そういう訳で私は、正式にマグナ先輩と付き合うようになった。
といっても、マグナ先輩が旅から帰って来るまでは喫茶店のバイトをする毎日で、生活はマグナ先輩と付き合う前と余り変わり映えしない。
それでも。
「ただいま」
「お帰りなさい」
私はマグナ先輩が旅から無事に帰ってくれる事が一番嬉しくて、とびきりの紅茶を注いで彼を出迎える。
マグナ先輩も私を見るなり喫茶店でお客の目もお構いなしに、犬みたいに抱きついてくる。私は内心ではもっとと思うけれども、そこは我慢してマグナ先輩の加減に任せる。店内でもそんな事が続いたものだから、とうとうパッフェルさんから「お客さんから店長に苦情があったんですって。二人とも店内で、いちゃつくの禁止!」と、呆れた風に言われてしまうほどである。
これなら。
「今まで稼いだぶんで、一人暮らししようかな」
そんな事を呟けば、
「良いんじゃない? パッフェルさんとか店長に迷惑をかけないですむし、何より、人の目を気にせずにすむしね」
マグナ先輩もそれに大いに賛成してくれた。
私はマグナ先輩の後押しもあって、一人暮らしを計画し、それを決行した。
しかしマグナ先輩はよくても親に許しを得られるかどうかが問題だったが、それもあっさりと「が一人暮らししたいのなら、しても良いよ」と了解を得られてしまった。何処まで物分りの良い親なのか。いやしかし、蒼の派閥を逃げ出してヨルミヤの名前を汚した私はヨルミヤにとっては不要の人間で、疎ましく思ってさっさと出て行かせたかった心境だったかもしれない――そう思っていたら、一人暮らしを始めるその日になって母親が私の心を見透かしたよう、
「まあ、は今までの事から自分はヨルミヤに不要だから排除したくて、あっさりと許しを得られたかもって思ってるでしょうけど、違うわ」
そう前置きした上で、語り始めた。
「私達は、正直言うと、が蒼の派閥を逃げ出したと聞いた時、ヨルミヤはもう終わったと思ったわ。蒼の派閥を逃げ出した召喚師がたどる道は、悪い連中そそのかれて、金儲けの道具として利用されるしかなかったもの。他の店では信頼が第一だから、そんな、派閥を逃げ出したような子を雇ってくれるものでもないしね。それで私達はを連れて、一家総出で夜逃げ覚悟してたのには『バイトする』と言った。これが長続きするかどうかは、分からない。でもお父さんはを信じて、のやりたいようにやれば良いって言うのよ。多分それを承諾したのは、がこれに反対されてそれに反抗して、『はぐれ』にならないようにって事だったのかもしれない。私も、お兄ちゃんとお姉ちゃんも、それを危惧していたから、お父さんの意見に賛成したのよ。……弟だけはいまいち納得いかない顔だったけど、がヤケになって悪い道に進まれるよりはマシだって説得したら最終的に納得してくれたわ。
そして私達の予想に反しては、バイトを真面目に長続きしていた。通常、名家の召喚師が召喚師を辞めるというのは、世間の厳しい目も耐えなくてはいけないというのに、は、それをものともせずにバイトを続けているのよね。がヨルミヤの召喚師でなくっても、はヨルミヤの人間である事に誇りを持ってたのよ。私達はちゃんと、のその姿勢を見ていた。
は上の兄弟と同じよう、ヨルミヤの人間として立派に自立している。だから私達も、の一人暮らしをあっさりと許したのよ。別にあなたがヨルミヤにとって不要だからという理由ではないわ」
……この時の私は、何を思ったのだろうか。
親は親なりに、私を思っていてくれたのか。そしてそれを許してくれたお兄ちゃんとお姉ちゃん、……ついでに弟にも感謝しなくては。
「それからね」
母は何か決心したような顔で、続ける。
「――それからが召喚師に向いていないと早めに気がついて、良かったと思うわよ。それに気がつかないままダラダラと召喚師を続けられても、周りに迷惑をかけるだけだもの」
「……な」
何で、いつ、気がついて。私は裏の理由――真実を、親兄弟には明かしていなかったというのに。
私が唖然としていると、母親はくすくす笑いながら、その真相を明かした。
「ジラールさんの所の、ギブソンさんからよ」
「あ……」
ギブソン先輩なら、やりかねない。……こんなの、分かりきった事だったのに何でその範囲が自分の家族まで及んでいると気がつかなかったのか。
