「私、知ってるのよ。スバルが私と同じ世界から来たって」
それを彼女――ハルカに告げられたのは、いつの話だったか。
ナツキ・スバルと向き合うのは、彼と同じ年頃の一人の少女である。
彼女をスバルに紹介したのは、ラインハルトだった。
「スバルに初めて紹介すると思う。彼女は、僕の屋敷に仕えるメイドの一人だ」
「どうも、初めまして」
「は、初めまして」
スバルはエミリアと雰囲気がよく似ている物静かそうな少女を前にして、少し緊張していた。彼女がエミリアと違う所は、メイド服を着ていて、自分と同じ黒い髪と黒い瞳を持っているという外見と、自分より年上のように思った。
「ラインハルト様のお屋敷でメイドをやっている、ハルカと申します」
「あ、ナツキ・スバルです。スバルでいいです」
お互い、頭を下げ合う。
スバルは、チラリといつものさわやかな笑みを浮かべているラインハルトを盗み見る。ラインハルトに仕えるメイドには何人か会った事があり、しかし、その時は複数で揃っている時のついでという感じだった。
彼女のよう、一対一で紹介を受けるとは今まで無い事で、それは、つまり。
――此処に来て、まさか、ラインハルトの恋人紹介かよ。
スバルは、軽い調子でいつものようにラインハルトの屋敷まで来ていたが、此処で、ラインハルトの恋人を紹介されるとは思わなかった。そうなら、もうちょっとちゃんとした格好で来れば良かったと、後悔した。
しかも。
――自分の屋敷のメイドに手を出すとは、さすが、色男は、やる事が違うな、おい!
スバルは、王都でも一番の色男であると評判のラインハルトのやり方に、思わず、感心してしまった。
それからスバルは、ラインハルトに彼女といつ、通じ合えたのか。そのへん、今後の参考のため、聞いてみたいと思った。
しかし、当人のラインハルトといえば。
「ちょっと、用事があったんだ。ハルカとお茶でも飲んでいてくれ」
「え?」
さわやかな笑みを浮かべて、これまたさわやかに何処かに行ってしまった。
「え、おい、ちょっと、どうしたんだよ!」
言われたスバルは「何だあの素気無い態度は!」と最初怒っていたが、同じように取り残されていたハルカと目があって、ぶっきらぼうに「何」と聞けば「同じだよね」と返って来て、それから「座ったら?」と席につくよう促されて、仕方なく、彼女と同じテーブルについた。
それからハルカは、淡々とした調子で言った。
「それから、何か勘違いしているので先に言っておくけど。私、ラインハルト様の恋人とかじゃないから」
「え、マジか」
「あ、やっぱり勘違いしてたんだ」
「だが、ほかのメイドより、個人的に紹介している風だったが」
「私は、ラインハルト様よりも、フェルト様に仕えているのよ。それだからじゃない?」
「え、あのじゃじゃ馬に仕えてるのか。大変だな、おい」
スバルは、ラインハルトでも手を焼いているフェルトを思い出し、ハルカに同情した。
ハルカはしかし、それを吹き飛ばすよう、笑った。
「あの年頃の娘は、お菓子を一つ二つ与えれば簡単よ。それから、ちゃんと女の子扱いするのも大事よ。ちゃんとフェルト様を見ていれば、誰でも言う事を聞かせられるわよ」
「あのフェルトをちゃんと扱ってるんだな。俺では、フェルトを女の子扱いするなんて、無理だわ」
「私、妹が居るし、親戚にも何人か小さな女の子が居るのよ。それで、世話を焼くのけっこう慣れてるから」
「へえ。それでも、凄い話には変わりないな」
そうスバルに言ってのけるハルカと、そう言ったハルカを面白そうに見るスバルと。
ハルカは慣れた手つきでカップに緑茶を注ぎながら、言う。
「ナツキ・スバル。あなたの話、フェルト様やラインハルト様からよく聞いていて興味があったのよ。あの異端児のエミリア様を慕う騎士が現れたって、騎士界でも有名だったしね」
