北風と太陽

 風雷の郷は、今日も平和だ。

 彼女――フィオナは、ゲンジが暮らす庵の縁側で彼と茶を飲み、そこから雲一つ無い青い空を見て思った。

 フィオナが空を見た後に湯のみを片手につまようじを持って小皿に置かれた饅頭をつつこうとした時。
「あ、もう、お饅頭がない。ゲンジ爺さんが食べた?」
「いや。フィオナが全部食べたんじゃ」
「えー、そうだっけ?」
「わしはちゃんと見ておったわい。それに、わしは一口も食べておらんよ」
「……お饅頭、もうないの?」
「甘いものばかり食べていると、太るぞ」
「むー……」
 物欲しそうな目で見るフィオナに構わず、ゲンジは自身の茶をすする。
「わし特製のお茶なら、いくらでもやるがの」
「じゃあ、それもう一杯頂戴」
「熱いから、気をつけてくれ」
「……ありがとう」
 熱くて苦いけど、美味しい。フィオナは、この郷に来てゲンジの所に世話になるまで緑茶という飲み物を飲んだ事がなかったけれども、今ではすっかりそれのトリコである。
 フィオナの今の楽しみは、昼下がりの午後、ゲンジとこうやってお茶を楽しむ事だった。

 フィオナ。くせっ毛が強く、そのせいで爆発を受けたかのように横に広がる蜜色の髪を持ち、運動が苦手なせいで日に当たらずに過ごしてきたので肌は白く、青い瞳を持った女の子。因みに、くせ毛は天然である。島に来る前はその頭を隠すよう、三つ編みに結ったりお団子にしていたりしたが、此処ではおおっぴらにその頭をさらけ出していた。本来はフリルをいっぱい使ったドレスが好きで、トランクにもそれらのドレスを詰め込んでいたがこの島に来た今ではそれらを自重するようにシルターンの郷にならってそこで支給された赤い着物を着ている。

 フィオナはゲンジの庵で、ゲンジと共に暮らしていた。フィオナがゲンジと暮らしていけるのは、この風雷の郷を仕切る鬼姫――ミスミの手配によるものである。ミスミはフィオナの恩人であるため、この郷で平和に暮らそうと思えば、彼女に逆らう事は出来ない。そしてミスミに紹介してもらった大家のゲンジが良い人だったので、世間知らずなフィオナでも何とか生活出来ている次第である。
 こんな平和がいつまでも続けば良いのになあ、と思う反面、不安な事もある。
 不安、それは、外から来た人間達の事だ。
 フィオナはゲンジにそれとなく探りを入れる。
「外から来た人達、どうしてんのかな? ゲンジ爺さんは、外から来た人達が此処まで来ると思う?」
「さあ、それは、此処を仕切っている鬼姫様の判断で決まるからの。鬼姫様が海賊なんぞ、集落に入れるものではないと判断すれば、彼らも此処までは来れんよ」
「そうよね。ミスミ様は、海賊なんて野蛮な人達をこの郷に入れるわけがないわ」
 うん。それなら安心だ。フィオナはゲンジからその話を聞いた後に、ほっと一息ついて、茶をすすった。
「しかし、鬼姫様から面白い話を聞いているんじゃが」
「面白い話? 何、何?」
 フィオナは好奇心で、ゲンジに擦り寄る。
「海賊一味の中に、学校の先生が居るらしい」
「学校の……せんせ? 海賊の中に教育者が居るの? ……そんなの、スバル達からも聞いていないわ」
 野蛮な海賊の中に教育者が居る? フィオナは何度も目を瞬きして、ゲンジを見る。
 ゲンジはフィオナに構わず、笑う。
「海賊と教師なぞ、面白い組み合わせじゃろう。それに鬼姫様も興味を示しおっての。スバルの教育に丁度良いとかでな」
「そんな! スバルの教育係りはいつものように、ゲンジさんで良いじゃない」
「わしの教育は、鬼姫様達からすれば何処かズレているらしくてのぅ。それに、相手は海賊じゃから、わしよりは随分と外の世界も見ているじゃろう。スバル達にも外の世界を見せたい鬼姫様にとっては、海賊の教師となれば良い人材かもしれんなあ」
「……」
 ゲンジはそれに納得しているものの、フィオナはミスミが外の人間を取り込もうとしている事に関して良いとは思わず、かといって自分自身は恩人のミスミに対して反論出来る女ではないと分かっているので、それが悔しくて唇を噛み締める。
 ゲンジは目を細めてフィオナを見据え、言い放った。
「外の人間が来る事に関して、何が嫌なんじゃ。フィオナ――お前さんだって、外から来た人間だろうに」
「……そうだけど」
 その通り。フィオナは、ゲンジのその言葉に否定しなかった。
 フィオナはゲンジに苦笑しつつ、自分の思いを吐き出した。
「でも私は外から来た人達のせいで、私も彼等と外の世界に帰る事になったらと思うのが不安なのよ。私は外の世界を捨てて、此処に居る事を選んでいる。……外の世界への未練なんて、もう、無いと思ってたはずなのにね」
「……そうか」
 これは本当のフィオナの思いだ。その内容に嘘は無い。外の世界に未練は無いと言いつつ、本当は一つだけ未練があった。
 出来るなら、もう一度だけ、一目だけでも良い、あの人の姿を見られたら、本当に外の世界と決別したって良かった。フィオナはその思いだけを、ゲンジに隠している。
 フィオナの本音を聞いたゲンジは、それ以上、追求するのを止めた。
 フィオナもゲンジの優しさに甘えるよう、身を乗り出して、それを聞いた。
「でも、ゲンジ爺さんは、もし外の人が此処に来てスバルの教育を外されても、まだ先生として居るんでしょ?」
「そうなったらワシが、フィオナ専属の教師になるのか」
「ふふ、私がゲンジ爺さんを独り占め出来るのね」
「その代わり、課題は多めになるぞ?」
「えー、それだけは勘弁してー」
 ゲンジはフィオナを本当の孫だと思って可愛がり、フィオナは自分の祖父のようにゲンジを慕い、二人は冗談を言って笑いあう。
 ああ、こんな穏やかな日がいつまでも続けば良いのにな。フィオナは青空の下で、切にそう願った。