「実を言えば、私とお父さんだけは、ギブソンさん経由でが召喚師を辞めたい本当の理由が最初から分かってたのよ。でも他の兄弟の手前、だけ特別扱いするわけにもいかないでしょう。あの時はヨルミヤのせいで決着がついたけど、が召喚獣を自分の手で消したくないっていう思いも分かるのよね。
お兄ちゃんとお姉ちゃんは蒼の派閥では成績優秀者でもあったから、お城のお抱え召喚師として優遇されているけど、成績不振のであれば、たとえ昇格試験に合格出来たとしても何処に飛ばされるか分からない不安があったのよ。例えば、国境付近の戦場とかね。戦場では、召喚獣に情をかけている暇も無い。利用出来るものは利用しなければ、自分の命の方が危うくなるわ。それ以外でも、蒼の派閥の嫌な実験なんかにが参加するのも嫌だったわ。
それだから私とお父さんはそうなった時のが心配で、が蒼の派閥を辞める事を選んでくれて安心してたのよ」
「お母さん……」
愚かなのは、自分の方だったのか。
そして母は私を抱き締めると、優しく言った。
「が自分がヨルミヤには不要だと思っても、私達には必要な子なのよ。あなたはヨルミヤ関係無く、私とお父さんの子で間違いないんだから」
「はい……」
私がうなずいたのを見るとお母さんは、私から離れた。……少し名残惜しいのは、内緒にしておこう。
「あ、そうそう」
「何?」
荷物を抱えて出て行く時になって、母親が私を呼び止めた。
「にはもう、一緒に暮らす予定の彼氏が居るんでしょ。良い時にでも、連れて来なさい」
「!」
一人暮らししたい理由がそれだって、思い切りバレてたよ!
私はニコニコしてその返事を待っている母親に「あー、うん、まあ、今度ね」と曖昧に誤魔化して、慌てて家を飛び出した。
それから私がマグナ先輩を待つ場所は、喫茶店から一人暮らし用に貸し出している小さな家へと、移った。
因みにマグナ先輩と同棲予定はなかったりする。何故ならマグナ先輩は仲間達と、ギブソン先輩の屋敷で暮らしているせいだ。
まあ、それでも一人暮らしを始めて良かったと思える事はあった。
これは、私がいつものよう、マグナ先輩の為に紅茶をいれている時だった。
「熱ッ」
「、大丈夫か」
カップに湯を注いでいたら、その熱で指を火傷してしまった。二番目の指が赤く腫れている。私の声に驚いたマグナ先輩が、台所までやって来た。
「あ、何でもないですよ」
「何でもなくは無いだろう。指、見せて」
マグナ先輩が問答無用で、私の火傷した指に触れる。
「やっぱり、火傷してる」
「こんなの、水で冷やせばどうって事ないですよ」
ははは。私は笑って桶に入れてあった水に指を突っ込もうとするも、それはマグナ先輩によって手を掴まれ、敵わなかった。
「先輩?」
自然と火傷した指がマグナ先輩の顔まで近付いて、そして。
ペロリ。
「!」
マグナ先輩が、私の火傷した指を平然と舐めてきた。
いや、それは、さすがに。
「何?」
「い、いや、その、あの、ええと」
うわーうわー、いきなりだったのでどう反応して良いか分からない。そして顔が熱くなるのが、嫌でも分かった。
「って、可愛いよね」
「!」
私の反応を見てくつくつと笑うマグナ先輩と、それでマグナ先輩にからかわれているだけだと気がついた私と。
「も、もう、何ですか、からかわないでくださいよ」
「俺、本気で言ったんだけどなぁ」
え。
「」
「あ……」
お互いの顔が近付く。
私は、マグナ先輩と付き合い始めて何回目かになるか分からない口付けをした。
この一人暮らし用の家ではマグナ先輩と二人きり、誰にも――マグナ先輩の仲間達だってこの世界には入れない、甘い空間に酔い痴れる。
とても、幸せだった。
しかし、その後、私達の前に様々な試練が立ちはだかった。
その一つ、マグナ先輩はその後になって自身の出自に関わる重大な秘密を知って鬱状態になってしまう。しかしマグナ先輩は仲間達の手によって再度立ち上がり、デグレアのみならず悪魔まで聖女を守る戦いに最後までやり遂げたのである。この時の私といえば、マグナ先輩には何もせず、あの家で待っているだけだった。それというのも、マグナ先輩の先祖の真実を明かすきっかけとなった禁忌の森でその場面に遭遇した訳でもないからだ。マグナ先輩を復活させるにはやはり、その場面を見た仲間達、あるいは、マグナ先輩と同じ境遇のアメルかネスティ先輩でしか手を貸せないのだから。
彼等の冒険に参加していない私はどう足掻いても、マグナ先輩の世界には入れない。
仲間達の手によって復活を遂げたマグナ先輩は金の派閥の協力を得て、デグレアを撤退させた。これもマグナ先輩が、蒼の派閥と金の派閥の架け橋になったおかげだという。