「エミリアは異端児じゃない。そこ、訂正しろ」
「……、スバルは本当にエミリア様を慕ってるのね。スバルは、エミリア様の良い騎士になるわ」
「……」
スバルはハルカにそう返されてしまっては得意の反論もできず、押し黙るしかない。
それからハルカは、皿を出してそこにお菓子を並べた。
「そうだ。これ、食べる? スバルの口にあうかどうか分からないけど」
「お前、これ……」
スバルはハルカに出されたお菓子に、目を見張った。
「ポテチじゃないか。ポテチだけじゃない、餅まである。どうしたんだ、これ」
「やっぱり、これ、知ってるんだ」
ハルカはお菓子――ポテチとフライドポテトに素直に反応したスバルを見て、笑う。
それから嬉しそうにその説明を始める。
「これ、単純にじゃがいもを薄く切って、油であげて、塩をまぶしただけ。お餅は、この世界にもお米があって、それを蒸して作ったんだよ。この西洋を模した世界にもお米があるって、助かるよね~。でも肝心の小豆だけ見付からなくて、あんこを作るのは諦めて、代わりに簡単に手に入るチーズや生クリームを使ってるの。フェルト様は、私が作ったお餅が美味しいって言って、食べてくれるのよ」
「いや、待て、待て、そこじゃないだろ!」
ダンッ! スバルはハルカの説明を聞いて思わず、テーブルを思い切り叩いた。
「お前、何者だよ。そもそも、ラインハルトとどういう関係だ」
「……私は、フェルト様に仕えるメイドの一人よ」
「はぐらかすな。お前、俺と同じ世界から来ているだろう」
「同じ世界、というのは?」
「此処とは違う世界――××、ッ」
「……どうしたの?」
ハルカは、急にスバルが黙り込んだ事を、心配した。
いつもそうだ。
肝心な部分は、『何か』に邪魔されて、何も言えなくなってしまう。
もしそれを口にすれば、この場で、何らかの力が働いて、あっさりと死んでしまうだろう。
スバルは、目の前に出されたポテチと、餅を見る。そして部屋を見渡して、壁にかかっているランプに火が灯っている事も確認する。
この場で死ぬ可能性があるとすれば、餅か、ランプの火だ。
――ランプの火はともかく、餅を喉につまらせて死ぬなんて、一番嫌な死に方だ。しかし自分は、この時を逃すようなバカじゃない。
何か、彼女に自分の身の上を伝える方法はないか。何か。
スバルが頭をかきながらそれを考えていると、ハルカが小さな声で呟いた。
「……そう。あなたも私と同じね」
「え」
「ちょっと待ってて」
「おい、何処行くんだ!」
ハルカは引き止めるスバルを無視して、何処かに行ってしまった。
「……何だよ」
スバルは呆気無く立ち去ったハルカを恨みがましく見詰めた後、少し落ち着いたのか、皿に出された餅を手に取った。
さっきから、餅が気になっていたのは否定しない。
もうハルカが行ってしまったので、餅を喉につまらせて死ぬなんて嫌な死に方はないだろう。
スバルは意を決して餅を口に放り込み、食べて、飲み込んだ。餅を食べても生きている事を確認した後、口から出た感想といえば。
「美味い」
それだけだった。
「お待たせ」
しばらくして、ハルカが何かを抱えて戻って来た。
そしてハルカは皿がカラになっていた事に、驚いた様子だった。
「……あら、私のポテチとお餅、食べてくれたの?」
「ああ。手が止まらなかったくらい、美味かった。特に、生クリーム入りの餅が美味い。あんこ以外でも、けっこういけるもんだな」
「……、スバルのそういう所が、人を、ラインハルト様すら魅了するのね」
「俺は自分の行いのせいで、騎士団の連中からは疎まれている。ラインハルトが俺を気にしているのも、それに同情したせいだろう。それ、ラインハルトから聞いていないのか」
「聞いてるわ。スバルが、騎士団の皆に何を言ったのかもね。でも、スバルのやり方が間違っていただけで、『何もしていない』エミリア様を批判している騎士団の方がおかしいのは分かっている」