 しかし、フィオナの願い叶わず、彼女に転機が訪れたのは翌日の事だった。


「フィオナ。午後に客人が来る事になったんじゃが」
「客人?」

 朝。
 フィオナは食卓でゲンジと二人揃って朝食をとっていると、ゲンジからそう告げられた。
 二人が集う食卓にはゲンジの世界の習慣から、味噌汁、魚は干すか焼いたものに限り、漬物、白い米のご飯といった、和で統一された料理が並ぶ。シルターンでも味噌や醤油を使った料理が一般的のようで、その部分は助かっているとゲンジはフィオナに話している。
 フィオナは此処に来る前は帝国のレストランで食べるようなフルコースを好んでいたが、此処に来てからはこういう料理もすっかり慣れてしまった。郷に入れば郷に従えという言葉に倣ったわけではなく、単純にゲンジの作る料理が美味しいので病み付きになってしまったのが本音である。彼の料理の腕が悪ければ、和の料理は食べられないままだったかもしれない。
 ゲンジが味噌汁に手をつけながら、フィオナに客が来る事になった理由を話した。
「鬼姫様に言われて、客人をもてなす事になっての」
「そう。それじゃあ、いつもみたいに部屋にこもってるよ」
 ミスミの客であれば、ゲンジに用事があるのは分かるが、自分に用事はないだろうしな。フィオナは客が帰るまで部屋にこもる事に決めた。
 いつものゲンジであればフィオナのその態度を別に非難する事もなく、「そうか」と簡単に返事をくれたものだ。
 それなのに。
「いや、今回は、フィオナに此処に居て欲しいんじゃよ」
「え?」
「何でも、外から来た海賊達が、此処を見学したいと申し出たらしくての」
「は?」
 ポロリ。あまりの事に、フィオナの持つ箸から魚の身が落ちた。
「鬼姫様は、わしと、わしの所に居るフィオナも紹介したいと話しておった。だから今日は、フィオナも此処に居て、客人をもてなしてくれんか」
「じ、冗談じゃないわ!」
 フィオナは席を立って肩を震わせながら、声を荒げた。
「わ、私は外の世界の人間――しかも、野蛮な海賊なんかと会うわけがないって、昨日、話したばかりでしょう!」
「鬼姫様の話によれば、島に来た海賊達はどうも海賊らしからぬ人間達ばかりと話しておったよ」
 ゲンジは憤りを隠せないフィオナに、あくまで冷静に対応している。
「そんなはずはないわ。ユクレス村のシアリィちゃんが言うには、果物や作物を奪うような野蛮な人達だって!」
「それは別の海賊じゃな。鬼姫様が言っているのは、つい最近、この島に漂流してきた海賊じゃ。彼等は、帝国軍という村を襲う人間達から、わし達を守ってくれたんじゃ」
「て、帝国軍? 帝国軍ですって!?」
 フィオナはゲンジからとんでもない情報を聞いて、さあっと血の気が引いた。
「帝国軍までも、この島に居るの? 何で?」
「さあ、それは知らんが、何でも、海賊達と一緒に嵐でこの島に漂流したらしいんじゃが……、帝国軍の連中はどうもわし達と共存する気はないようで、話し合いをする間もなく、攻撃を仕掛けてきたらしい。そこを助けてくれたのが例の海賊達というわけじゃ」
「帝国軍が……」
 フィオナは海賊に関してはもう、どうでも良かった。問題は帝国軍である。
「……どうした、帝国軍が居ると都合が悪いのか?」
 ゲンジは、立っていられないほどに腰が抜けて机に手をつき、更に尋常ではないほどの汗を噴出し、顔も真っ青のフィオナを見て、さすがに心配になる。
「……私は、此処を追い出されても良いから、彼等と会いたくない」
「……そうか。それなら、仕方ないのう」
 フィオナがこれでは、それに折れるしかない。ゲンジは息を吐いて、フィオナのそれに了解した。
「鬼姫様には、フィオナと客人の都合がつかなかったと伝えておくわい」
「……ありがとう」
 フィオナはゲンジの返事を聞いて、少し気分を持ち直したので、席についた。
「……ご飯食べ終わったら、部屋にこもってるから。お客さんに、私の事は話さないで。お願い」
「分かった」
 いつもより静かで、居心地の悪い食事を終えたフィオナはその宣言通り、客人はゲンジに任せて、今日一日は自分の部屋にこもっている事にした。



 ――これは、夢?

 海の中、海面まで這い上がろうと、必死にもがいている。
 自分はどうして、海の中で溺れているのだろうか。
 そうだ。
 新しい場所に転居する為に乗っていた大型客船が海賊に狙われ、その時に運悪く展望台に出ていたせいで海に投げ出されてしまった。
 どうやら、大型客船には海賊の目に引くような宝物が積んでいたという。その事実を一般の乗船客が知っているわけがない。
 ああ、だから野蛮な海賊は嫌いなんだ。
 このまま、海で溺死してしまう運命なのか。
 まあ、それはそれで良いかもしれない。新しい場所についても、親が決めた見合い相手が待っている。この縁談が成功しなければ、また、別の場所で別の見合い相手を用意されるだけ。それの繰り返しであるのが分かっているので、このまま海の中で死んでも良いかなと思っていた。

 そんな時、光が見えた。

 太陽みたいな燃える赤い髪を持った人が、私に向けて必死に手を伸ばそうとしてくれていた。
 私もその人に向けて、手を伸ばす。
 それでも互いの手は、寸前の所で離れてしまう。
 その人はまだ必死に手を伸ばしてくれるが、私は力をなくしてその手を掴むのを諦める。
 私の体が海の底へと沈んでいく。
 薄れる意識の中、聞こえたのは――。

 ――フィオナ!