悪魔の軍勢によって勃発した傀儡戦争も、クレスメントの力に目覚めたマグナ先輩を中心に、蒼の派閥と金の派閥のみならず、ゼラムの王城も一丸となって立ち向かい、撃退に成功する。
その後のマグナ先輩といえば、冒頭で記述した通り、蒼の派閥や金の派閥、聖王国、帝国等にクレスメントの力を期待されて、世界の何処かで何らかの敵と戦っている。
私はマグナ先輩がどんな目にあおうが何も言わず、ただ、彼が無事に帰って来た時の為に紅茶を用意して、その時の話をしてくれるのを待っているだけだった。
そして話は、現在に戻る。
私とマグナ先輩の関係は、あれからもう五年も続いている。
しかし、交際が順調に続いていたとは言えず、五年の間に何十回と喧嘩もした。それは私と離れている間にマグナ先輩が何処かの国で他の女と浮気でもしてるんじゃないかと疑ったり、私はこのまま待ってる女で良いのかと悩んだ時があったり、マグナ先輩は私を利用しているだけではないかと思い詰めた事もあったせいだ。マグナ先輩もそんな私に呆れて言い返す事もあれば、黙って家を出て行ってしまう事もあった。けれどマグナ先輩は、結局は必ず私の家に帰って来てくれる人だった。私はマグナ先輩が私の家に帰って来てくれるだけでそういう喧嘩をした事も忘れて、いつもの紅茶を用意して彼を出迎えるのである。五年間、そんな事の繰り返しだった。
……ついでに五年の間に、体の関係も持った。それなのに私はマグナ先輩と一緒に暮らしてもいないし、二人の間に子供も居ない。マグナ先輩は未だにゼラムに帰って来てもギブソン師範達の屋敷だったり、レルム村だったり、他の国でも泊まる家はあるとか言うし、それなら私の家だって単なる宿泊施設としか思っていないかもしれない。
私はそんな事の積み重ねもあってマグナ先輩に、その不満を口にした。
「……何で、明日なんですか。明後日まで居られないんですか」
「いや、その、だから旧王国で暗躍している連中の動きが掴みづらくてさ、それを把握する為にも早いうちから現地入りした方が良いって話なんだ」
それもネスティ先輩の知恵だろうが、私はそれに納得いかずにマグナ先輩に詰め寄る。
「マグナ先輩だけ、明後日に現地入りするとか」
「無理だ。旧王国に入るのって、色々制限があって、面倒なんだよね。それでルヴァイド達がデグレア時代のツテを頼ってその面倒を簡略化してくれたおかげで、明日、旧王国の国境付近まで行けるようになったんだよ」
マグナ先輩は私をなだめようと、努めて優しく説明する。
私は納得いかないまま、しかし反論する気にもならず、黙り込む。
「……」
「……」
嫌な沈黙が続く。
私は溜息を吐いて、自分の思いをマグナ先輩に言った。
「……私は、マグナ先輩が月に半分でも帰って来てくれればそれで満足してたんですけどね、でも今回は、一ヶ月も留守にしていましたよね。しかも、トレイユでの事件は半月でもう終わっていたのに、何故か一ヶ月も居残っちゃって」
「それはその、トレイユの復興の手伝いとか、世話になった宿屋の主人のライ君の手伝いとかしててさ」
「どうですかねえ」
私はマグナ先輩の言葉は信じないと、彼から顔を逸らした。
「……」
「……」
沈黙。
「……あーもう」
マグナ先輩の呆れる声が、嫌でも大きく聞こえた。
そして。
「これは、旧王国の事件が解決するまでに内緒にしておこうと思ってたんだけど」
マグナ先輩は真面目な調子で、そう切り出した。
何だこれは、いよいよ、ワガママを言う私に呆れて、別れ話を持ちかけられるのか。
それに身構えていたら。
「俺、旧王国の事件が終わったら、長い休みを貰う事になってるんだ」
え。
「長い休み、ですか?」
「うん。ずっとネスとか、派閥関係者にそれを掛け合っててさ。それで、今回の旧王国の事件を解決すれば、もう、無色の連中も赤き手袋も少しは大人しくなるだろうから、その後に長い休みをくれるっていう約束を取り付けてきた。ネスもこれには納得している」
「……先輩はその休みをどうするんですか」
仲間を大事にするマグナ先輩の事だ、どうせその休み全部を私の為に使うのではなくて、ネスティ先輩達と楽しんだりするんだろうなぁ。
マグナ先輩は微笑み、言う。
「休み使ってさ、新しい家、探さない?」
「え?」
私は目を瞬きさせて、マグナ先輩を見詰める。
「新しい家?」