「……お前、何持ってきたんだ」
スバルは、ハルカの持っているものに注目する。
ハルカが持ってきたのは、紙の束と筆だった。
ハルカはお菓子を置いていた皿を片付け、テーブルに紙と筆を置いた。
「筆談なら、いけると思って。はい」
「筆談って。俺は、この世界の文字の読み書きは得意じゃないし、俺の国の言葉はお前達に通じない」
「これでも、そう思う?」
「!」
言ってハルカは紙に『ハルカ』と、自分の名前を書いた。しかもこの世界の文字ではなく、日本語のカタカナで。
ハルカは落ち着いた調子で、スバルに言った。
「私、知ってるの。スバルが私と同じ世界から来てるって。その外見と格好で、前からそうではないかと思っていた。それに、この文字が読めるのは、その証。でも、肝心な部分は、この世界の皆に言えない。それも、私と同じ」
「……お前、一体、何者だ」
「ここから、筆談でいきましょうか。いけるところまで」
「……」
スバルは真剣にハルカと向き合った結果、自分の事情をハルカに説明する事に成功した。
ハルカもスバルに自分の身の上を打ち明ける事が出来て、ほっとした様子だった。
その筆談で分かった事がある。
ハルカは、スバルと同じ日本の出であるが、出身は違った。年齢は十八で、高校を卒業する間近にこの世界に飛ばされてきたという。
この世界に召喚された理由は何も分からない。この世界に召喚された時、ただ呆然と街中に突っ立っていて、お腹が空いてたまらず店の商品に手を出そうとした所を、ラインハルトに見付かってそれを止められ、この屋敷に上がり込むのに成功した。それがちょうど、フェルトが屋敷に来た時期と重なる。
以下は、筆談の内容によるものである。
『ラインハルト様は、王の権利を持つフェルト様を拾ってきたはいいけど、それの扱いに手を焼いていたらしいわ。ほかのメイド達も、フェルト様は勘弁してくれって泣きつかれて困ってたとか。そこへ丁度良く私が現れて、私を雇う事にしたらしいのよ』
『なるほど。お前のフェルトの扱い方が評価されたってわけか。……偶然にしちゃ、でき過ぎだな』
『そうね。これも、あなたをこの世界に召喚した何らかの力と関係あると思っていいかもしれないわね。……でも私は、あなたの蘇りの力の方が信じられない』
『俺だって最初はその力を持っているなんて、信じられなかった。でも、これは事実だ。俺はラインハルトやフェルトに会うまで何回もそれを経験しているし、実際、エミリアやフェルトが俺の目の前で何回か死んでいるのを目にしている』
『……ラインハルト様も、スバルの前で何回も死んでるの?』
『いや。エミリアやフェルトがやられた世界で、ラインハルトが何回か死んでいるのかは、俺では確認出来なかった。ラインハルトはしかし、俺が知らない所で何回か死んでいるかもしれないが、だが、あのラインハルトが簡単にやられるなんて想像がつかない』
『そうよね。あのラインハルト様が簡単にやられるなんて、想像できないわよね』
『……お前』
『何』
『何でもない』
スバルは、今のハルカの言葉でその秘めた恋心に気が付いて、しかし、それ以上を追及する気はなれなかった。
筆談を続ける。
『ハルカの方は、何か特別な力を持って召喚されたとかはないのか』
『全然。剣はもちろん、魔法も使えないのよね。リアルでも、部活で何をやっていたというわけではなくて、帰宅部だった。ただ、勉強と、お菓子作をはじめとする料理は得意だったかな』
『お菓子作りはともかく、勉強が得意って言える所は凄い能力じゃないか』
『それだけ、だったから』
『え?』
『リアルで私の得意なものって、それだけだったの。お菓子だって、住んでる街にそれ専門のお店がないから、テレビや雑誌を見て真似て作ってただけだし』
