか」
「え、それ、初耳なんだけど。どうして私のせいで空賊になったの?」
「俺はどうにかして親父の決められた道から外れて、たった一人で、アスカを養うだけの経済力を手に入れたかったんだ。俺は、親父の援助のおかげでアスカと暮らせているなんて思いたくなかった。……結局、親父のおかげでこうやってアスカと暮らせているのは皮肉な話だがな」
「……そうだったの。でもその説明だと、研究所で再会する前から、私を好きだったって事になるんだけど?」
「ああ、そうだ。それは否定しない」
「え、否定しないの?」
アスカはバルフレアが否定しなかった事に、目を見張った。
バルフレアはアスカに構わず、続ける。
「最初は異世界から来たというだけでアスカに興味を持ったが、親父にアスカを押し付けられて一緒に生活しているうちにアスカのその優しさに惹かれて、好意を持つようになった。アスカは俺に言い寄って来る女とは全然違うタイプで、新鮮だったのもあるかもしれない。でもアスカは俺と暮らしていた時も、俺より、自分を召喚した親父を気にしていた。俺はそれが、悔しかったんだ」
「……」
「今は、自分の力でアスカを手に入れているし、お前と一緒に暮らせるだけの余裕も出来た。このお宝だけは、もう、手放すものか。……もし、アスカが元の世界に帰る方法が見付かって、そこに帰りたいとわめいても離さないから、そのつもりで」
「バルフレア……」
バルフレアは話しているうち、もう一度、アスカの手を握った。今度は強く、離さないように。
そのバルフレアの強い想いを知ったアスカは。
「……あのシドさんもヴェインも、私を元の世界に帰す方法が分からなかったのよ。それで今になって、元の世界に帰れる方法が見付かると思う?」
「それは、分からない。ダルマスカの王宮に戻ったアーシェや、ドラクロア研究所を引き継いだラーサーの協力があれば、アスカが元の世界に帰る方法が見付かる可能性はある。それから空賊になって世界を飛び回っているヴァンとパンネロにも、アスカの世界について何かの情報が見付かれば連絡を寄越せと伝えてある。それにアスカも、元の世界に未練があるんじゃないのか」
「……そうね。私は、元の世界に未練はもう無いとは言い切れないし、帰れる方法が見付かる可能性があるならそれにすがるかもしれないけど、でも、それが見付かるまではバルフレアの元から離れない、離れたくないと思ってる」
「アスカ……」
自然と二人は見詰めあって、そして。
「……なあ、アスカがその温かいミルクを飲んでるのは眠るためだったか」
「……そうだけど、何?」
「このまま俺と居るつもりなら朝まで眠れなくなるが、どうする」
「ここでそれを断る女なら、今までバルフレアと付き合ってないわよ」
「それもそうだな」
バルフレアはアスカのそれに笑って、彼女に手を差し出した。アスカも笑ってバルフレアの手を受け取って、その甘い誘惑に乗った。
アスカはバルフレアのぬくもりを感じる中で、いつか必ず、元の世界に帰る時が来るだろうとは確信を持っていた。それは、バルフレアも同じかもしれないという事も。
それまでは、どうか。
どうか、この幸せを壊さないように。
アスカはそれを強く願って、バルフレアに応えるように、目を閉じた。