朝から雪が降っていたその日。
「宵風」
丁度、長編小説を読み終わったので、部屋の隅でうずくまっている宵風に声をかけてみても、彼は何も応じなかった。いつもそうだ。こちらから話しかけなければ彼から一切の返事は期待ができない。
「……ゆきみ、遅いよね」
「雪見さんなら、後、一時間くらいしないと帰って来ないよ」
しばらくして、何時間振りかにぼそりと呟いた宵風は、私の言葉で更に部屋の隅に追いやられてしまった。
此処は、雪見和彦の部屋である。部屋の主は昼間から不在で、私と宵風が居るだけだった。
雪見さんとは、幼馴染の間柄である。そうは言っても雪見さんは私より随分年が上だった。私は小さい頃から、雪見さんを知っている。雪見さんが和穂さんと共に灰狼衆に入ると決めた時も、私は何も言う事無く、彼等を送り出した。雪見さんが灰狼衆で「宵風」という少年を預かったと、私に打ち明けてくれたのはつい最近の事だったように思う。私は少し驚いたけど、面倒見の良い雪見さんならば有り得る話だとも思った。
雪見さんは、表の仕事で昼から夜にかけて出かけなくてはならず、宵風の面倒を見るよう、暇だった私にそう、頼って来た。灰狼衆に頼めば宵風の面倒くらい見てくれる人は居そうだけど、雪見さんは、宵風と同じ年頃の私に白羽の矢を立てたのだろう。私も宵風には興味があったし、好奇心だけでそれをあっさりと引き受けてしまった。
私は雪見さんの頼みを安請け合いしてしまった事を、十分足らずで後悔する羽目になった。
宵風はこちら側から話し掛けないと殆ど話さない子で、私は私で宵風と話す話題もなくただ時間が過ぎるだけで。
しびれを切らした私は、静かな空間を破壊するため、宵風に問いかける。
「何か、飲みたいものか、食べたいもの、ある?」
「……ゆきみのミルクティー」
おいおい、此処に雪見さんは居ないんですけど。宵風はコンビニで買ってきたものでは、納得しないだろうしなあ。
「私が作ったやつじゃ、駄目?」
「……」
あああ、宵風が更に隅に追いやられてるよ。難しい子だな。よく、雪見さんは彼の面倒を見ているものだと、感心する。
「宵風」
「……」
宵風は答えない。
そんなに雪見さんが良いのか。私が居るんだから、私に頼れよ。心の中で毒づいても、宵風には届かない。それくらい、知っているさ。この数時間の間に学習した事だ。
こうなれば、私にも意地がある。雪見さんの台所を借りるため、立ち上がった。と。
「――何処へ行くの」
不安そうな顔で、私を見上げるのは宵風で。
「この部屋に居るから」
私は苦笑しつつ、宵風が安心できるよう、笑ってみせた。宵風は再び、うずくまる。なんか、宵風は、寂しがりやの猫みたいだ。
「ただいま」
丁度、ヤカンに水を入れて火をかけた所で、雪見さんが帰ってきた。
「あれ。約束の時間より、早いじゃないですか」
「ああ、宵風が心配で、早めに切り上げてきたんだ。宵風の面倒を見てもらったから、土産もあるぞ。お前、この店のケーキ、好きだっただろ」
雪見さんは得意げに、私へ向けてケーキの箱を差し出す。その白い箱は雪見さんの言う通り、私の好きなケーキ屋のものだった。これが今回の報酬なら、私も満足である。
「おい、宵風はどうしてあんな隅に居るんだ」
「さあ……、どうしてでしょうね?」
雪見さんは不思議そうに隅でうずくまっている宵風の方に近付いて行く。まさか私のせいだとは言えず、自分は目を泳がせるしかなく。
「宵風もケーキ食べるか」
「……」
雪見さんが差し出した手を、宵風はあっさりと掴んで立ち上がる。
……雪見さんはいつもそうだ。彼は私には出来ない事を、あっさりとやってのけてしまうのだ。
その時、火をかけておいたヤカンの水が沸騰したという知らせの音が、部屋に響いた。
「あ、ヤバイヤバイ」
私は慌てて台所へ駆け込み、ヤカンの火を消した。
「お、気が利いてるな。湯がわいたんだったら、俺がミルクティーでも」
「駄目です!」
台所を覗いてきた雪見さんは、腕まくりをしてミルクティーを作る気満々だったのを、私が声を荒げて止めた。私の声に、雪見さんが驚く。
「何で。俺のミルクティーは宵風にも評判でな」
「今回は、私がミルクティーを作ります。私はそのつもりで、お湯をわかしたんですから」
私は雪見さんの言葉を遮るよう、強く出た。
此処で私と雪見さんは睨み合う。
先に折れたのは、雪見さんだった。
「分かった。何があったかは知らないが、お前に任せるよ」
「ありがとう」
よし、宵風も唸るほどのミルクティーを作ってやろう。雪見さんの味に負けないくらいのを。私は意気込んで、ミルクティーを作り始めた。
しかし。
「……甘い」
「……」
雪見さんは私のミルクティーを一口飲んで、顔をしかめてそう感想を漏らした。宵風も口には出さないが、眉を寄せてマズイという顔をしている。
私が折角作ったミルクティーは、不評だった。どうやら、砂糖を入れすぎたようで、サジ加減が悪かったようだ。
「俺が作り直してやるから、寄越せ」
雪見さんが宵風から私が作ったミルクティーを取り上げようとする。
私も今回ばかりは雪見さんに口答えも出来ず、落ち込むしかない、と思ったけど。
「……僕は、これで良い」
「宵風」
何を思ったのか宵風は、私の超甘いミルクティーをごくごくと、飲み干した。
「宵風、無理しなくても良いから」
「そうだぞ。マズイならマズイではっきり言ってやれ」
雪見さんにはっきり言われて凹むけれど、私は私で宵風が心配だった。
けれども。
「良いよ、これは、僕の為に作ってくれたんだから」
宵風の言葉を聞いて、雪見さんは私と顔を見合わせる。
それから雪見さんはバツの悪そうに頭をかいて、再び私のミルクティーを手に取った。
「……まあ、宵風がそう言うなら、俺も最後まで飲むわ」
「雪見さん」
「お前、ちゃんと、宵風の面倒見てくれたんだな」
「……」
雪見さんも宵風にならって、私のミルクティーを最後まで飲んでくれた。
私は二人の心遣いが嬉しくて、小さな声でありがとう、と呟いた。
外ではまだ雪がしんしんと降り続いている、そんな寒い日の一日。