『……それでも、不登校で引きこもりだった俺とは大違いだ』
一息。
今度は、ハルカの方から筆を取った。
『スバルは、格好良いわね。エミリア様の死を何度も見ようが、立ち上がって、それを食い止めようとしているんだから』
『……俺は、そこまで格好良くない。エミリアを守るためとはいっても、ラインハルトやユリウスのよう、何の力も持っていない、ただの冴えない引きこもりだ』
『私は蘇りの力で未来を予見出来ても、それを止められる自信がないわ。それがたとえ、ラインハルト様の身に何か起きると分かっていてもね』
『……』
『どうしたの』
『……いや、今までこうやって自分の身の上やこの力に関して誰かに話して聞いてもらえる事なんてなくて、しかもそんな風に格好良いと称えてくれる相手も居なかった。だからっ』
『スバル……』
紙の上に、ぽたぽたと、水が落ちる。それがスバルの涙と分かったハルカは、彼が落ち着くのを待った。待っていてくれた。
『私にはスバルのように蘇りの力はないけど、私もこうやって身の上を聞いてくれるような相手が欲しかった。私も自分の事を口にすれば、言葉が封じられてしまって何も出来なくなる。でもこれで筆談が有効だと分かったのは、大きな収穫だった。これからもスバルが、私の相談相手になってくれると嬉しいんだけど?』
『ああ。俺もハルカが俺の相談相手になってくれると、嬉しい』
お互い、手を取って、笑いあう。
それから。
スバルは落ち着いた時を見計らって、今度はちゃんと声に出して、それをハルカに伝えようと思った。
「お前の得意なおやつって、ポテチと餅だけか?」
「ええと、ドーナツとかフライドチキンとか、ラーメンとかね。あの世界にあった定番のケーキもパンも作れる」
「マジか。凄いな。ラーメン、しばらく食べてないな……」
「この世界に来てから、そういうの、恋しくならない?」
「なるな。でも俺じゃ、再現は難しい。ラーメン……」
「ラーメンは食材を揃えるのがけっこう難しくて、たまにしか作らないのよね」
「何だ……」
「でもケーキやパンの食材集めは簡単だし、ポテチだってじゃがいもを油であげるだけだからけっこう簡単に作れるのよ。作り方、教えましょうか」
「ぜひ、教えてくれ。うちのメイドに教えれば作ってくれるかもしれない」
あの優秀な双子のメイドなら、再現は簡単だろう。スバルは、ハルカのレシピに期待をふくらませる。
「待ってて、今、それのレシピを持って来るわ」
ハルカは席を立って、ドアを開けた時だった。
「あら、フェルト様にそれから――フェリックス様も居られましたか」
「やばっ」
「あ、バレちゃったにゃ!」
ドアを開けた途端に、聞き耳を立てていたのはフェルトとフェリスだった。
スバルは、フェルトとフェリスを認めて顔を引きつらせる。
「お前ら、俺とハルカの話を聞いていたのか」
「いやー、だって、あのハルカちゃんとスバルきゅんが一緒だって聞けば、ねえ?」
「アタシの場合は、ハルカがまた餅を焼いたって聞いたからだぞ!」
フェリスは調子よく話し、フェルトはぶっきらぼうに答える。
フェルトがハルカに詰め寄る。
「なあなあ、アタシのぶん、残ってる?」
「残念。スバルが全部食べちゃった」
「兄ちゃん!」
ハルカがそう答えた途端、フェルトはドレスのスカートにしのびこませていた短剣を手に取ってスバルに襲い掛かってきた。
「おい待て、あれは俺に出されたぶんだぞ!」
「問答無用!」
フェルトはスバルに容赦なく短剣を向けるが、スバルもこれでやられるような男ではなく、自身もそのへんにあったナイフで対抗する。
スバルとフェリスが格闘している間、テーブルの上にあった紙の束を取ったのはフェリスだった。
「……ハルカちゃん、これ、ハルカちゃんとスバルきゅんが書いたのかにゃ?」
「あ、そうです。フェリックス様はその文字、読めます?」