「フィオナ」

 名前を呼ばれた気がして、薄っすらと目を開けた。
「……んー?」
「フィオナ、いい加減に起きとくれ」
 畳の上で横になっていると、いつのまにか眠っていたようだ。フィオナを起こしに来たのは、ゲンジだった。
 フィオナはゲンジに体を揺さぶられて、仕方なくという感じで起き上がる。
「……ふぁ、お客さん、帰った?」
「いや、客はまだ帰っとらんよ」
 まだ寝足りないのか、あくびをするフィオナと、それを呆れた風に見ているゲンジと。

「……そう、それじゃあもう一度寝て――」
「――フィオナ!」

 フィオナがまた横になろうとしたその動きを止めたのは。
 気がつけば、誰かに強く抱き締められていた。

「フィオナ! 君、フィオナだろう! 良かった、生きてた!」
「は、え、な、何が、どうなってる、の」

 フィオナは最初、何が起きているのか分からずにただ、抱き締めている相手――男の成すがままだった。
 と。

「――レックス。彼女と再会出来た嬉しさは分かりますけど、急にそんな風に扱うなんて、非常識ですよ。フィオナも困ってますよ」
「アティ」

 男――レックスは、背後に現れたアティの言葉により、渋々、フィオナから離れる。

「ねえ、本当にレックス先生の話してた女に間違いないの?」
「どうやら、そうみたいですね」
「マジかよ。此処で再会するって、どういう事だ? しっかし、面白い頭してんのな」
「多分、僕達と同じ船に乗っていたらしいから、カイルさん達のせいじゃないかな。でも、フィオナさんの名前、何処かで聞いた覚えがあるような……」

 更にアティの背後では、フィオナの知らない、しかしどことなく品のありそうな四人の子供達が自分についてヒソヒソ言い合っているのが聞こえた。
 フィオナは次第に彼の事を思い出していた。
「レックス、て、あのレックス? 帝国の軍学校で世話になってた……」
「そう、俺だ。良かった、思い出してくれたんだ。それからフィオナ、君、あの客船に乗っていただろう。その船の通路で君を見かけたような気がしてたんだ。それでまさか、海の中で君を見付けるとは思わなかった」
 フィオナはレックスの話を聞いて、夢の内容が事実であった事も思い出した。
「海の中……ああ、あれ、やっぱりレックスだったのね」
「ああ。君も俺だって、気付いてたのか。フィオナは、どうして俺だと気付いたの? 俺は船でもフィオナを見かけていたせいで、フィオナだと気付いたんだけど」
 レックスは軽い調子で、フィオナに聞いた。
 そうレックスに問われたフィオナは彼と同じく軽い感じで、何の気も無しに、言い放った。
「だってあんな太陽みたいな赤い髪を持ってる人なんて、そうそう居ないわ」
「……えーと」
「……」
「あれ? 私、何か間違った事を言った?」
 ん? フィオナは急にレックスを含めて周りの人間達が何処か恥ずかしそうにしているのを見て、首を傾げる。
 此処で四人の子供の一人でも冷静でいられたウィルがおずおずと手をあげて、レックスにフィオナとの関係を問い質した。
「……あの、軍学校でも世話になってたというのは?」
「ああ。フィオナは、俺とアティの後輩になるんだ」
「でもアティ先生は、この女を知らない様子でしたけど?」
「……う」
 ウィルに続いて赤いベレー帽をかぶった女の子――ベルフラウがレックスに質問しつつ、挑戦的な態度でフィオナを見詰める。フィオナは情けなくも、ベルフラウの威嚇を受けて萎縮してしまう。
「俺の知る限りではアティはフィオナを知らない。多分、フィオナもアティを知らない」
「ええ。それは、間違いありません。私はフィオナと此処で初めて会いました。ねえ?」
 アティはフィオナの賛同を得ようと、彼女に目配せをする。
 しかしフィオナは、アティに賛同しかねると首を横に振ってみせた。
「……私は、アティを知ってるわ」
「え、そうなんですか?」
 アティは意外だという風に目を瞬きさせて、フィオナを見る。
 フィオナは指折り数えて、そのわけを話した。
「レックス、アティの姉弟と、アズリア・レヴィノス。この三人は、私の通う軍学校ではとても有名だった。後輩の私達まで、その名声は聞こえていたから」
「それはつまり、アティ先生とは面識ないけど、アティ先生の凄い噂は聞いてたって事ですよね」
「その通り」
 ベルフラウとは違って大人しそうな女の子――アリーゼがそうまとめてくれた。フィオナは、アリーゼにうなずく。
「でも何でフィオナはアティ先生を知らないくせに、レックス先生と知り合いだったんだよ。ただの噂話で知ったのと、面識あるのとじゃ凄い差だぜ。そこは変じゃないか」
「それは……」
 子供らしくヤンチャそうなナップが、フィオナに二人の核心をつくような疑問をぶつける。しかもナップはフィオナと呼び捨てだったが、フィオナ本人はそれについて咎める勇気もないし、別にそこを気にするほど、うるさくもなかった。
「お前さん達、積もる話は別の部屋でせんか。此処では、狭過ぎるじゃろう」
「ゲンジさん」
 ゲンジがフィオナとレックスに助け舟を出した。レックスはフィオナと顔を見合わせると、ゲンジの言葉に甘えるよう、どちらからともなく腰を上げた。