「うん。今まではが一人で生活してたからこの小さな家でも十分だったけどさ、これからは俺も一緒に住むし、ええと、子供が出来た場合もこの家じゃ手狭じゃないか? 今までの稼ぎでそれくらいの家を買える資金もたまってるし、だから」
「……本気で言ってるんですかそれ」
「本気だ」
私は。
「……どういう心境の変化ですか。今までそんな話、ありませんでしたよね」
マグナ先輩は私と一緒に暮らす気もなければ、子供だって別に要らないと思っていたのに。
「それね。今まで国の為にがむしゃらに仕事を頑張ってきたけどね、これじゃあ一人で待ってるがあんまりだって、ケイナ達から非難があってさ。俺がそこまで頑張ってるのはクレスメントの一族の罪をこれで償っているつもりだろうけど、それももう十分し、レルム村の復興もクノンのおかげで落ち着きそうだから、だから少し休みを取ってとそういう事、話し合ったらどうかって。
でもその時の俺は、自分がを養える自信がなかったんだ。は一緒に暮らすとなればこんな俺でも良いのか、ならもっと良い男が現れてそいつと暮らした方が幸せになるんじゃないかとかさ。
色々悩んでる最中にトレイユの事件が起きた。そのトレイユの事件で知り合ったライにそんな事も相談してたら、ライに『彼女が好きなら、一緒に暮らせば良いんじゃないか。それで何を悩む必要があるんだ』って、きっぱり言われたよ。それで決心がついた。
そして、旧王国の事件が終わって長い休みを取ったらそういう事も含めてと話そうと思ってたんだけど、の機嫌を直したくて、今、話したというわけだ」
「……」
世界が変わる。
「改めて言うよ。、旧王国の事件が終わったら、俺と一緒に暮らそう」
「……もう、何でこんなに格好良いのよ」
本当に、もう。
私はこれが返事だと言わないばかりに、マグナ先輩を抱き締める。
「、こんな俺とでも良いのか」
「良いに決まってるじゃないですか」
マグナ先輩も私の背中に腕を回して、力を込めてくる。
私はマグナ先輩の耳元でささやく。
「私の好きな人は、マグナ先輩だけです」
「俺の好きな人は、だけだよ」
マグナ先輩もそう言い返して、二人して、くすくす笑いあう。
そしてマグナ先輩は、とんでもない事を要求してきた。
「……あのさ、のマグナ先輩っていうの、もう止めないかな」
「え」
「俺の事はマグナで呼び捨てで良いし、敬語も要らないし」
「う、え、い、今更無理ですって」
五年前からこの呼び方と敬語が染み付いて、今更抜け出せない。
「ベッドでは、呼び捨てなのになぁ。今は無理?」
「……無理です、勘弁してください」
いや本当に。
「それじゃあ、俺が旧王国に行っている間、は俺を呼び捨て出来るかどうか練習しておいてよ」
「ええっ」
「俺が此処に帰って来た時に、その練習の成果が出ない時は」
「……その成果が出ない時は?」
私はごくりと息を飲み、マグナ先輩の答えを待つ。
「一日、俺の言う事を聞くってどうかな」
「えっ」
「反対に、がそれを達成した時は俺がの言う事を聞くで、どう?」
「なるほど。それは良いですね。それなら受けてたちましょう」
私がその賭けに勝利してその時にマグナ先輩をどうしてやろうかと思えば、やる気が出るというものだ。
と。
「さて、今後の事も決まったし、、しようか」
「え、あ……」
私はいつのまにかマグナ先輩の下に居て、マグナ先輩が私の上に居るという状態である事に気がついた。
「いやいや、旧王国の出発は明日なんですよね。明日の為に、体力残してた方がよくないですか」
「俺、クレスメントの力を受け継いでいるせいか、体力には自信があるんだ」
こういう時だけクレスメントの力を嬉々として活用するのって、どうなんだろう……。
「が一ヶ月我慢してたという事は、俺も一ヶ月我慢してたんだけどね」
「……」
「それともは、俺とするの、嫌か」
「い、嫌じゃないですよ」
私が断れないのを知っていてそう聞いて来るから、意地悪な人だ。
それでも。
「は俺のものだからね、逃がさないよ?」
「あ……」
マグナ先輩の微笑むその顔がとても格好良くて、それにくらくらして、結局はそれに応じるように彼の首に自分の腕を巻きつけている。
そして私はマグナ先輩と、夜を楽しむ。
その後。
「それじゃあ、行って来るよ」
「はい。気をつけて」
翌日にはマグナ先輩は説明通り、仲間達と旧王国に向けて旅立った。
私はそれに文句も不満も無く、マグナ先輩を快く送り出した。
マグナ先輩と次に会った時、私の世界も変わるのを夢見て。