「全然。さっぱりだにゃ。魔法を使っても解読不能だと思うヨ」
「やっぱり、そうですか……」
この世界の人間には肝心な部分は、何も伝わらない。ハルカはそれは紙の上でも同じだと分かり、がっかりと肩を落とした。
そのハルカを見て何か思う所があったのかどうか、フェリスは言った。
「ハルカちゃん。この量をみれば、スバルきゅんとけっこう重要な会話、してたんじゃないかにゃ?」
「はい。けっこう重要な会話です」
「やっぱハルカちゃん、ラインハルトが睨んでた通り、スバルきゅんと同じ国の出身だったんだ?」
「はい。それが分かっただけでも、良かったです」
ハルカはフェリスにその通りだったと、認める。
フェリスは少し考えた後、ハルカに向かってある事を提案してきた。
「フェリちゃんではこれを読むのは無理だけど、賢者レベルの魔法使いに頼めば解読してくれるかもしれないヨー」
「本当ですか?」
「うん。いつか、レベルの高い賢者がこれを解読してくれる、その可能性は捨てない方が良いと思うネ。その時がくるまで、この会話文、魔法で保存しておく?」
「え、魔法で保存出来るんですか?」
「何だと?」
フェリスの『保存』という言葉に反応したのはハルカだけではなく、スバルもだった。
スバルはフェルトを遠慮なく押しのけ、フェリスに詰め寄る。フェルトは尻餅をつき、しばらく動転していた。
「魔法で保存できるって、どういうわけだ」
「これを魔法の力で綴じておけば、火に焼かれようが、水をかぶられようが、半永久的に保存できるってわけだヨ。いざという時になれば、その魔法を解除すればいい」
「半永久的って事は、それが破られたらアウトって意味か?」
「そうだね。魔法が解かれたら、その効力は無くなってしまう。でも、それをかけないより、かけていた方が安全だと思うにゃ。誰かに捨てられたり、破られたりする前にネ。どうする?」
フェリスに言われたスバルは、ハルカと顔を見合わせる。
――もし、この文字を、この日本語を読める賢者が現れたら。
「頼む! ハルカとの会話文、魔法で保存してくれ!」
スバルは少し興奮気味に、フェリスに了解した。
フェリスもスバルには「了解にゃ」と快くそれに応じた。
しかし、ハルカは様子が違った。
「フェリックス様、私からも」
「ハルカちゃん。フェリちゃんに魔法を頼みたいなら、スバルきゅんと同じ呼び方で頼むにゃー」
「スバルと同じ呼び方って」
「フェリス☆」
「それは……、ラインハルト様から嫌な顔を……」
「此処に、ラインハルトは居ないにゃ」
「……」
「さあ、さあ。どうする、どうする? 此処でフェリちゃんをフェリスって呼ばないと、魔法使わないヨー?」
「……リス、様」
「聞こえないー」
「フェリス様、お願いします!」
「ふふふ、ようやくフェリちゃんをその名前で呼んでくれたねえ、ぞくぞくするねえ、本当に。まさしく、主人の居ない間に人妻に悪さする間男の気分だよー。あはは」
「フェリス、お前……」
フェリスは陽気に笑うが、そのやり取りを一部始終見ていたスバルは引き気味だった。
「さて、それじゃいっちょやりますか。いざ!」
「……」
ごくり。スバルは、フェリスの手に光が集中する場面を見て息を飲む。
と。
「兄ちゃん! よくもアタシからハルカの餅を奪い取ったな!」
「!」
今まで尻餅をついて動転していたフェルトが復活し、スバルに向かって体当たりをした。スバルはそのせいでよろけて、魔法をかける最中だったフェリスにぶつかる。フェリスもよろけて紙の束を落とし、そして。
ドン! フェリスは壁にぶつかり、壁にかけられてあったランプが落ちて、それにあたるのは――。
「俺とハルカの会話文が!」
「いや、それより早く火を消せ!」