 話の流れのついで、ゲンジはレックス達を夕飯に招待する事にした。カイル一家も誘うつもりだったが、駄目になった。それはフィオナが拒否したせいだった。
 レックスとアティは、カイル達も誘えば楽しいと、フィオナにそう説得を試みたが。

「あの海賊達もこの島に居るの!? ……会いたくないわ。あの人達のせいで、私の人生が駄目になったのよ。海賊達は、それの責任を取ってくれるの」
「フィオナ……」

 いつものフィオナらしからぬ剣幕できたので、これにはレックスとアティも説得は難しいと判断して、この日にカイル達を招待するのは諦めた。



「フィオナ」
「……何、子供達の面倒を見なくて良いの」

 フィオナはゲンジの手伝いで、裏庭にて野菜を洗っている。そこへレックスが遠慮がちに現れた。
 因みにアティと子供達はフィオナの件を海賊達に報告する為、いったん、海賊達が暮らしているという船まで帰ると話した。レックスもそれに同行していた気がしたが、彼はアティ達について行かなかったのだろうか。アティはレックスが和を乱すのは特に気にしていない風なのでそこは良いとして、二人の教え子だという四人の子供達はどう思うだろう。フィオナは疑問に思うも、生憎とそれをレックス本人に聞ける勇気は持ち合わせていない。
「隣、良い?」
「……」
 フィオナは良いとも言わなければ、悪いとも言わなかった。レックスは隣に居ても良いのだと解釈して、そこらにあったダンボール箱を持ってきてフィオナの隣に座った。
「まさか君が、ゲンジさんの世話になっているとは思わなかったよ。君が海の中で諦めて、俺の手を離された時はもう駄目だって、また守れなかったって、思ったから」
「私もまさか、あなたが諸悪の根源の海賊達の世話になってるとは思わなかったわ。それから、アティとあんな可愛い子供達の家庭教師をやっているという事もね。レックスは卒業後に陸軍に配属されたって聞いていたけど、それはどうなったの?」
「……、色々あって、軍そのものを辞めたんだ」
「へえ、そうなんだ」
「……」
 フィオナはその件についてレックスに深く追求する事をせず、あっさりと返した。こういう部分は相変わらずだなと、レックスは思う。
「今は、子供達の親御さんのツテで、彼等の家庭教師を任されている。本当はあの船で、子供達とパスティスに渡るつもりだった」
「そうなの。災難だったわね」
 フィオナはあくまでも淡々と、レックスと会話を続ける。
 レックスはおもむろにフィオナの髪に手を伸ばした。
 レックスの細い指が、フィオナの髪に絡まる。
「君はあの船に乗って、何処へ行くつもりだった? 俺達と同じか、それとも?」
「……」
 フィオナはレックスの手を払いのけようとはしない。
 レックスはフィオナの了解を得ているとして、彼女の耳元に唇を寄せる。
「フィオナ。此処で再会したのも、何かの運命じゃないか? ……俺と関係を続ける気はないか」
「どういうつもりで?」
 フィオナはレックスの言っている意味が分かっていたけれど、敢えてそれを問い質した。
 レックスもフィオナの訊ねている内容を理解したうえで、正直に話した。
「学生時代と同じつもりで。……正直言うと、召喚獣相手はどうかと思ってたんだ」
「海賊の船にも年頃の女の子が居るんじゃないの」
「彼女は、船長の大事な人だ。手を出しづらい」
「……そう」
 溜息を一つ。
 レックスはもう一押しかと判断し、フィオナに迫る。
「フィオナなら俺の事も分かってるだろう、だから」
「……お見合いする予定だったのよ」
「え」
 フィオナは野菜を洗う手を止めて立ち上がるとレックスの手を払いのけて、彼と向き合う。
 そしてフィオナは決心して、レックスに船に乗っていた理由を話した。
「私ね、あの船に乗って、父親が決めた見合い相手の所まで行くつもりだった。その縁談が上手くいけば、そのまま相手の所に転がり込んでたわ。レックスも私の家の事情を知っているでしょう?」
「……」
 レックスはフィオナの言う通り、彼女の家の事情を知っていた。
 フィオナは勢いをつけて、レックスに今までの事を吐き出した。
「父親が持ってきたお見合い相手は、お金持ちの男だった。前の男もそう。その前も、その前も。父親が選ぶ相手の条件は単純でね、お金を持っているか、いないかよ。どの相手もその条件に見合った人だったけど、私が要領悪いせいがあったのと、相手も指定した場所に来た私を見るなり私では駄目だって、顔も性格も好みじゃない、金目当ての女に用は無いとかって吐き捨てて帰ってしまって、どのお見合いも結局は破談に終わった。それで今回は何回目か忘れたけどね、でも、今度は何か知らないけど上手くいきそうな予感がしてたのよ。相手は、私の似顔絵を見たうえで、私で良いって決めたっていうのよ。私も父親から相手の話を聞く限りだけど、この人なら何となく気があいそうな感じがしてたし、此処にきてようやく落ち着けると思ってた所で――」
「カイル達が、君の見合いを駄目にしたってわけか」
「そうよ。この縁談が上手くいけば、父さんも喜んでくれたと思う。私だってもうこれ以上、父さんに面倒をかけずにすむと思ってたのにね。こんなの、誰が予測していたと思う。私の幸せを壊してくれちゃって、本当に、もう、もう……」
 フィオナはうつむいて、悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか、自分でも分からない、複雑な感情を、レックスにぶつける。
 レックスはただ、フィオナの背中に腕を回してそれを受け止めている。
「もしも、もしもの話だけどフィオナはこの島を出て帝国に帰れるようになったら、その見合い相手ともう一度見合いするのか」
「……さあ、それは分からない。お見合いの相手がもう一度受けてくれるなら受けるし、駄目なら父親がまた新しいお見合い相手を見付けてきて、その人とまたお見合いするだけだわ」
 島を出て帝国に無事に帰れたとしても、自分の運命は決まっている。そして、レックスの運命も。だから、フィオナはレックスに言ってやった。
「此処でレックスが私と関係を続けるなんて、無意味だわ」
「……」
「それから私は、レックスへの想いはもう断ち切ってるのよ。それというのも二人とも島を出て無事に帝国に帰れたとしても、私とレックスでは長続きしない事くらい、分かっているから。……前も同じ理由で別れたの、覚えていないの」
 本当に。
 彼への想いは、あの時にもう、諦めたはずだったのに。
 どうして。
 熱が、こもるのか。
 レックスはうつむくフィオナに対して、