スバルは何とかして紙の束をランプの火から守ろうとするが遅く、それをフェリスに止められる。紙に燃え移った火は次第に部屋全体へと回っていく。
「げほっげほっ」
「フェルト様、きゃああっ」
「フェルト、ハルカ!」
「皆、部屋を出ろ! こっちだ!」
火よりも煙でむせ返り身動きが取れなくなったフェルトを救うのはハルカで、火の勢いに怯んだハルカとフェルトを咄嗟に脇に抱えるのはスバルで、その三人に指示を出すのはフェリスだった。
部屋を出た三人を待っていたのは、フェリスの魔法だった。
「フェリちゃんの水の魔法で、火を消す! 離れて!」
「了解!」
スバルはハルカとフェルトを抱えたままフェリスの指示通りそこから離れて、彼の水の魔法で部屋一面が水浸しになる様を見ていた。
火はフェリスの水魔法により、五分ほどで鎮火した。
「皆、大丈夫かにゃ?」
「俺は、大丈夫だ」
「アタシも平気だ」
「私もです」
フェリスが皆の無事を確認すれば、スバル、フェルト、ハルカの順で返事がきた。
「ああ、俺とハルカの会話文が……」
「客室が、水浸しの丸コゲに……」
スバルは、自分とハルカの会話文がせっかく魔法で保存できるとあったのに火でボロボロになったのを見て愕然とし、ハルカの方は客室が水に浸かって真っ黒になっている事に愕然とした。
そして。
「……これ、スバルにかけられた『呪い』のせい?」
「多分な。俺とハルカの身の上をこの世界に知らせないようにするためか。これじゃあ、俺達の事情を文字で残すのも無理そうだな……」
スバルは、ハルカの呟きに応じて、その『呪い』の威力を知って絶望する。
と。
「ハルカ!」
「!」
騒ぎを聞きつけたらしいラインハルトが、焦った様子でやって来た。
「ハルカ、無事か!?」
「あ、はい、私は見ての通り、無事です」
「火傷していないか、煙は吸っていないか」
「はい。大丈夫です」
「それは、良かった……」
ラインハルトは本当に安心したよう、ハルカの手を取った。
そして。
「フェルト様も無事のようで、何より」
「……アタシは、ハルカのついでかよ。ま、いいけどな」
「フェリス、咄嗟に魔法を使ってくれて、ありがとう」
「こういう時こそ、フェリちゃんの魔法が活躍する時だよねー☆」
「スバル、ハルカとフェルト様を守ってくれて、ありがとう。感謝する」
「……いや、別に感謝される事はやっちゃいねえよ」
スバルは、この場に居る人間にそれぞれの言葉をかけるラインハルトのやり方に感心している。
スバルはラインハルトに向けて言った。
「それでラインハルト、お前、ハルカが俺と同郷だって気が付いていたのか」
「だいぶん前にね。ハルカと君の言動が似通っているし、外見も雰囲気も同じだったからね」
「今日、俺とハルカを二人きりにしたの、わざとだったのか」
「ああ。僕が居ては、ハルカも君も、自分の国について話し難いと思って」
「……お前、ハルカが自分の国について何も言えなくなるのも、知っているのか」
「ハルカに自分の国は何処かとか、家族は居るのかとか、何度か聞いてもそれに答えてくれないと言うか、答えられなかったようだから。そうか、スバルにはちゃんと話せたみたいで良かったよ」
「ラインハルト様……」
ハルカは、スバルのやり取りの間にも自分を気にかけて微笑んでくれるラインハルトに、すっかり心を奪われたようにうっとりしていた。
それから。
「ハルカ、今日は疲れただろう、もう下がって良い」
「でも、部屋が丸焦げで水浸しになってしまったので、それの後片付けをしなくてはいけません」
「それは、屋敷で雇っている魔法使いの連中に頼めばいい。一室くらいなら、人の手より、魔法を使った方が早いからね」
「でも……」
「ハルカが責任を感じてほかのメイドの目を気にするならそうだな、僕のために得意のおやつを作ってくれないかな」
「ラ、ラインハルト様のためにですか」