「でも、此処に居る限りは、俺は君と付き合える。だって此処では君の父さんも、俺の経歴も関係無いからね?」
「あ――」

 そう、それに何の問題があるのかという風に、実に簡単に言い放った。
 フィオナが顔を上げればレックスは、いつもの人の良さそうな顔を浮かべている。
 フィオナはレックスのその笑った顔を見ただけで、昔の恋心がよみがえってしまった。不覚にもほどがある。
「……ずるい人ね」
「何が?」
「ああ、そういう所も変わっていなから、安心した」
 それが少しおかしくて、くすくす笑ってしまう。
 レックスは少しずつフィオナと距離を縮めつつ、彼女に言い返した。
「……、フィオナもあんまり変わっていないね。俺もそこは安心してるんだ」
「そう?」
「そうだよ。……さっきのゲンジさんの所に居た時の、俺の評価とかさ」
「レックスの評価? ああ、赤い髪の話ね。だって本当にそう思ったのよ。レックスのその赤い髪の色が、海面から差し込む光みたいに見えたんだから」
 フィオナは爪先立ちをして、レックスの赤い髪に向けて手を伸ばした。
 レックスもそのお返しにと、改めてフィオナの髪に手を伸ばした。
「俺もフィオナのふわふわした髪、好きだよ」
「……そう」
 他の見合い相手は、ふわふわした髪――爆発したような、くせっ毛の強い頭は淑女にするにはそぐわない、だらしがないという評価だった。天然だから仕方がないと言っても、それでは社交場に行く相手として相応しくないとでも返されてしまったので、この髪質が嫌いだったのに。この人は、簡単にその壁を取っ払ってしまう。フィオナはレックスにそう言われて悪い気はせず、自分の髪先を指でくるくるといじる。
「その赤い着物も、似合ってる」
「そ、そう、あ、ありがとう……」
 顔が熱いのは日差しのせいだけではないだろう。
「この島に居る間は、俺と楽しむ気はないか」
「……そうね、少し、考えてもいいわ」
 フィオナはレックスの強引さに呆れつつ返事をにごしたが、内心ではむしろレックスと甘い時間が過ごせる事を歓迎している。
 レックスはフィオナの手を取り、肝心な事を聞き出した。
「フィオナは当分、ゲンジさんの所に居るのか」
「うん。そのつもり。レックスは、アティ達と海賊の所に居るのよね……」
 あの海賊と。フィオナは未だに客船を襲撃した海賊達に恨みを持ち、そんな所に居るレックスを心配する。
 しかしレックスは、フィオナの不安を一蹴するよう、相変わらずの笑顔で海賊一家を良いように話して聞かせる。
「そうだよ。フィオナなら、いつでも歓迎するよ。俺達が世話になってる海賊のカイル達も、海賊とはいっても良い奴等なんだよ。海賊の中には女の子も居るし、アティ、それから俺の生徒達も居るし、フィオナでも多分、彼女達と友達になれると思う。――そうだろう、アティ?」
「――いつから気付いていたんですか」
「ひゃあ!?」
 フィオナは突然に柱の影から、アティ、そして、四人の生徒達が姿を見せたので、それに驚いて、思わずレックスにしがみついてしまった。
「揃って覗き見とは、趣味が悪いね」
「ごめんなさい。でもどうしても、フィオナとレックスの関係が気になってしまって」
 呆れた風に言うもそれでも顔は笑ったままのレックスと、格好は謝りながらも舌をペロリと出しているアティと。
「な、何で、い、いつから居て……!」
 フィオナはアティのみならず四人の生徒達までもが今までの会話を聞いていると思えば、恥ずかしくて死にそうだった。
「ちょっと! いつまでレックス先生にしがみついてるのよ!」
「うう……」
 離れなさい! ベルフラウの勢いにたまらず、フィオナは情けなくも彼女の言う事を聞いてレックスから離れる。
「あ、あの、フィオナさんは、レックス先生と付き合ってたんですか!?」
「え、ええと……」
 アリーゼはベルフラウとは逆に目を輝かせて、子供の特権でフィオナに遠慮なくそう聞いてくる。フィオナはアリーゼにどう答えたら良いか分からず、言葉を詰まらせる。
「初めて見た時から思ったけど、やっぱ、フィオナのその頭面白いなー!」
「わ、わぁ」
 ナップが遠慮なくフィオナの天然パーマの髪にべたべたと触ってくる。フィオナはナップに此処は厳しく突き放すべきか、でもそれでは可哀想かと考える余りに、どう加減して良いか分からず、ナップにやられっぱなしである。
「フィオナさんって、レックス先生の後輩だったんですよね? 軍学校ではどういう技術を学んでいたんですか。やっぱり、アティ先生みたいに医療系に特化したものですか」
「それは……」
 ウィルは何処までも冷静に、フィオナには自分の聞きたい事を聞いている。それでもフィオナはウィルに対しても、何も答えられない。
 フィオナが子供達に囲まれている所を、レックスが救出する。
「君達。そういっぺんに質問するなよ。フィオナが困ってるだろう」
「この女、本当にレックス先生とアティ先生の後輩でしたの?」
 子供の質問にも答えられないフィオナに、ベルフラウが疑いの目を向ける。
「あー、そのへんに関してもゲンジさんの所で説明した方が良いな。アティ、カイル達の説明は終わってるのか」
「あっと、カイル達の報告はまだでした」
「おいおい」
「カイル達の報告に行くより、レックスとフィオナとの関係を探る方が面白いでしょう?」
「……」
 さすがのレックスもアティが全然悪びれていない様子に、顔を引きつらせる。
 しかしアティはレックスに物怖じせずに子供達の方を振り返って、子供達に向けて言った。
「レックスがフィオナとの関係を話してくれると言ったので、では、さっさとカイル達の所に行きましょうか」
「はい、先生!」
「……」
 アティは何処までも明るい調子で、子供達を引率して予定通り、カイル達の船へと戻っていった。相変わらずな人だと、フィオナはぼんやりとアティの背中を見送る。
 と。
「あれ? レックスはアティ達について行かなかったの」
「ああ。俺は、フィオナの仕事を手伝うつもりで残ったから」
 にこにこ。フィオナは、相変わらずお人好しな笑顔を浮かべるレックスを見て、彼に聞こえないように呟いた。
「……変に優しい所があるから、抜け出せないのよね」
「何か言った?」
「何でもない。それじゃあ、そこのジャガイモの皮をむいてくれる?」
「分かった」
 フィオナはレックスの優しさに甘えるよう、彼と一緒にゲンジの仕事をこなしていった。



 その夜、ゲンジの庵でレックスとアティ、四人の子供達を招待しての宴会が始まった。
 宴会ではゲンジの得意とする鍋を中心としたシルターン料理が並ぶ中、そこで何故か新鮮な魚を使った刺身や焼き魚が並んでいる。
 山間の集落である風雷の郷では、魚は滅多にありつけない。
 こんなに魚が手に入った訳をアティが話してくれた。
「カイルにフィオナの事を話したら、いつでも良いので船に来てくれれば、それのお詫びをしたいと話していました。カイルも、フィオナのお見合いをつぶした事に非常に責任を感じていた様子でした。このお魚も、それのお詫びの一つだとも言っていましたよ。これからもフィオナが新鮮なお魚が欲しければ、いつでも持ってきてくれるそうです」
「……」
 フィオナは魚料理、中でも刺身が好きだった。まさか此処でこんな新鮮な刺身が味わえるとは夢にも思わなかった事である。これにはその海賊に感謝しなければいけないと思うも、お見合いの事を考えると足が遠のく。
 不慣れな手つきで箸を扱うベルフラウから、その話を切り出した。
「それで、レックス先生と、この女の関係はどうなのよ?」
「うん。俺とフィオナは学生時代に、アティに内緒で付き合ってたんだ」
 レックスは皆にあっさりと、軽い調子でそれを暴露してしまった。
「……」
 アティはレックスの軽さに思う所があったが、此処でそれを口にする事はない。
 ゲンジはレックスの話を聞いて、フィオナにそれが真実かどうかの確認を取る。
「フィオナ、そうなのか?」
「……その通りです、はい」
 フィオナは皆の――特にベルフラウの顔を見るのが恐かったので、うつむいて、その話が本当だと、うなずいた。
 アリーゼは、レックスとフィオナの関係に興味津々である。
「あの、レックス先生は、フィオナさんとどうやって知り合ったんですか? それから、フィオナさんと付き合うきっかけは何だったんでしょうか」
「フィオナは、アティみたいに成績が余り良いとは言えなかった。それだからいつも、居残りで課題をやらされていたらしい。それでフィオナが居残りで泣きながら課題をやってた所に俺が偶然通りかかって、それの面倒を見てやるうちに、いつのまにかっていう具合かな」
「……そうだったわね」
 レックスとの馴れ初めを聞いているうち、フィオナも当時の様子がよみがえってきた。


 日暮れ間近の教室。一人で泣きながら課題を取り組む。そこに上級生のレックスが通りかかり、声をかけられる。多分、この時の出会いは本当に偶然だった。レックスが自分に声をかけたのは、泣きながら課題に取り組んでいた事の同情からか。フィオナは分からないけども、それがキッカケでレックスと付き合いが始まったのは事実である。

「放課後はフィオナと、フィオナの課題に取り組むのが俺の習慣だった」
「ああ……、そういえばレックスは放課後になると、いつのまにかふらーっと何処かに行ってる事が多かったですね。あれって、フィオナの所に行ってたんですか」