「ああ。僕のために。……無理そうなら、頼まないが」
「い、いえ、ラインハルト様のためなら、何でも作ります! お任せください!」
「あはは、それは頼もしいメイドだな。訓練で、腹を空かせてきて良かった」
ラインハルトとハルカは言いあいつつもぴったりくっついたままで、そこから離れていった。
スバル達を忘れて。
取り残されたスバルといえば。
「……何だあれ。あれで本当に付き合ってないのか」
「兄ちゃん、二人がああなったらアタシ達じゃ口出せないし、口を出せば色々面倒だから間に入るの止めた方が良いぜ」
「あれ、周りは二人の気持ちに気が付いてるのに、本人同士は自分達の気持ちに気が付いない、面倒なパターンだよネ☆」
呆然と二人を見送るスバルにそうアドバイスをするのは、フェルトとフェリスだった。
そしてフェリスは、スバルに顔を近付けて言った。
「スバルきゅんに警告」
「え」
「もし、今回でスバルきゅんがハルカちゃんを気に入ったら、ラインハルトの奇襲に気を付ける事にゃ☆ ラインハルトは、気に入ったものがあればそれを自分の手の中に入れていないと気がすまない男だからにゃ~、ハルカちゃんが自分の知らない所で別の男の所にいったのが分かればあの聖剣を使って問答無用で切りかかってくるにゃよ」
「マジか」
「フェリちゃんも、それで痛い目にあったから分かるんだヨね~」
「……、さっきハルカにフェリスって呼ぶように強要してたのも、そのせいか」
「そうそう。さすがスバルきゅん、察しが良いね~。フェリちゃん、ハルカちゃんと街まで買い物に出かけただけなのに、それがラインハルトにバレて、突然に剣を向けられてその時は本当に死を覚悟したからネ」
「……お前の場合、ラインハルトでなくても、切りかかられるの分かる気がするが」
スバルは、死を覚悟したというわりにいつもの調子を崩さないフェリスを見て、顔を引きつらせる。
「でも本当、ハルカちゃんが絡むと、ラインハルトはスバルきゅんでも容赦しないからね~。気を付けて~」
「俺は、ハルカに本気になる事はない。俺が本気になってるの、エミリアだけだからな」
「……それはそれは。エミリア様本人が居ない前でもそう言い切れる所は、スバルきゅんらしいネ」
フェリスは、此処でも簡単にエミリアの名前を出して自分の気持ちを隠さないスバルを見て、苦笑する。
でも。
「――でも、ハルカが気に入ったのは否定しない、かな」
「え」
スバルのその一言には、フェリス本人はそうくるとは思わなかったよう目を見張った。
「スバルきゅん、フェリちゃんの警告、聞いてた?」
「聞いてたさ。ハルカに手を出せば、ラインハルトに問答無用で切りかかってこられるってのは」
「それじゃあ……」
「だが、ハルカの事情を聞けば、ラインハルト抜きで二人きりで話さなくてはいけない時もあるだろうさ。その時に俺はラインハルトに遠慮せず、ハルカを連れて行くかな」
「スバルきゅん……」
「俺はエミリア以外でも、気に入った子は、どんな手を使ってでも守るって決めてるんだ。ハルカもそのうちに入るってだけだ。そうなった時は、ラインハルトに遠慮いらねえよな」
「やだ、フェリちゃん、そんなスバルきゅんに惚れそう。フェリちゃんもスバルきゅんの手で守って欲しいな~」
「お前、男だし、守る必要なんてないくらい強いだろ……」
スバルは、自分の言葉を聞いて乙女のように恥じらうフェリスを見て呆れるも、顔は笑っていた。
「フェリちゃん、スバルきゅんがラインハルトにやられそうになった時、回復魔法だけはかけてあげる準備はしておくよ~」
「あはは、それは助かる」
「兄ちゃんは、やり方さえ間違えなければ騎士団に入ってラインハルトが居るクラスまで上り詰めたかもしれないのに、本当、もったいないよな……」
フェリスに言われて笑い飛ばすスバルを見たフェルトは、つくづくそう思った。