 何かを懐かしむように天井を見上げるレックスと、レックスが放課後になると決まって不審な行動を取っていたその理由がようやく分かって笑顔になるアティと。
 ナップが皿に盛られた肉じゃがを口いっぱいに頬張りながら、それの核心をつく。
「レックス先生は何で、そのフィオナと別れたんだ? 今の話を聞く限りじゃ、フィオナと上手くいってたんだろ」
「それは、お互いのっていうか、フィオナの家の事情のせいだ」
「……」
 レックスがフィオナを見る。自然とゲンジ、アティ、子供達もフィオナに注目する。しかしフィオナは自分の事情を中々話さないでいる。
 ベルフラウは未だに話さないフィオナに苛立ちを抱きながら、言った。
「そういえば、わたくし達が通う予定だったパスティスにある軍学校では、そんな、居残りするような成績の悪い生徒は最初から受け付けいはずですわ。入学試験もありますし。わたくし達がレックス先生とアティ先生に家庭教師を依頼したのも、その為ですわ。まあ、お金にものを言わせているなら、話は別ですけど?」
「……私の家は、その、一代で築いた、いわゆる成り上がりだった。でも、父親の経営はあんまり上手い具合にいってなかった。それだから、父親が工面したお金で何とか軍学校に通わせてもらっていたもので……。おまけに、途中編入だったから皆に追いつくので必死だったのよ」
 ベルフラウに言われたフィオナは観念して、自分の家の事情を明かした。
 レックスもフィオナに補足するよう、続きを話した。
「フィオナの話は本当だ。確かに、ベルフラウの言うようにお金に物を言わせて途中編入出来たのは間違いない。でもフィオナのようにお金に物を言わせて入学するような子は、君達の通う軍学校では珍しくない話だよ。あそこは、名家のお嬢様やお坊ちゃまが行くような所だったからね。そうでも君達みたいに英才教育を受けて行く方が大半だから、彼等みたいなのでも簡単に入学試験に合格出来るわけだ。そんな中で、そういう英才教育も何も受けていないフィオナは必死になって、何とか皆に追いつこうという努力を見せたから、俺もフィオナが気になって勉強を見てやるようになったんだよ」
「……そうでしたの」
 レックスの説明を聞いてベルフラウはその説明、特にフィオナに関する部分に納得してはいないようだったが、これ以上、反論する事はなかった。
 レックスが話しを続ける。
「俺が軍学校を卒業した時に、進路が別だったもので、フィオナと疎遠になってしまった。まさか此処で再会するとは思わなかったけど。フィオナは俺と別れたその後、親父さんの言いなりで、お金持ちを相手に色々お見合いさせられていたんだって」
「そう。私のお見合い相手は、お金持ちかどうかで決まっていたわ。父親の探して来る男が皆そうだった。私も父親のお陰で軍学校にも通えていたし、色々生活出来てたものでそれに逆らえなかった。それだけじゃなくて、今まで苦労してきた父親に楽させてあげようっていうのもあったしね。でも私がこんなだから失敗続きで……」
「それで今回のお見合いは上手くいきそうだったのに、そこでカイルさん達に襲撃されて駄目になったんですね」
 レックスとフィオナの話を聞き終わった後、アティがそうまとめて終わりを告げる。
「……」
 皆、フィオナにどう言って良いか分からず、黙り込む。
 此処でウィルが遠慮がちに口を開いた。

「……あの、フィオナさんの正式な名前って、もしかして、フィオナ・ハーンさんですか」
「あれ、どうして私の名前知ってるの?」

 ウィルに何も教えていないはず。フィオナが首を傾げる。
 ウィルはフィオナに自身の正式な名前を明かした。
「僕達の家名はマルティーニです。知りませんか」
「嘘! 君達ってあの豪商で有名なマルティーニさんだったの!? 本当に!?」
 フィオナはウィル達がマルティーニ家だと知り、目を輝かせる。父親のせいで、帝国のお金持ちの家は大体知っている。まさか此処でマルティーニ家が出てくるとは思わず、興奮してしまった。
 ベルフラウはウィルが自身の家柄をフィオナに明かした事に、怒りを覚える。
「何で、わたくし達の家名を明かすのよ! 今の女の話を聞いていなかったの。この女の父親に目を付けられたいの!?」
「いや、とっくに目を付けられてるよ」
「は?」
 ウィルは唖然となるベルフラウを尻目に、今度はナップの方を振り返る。
「ナップは、サローネさんから、お見合い話を聞いた事がないか」
「見合い? 何だそれ? そんな話、あったっけか?」
「だよね。ナップが僕達に来ていたお見合いの話なんて、真剣に聞いてるわけがないよね」
 ふぅ。ウィルは予想通りのナップの反応に、呆れ返る。
「ウィル、どういう事だ?」
 レックスがウィルに問い質した。
 ウィルはぼそぼそと、それを明かした。
「軍学校に行く事が決まった一ヶ月くらい前でした。サローネさんが僕達に婚約者の候補者の話を持ってきたんですよ。軍学校を卒業したあかつきには、良い相手も見つけなくちゃいけません、それには今からでもその候補者を決めても遅くはないでしょうとかで」
「ああ、サローネさんが言いそうな事ですね。そういえば私達にも、縁談の話を持ってきてた時期がありましたね。今のうちから婚約者を決めておかなくてはいけないとかで。結構、格好良い子が揃ってましたよ。ベルにも話があったでしょう?」
「ふん。わたくしは、この年齢で婚約者が決まるなんて嫌だって、自由に恋愛がしたいと、そんなもの、破ってしまいましたわ」
 サローネが持ちかけた縁談にアリーゼは満更でも無さそうだったが、ベルフラウは髪を払い鼻で笑っていた。
「はぁ、お金持ちの子達も、色々大変なんですね」
 アティは子供のうちから婚約者を決めるという話を聞いて、まるで別世界の夢物語のようだと、溜息をつかずにはいられなかった。
「それでその中に、確か、フィオナ・ハーンさんの名前があったんです」
「……って、君達とフィオナでは随分と年齢が離れてるじゃないか」
「見合い相手の候補者の年齢で下は僕達と同じ、上は二十歳まで幅広かったですね。サローネさんいわく、美人で気立てが良い女性なら年齢は関係無いって話でしたよ。更に家柄が良ければ申し分無しとか」
 年齢の開きに目を瞬きさせるレックスと、サローネから聞いた話を淡々と答えるウィルと。
「……うわー。父さんってば、こんな年齢の子まで声かけてたんだ。しかもマルティーニ家って……」
 ウィルの話はフィオナも知らない事だった。父親の金持ち相手なら子供でも良いと、更に身の程を弁えない節操の無い部分が此処で明るみに出て、穴があったら入りたい気分に陥る。
 ベルフラウはウィルを睨み付けながら、それについて問い質した。
「何でウィルは、この女を覚えていましたの? そんなに婚約候補者が大勢居たのなら、フィオナという名前はありふれたものだから、そこに埋もれて、とっくに忘れているものだと思いましたけど」
「……フィオナさんの所だけ、似顔絵だったり写真だったり、顔が分かるものが無かったんだよ。お金持ってる家のお嬢様なら、大体、そういうのを付け忘れる事がないのに。だからフィオナさんの名前を覚えてたんだ」
 ウィルはベルフラウにそう答えた後、改めてフィオナを見る。
 そして。
「今のフィオナさんの顔を見て、というか頭を見て、何で顔が分かるものを付けないのか分かった気がしましたよ」
「……うう」
 ウィルは少し遠慮がちに言ったが、言われた当人としてはこれ以上にこの頭が憎いと思った事はない。フィオナは涙声で、うつむいて言った。
「いつもは帽子だったり、ほかの髪型にして、この頭を隠してるのよ。……ゲンジさんや、此処の集落の人達は、この頭を見て笑わなかったから、油断してた」
「……そうだったんですか」
 フィオナのこれには、アリーゼも同情を寄せる。
「でも私はその頭でフィオナの人柄が分かる気がしますね。フィオナは、私達の前でもそのままで良いと思いますよ?」
「アティ……」
 アティの励ましを受けて、フィオナも顔を上げる。
「……」
 場がしんみりした所だった。

「話も一段落した所で、宴会を再会するかの。どれ、鍋を温め直すから、待っておくれ」
「うんうん。やっぱ、鍋は熱い方が美味いよな!」

 ゲンジが重い腰を上げて、鍋を持つ。ゲンジその仕草を見たナップがはしゃぐ。
 フィオナもアティのお陰で気分を持ち直して、刺身をつつく。
 ゲンジが主催した宴会は、成功に終わった。



 そして。

「いつでも良いから、カイル達の船にも来てくれよ」
「……そうね、気が向いたら行くかもしれないわ」
「そうか。それじゃあその日を楽しみにしてるよ。それじゃあ」
「うん。気をつけてね」

 夜になってフィオナは、レックスと別れた。
 子供達は帰る間際になってはしゃぎ疲れたのか眠ってしまい、アリーゼとベルフラウはアティが、ナップとウィルはレックスがそれぞれ腹と背中を使い、担いでいる。軍学校で厳しい訓練を受けている二人にしてみればこんなのは、朝飯前である。
 フィオナが見えなくなった所で、アティは思い切ってレックスに気になっていた部分を聞いてみる事にした。
「……レックス、一つ、良いですか」
「何?」
 アティの言葉で、レックスも立ち止まる。
 やけに周りが静かだった。

「――あなた、学生時代はアズリアと付き合っていませんでしたか?」
「――」

 この時のレックスは、アティの声がいつもより大きく聞こえた気がした。
「これは、私の記憶違いですか」
「……違わないよ」
「レックス、それじゃあ、フィオナの事は――」
「――極限状態の中で人間が利用出来るものは、ためらわずに利用しろ。これが軍学校で学んだ事だった」
 アティがレックスを非難するような言葉を吐き出そうとした所で、レックスはアティの言葉を遮るようにそれを言い放った。この言葉には、もうこれ以上の追求は止せという意味も含まれている。
 それでもアティはめげず、レックスに食いつく。
「レックス。フィオナはアズリアの事を、知っているんですか」
「……」
 レックスは答えない。
「……」
 アティもこれ以上の追求は難しいと判断して、追求する手をゆるめる。
 レックスは白い息を星空に向けて吐き出しながら、言った。

「俺は、小さい頃の悲惨な経験を受けたせいか、大人になってからは欲しいものがあったらどんな手を使っても、必ず手に入れる事にしているんだ。それがたとえ相手を泣かせる結果になったとしても、俺はその責任を取るつもりはない」
「……レックス」

 それは彼の本当の想いかどうか。そしてそれがフィオナに該当しているのかどうか。今のアティではレックスの本音であるかどうか、その判断がつかなかった。

「カイル達もゲンジさんの所の話を聞きたがって、俺達の帰りを待ちわびているだろう。さっさと帰るぞ」
「……」

 レックスの方からその一歩を踏み出し、アティは少しの不満を持ってそれを追いかける。

 二人の真上で流れ星が落ちたのも知らないままに。

SN3リメイク記念で書いた作品。この作品の夢ヒロインは、長編のヒロインとは全くの別人です。
この設定で新しい連載出来ればやってみようかと思います。しかしこれで連載をやれるかどうか分からないので(SN5次第)、一応、短編作品として仕上げました。
彼女の場合、海中遊戯のヒロインと違って、軍学校で教わった範囲内であれば、戦えます。召喚師タイプですが、軍学校でも召喚術の成績が悪かった為に未だにレベルの低い召喚獣しか呼び出せないし、島では召喚石を護人達に管理されているしで、子供達のように本格的には戦えません。一対一で、しかも素人(女子供)相手なら何とかなる程度です。

更新履歴:2012年11月06日