風邪を引いてしまった。
一昨日くらいから風邪を引いてしまい、身動きが取れなかった。咳が出て喉も痛いし、熱っぽい。体がだるい。最悪だった。
ホツバさんいわく、
「別の世界から来た人間は、此処の世界の病原体の免疫力が低くて、同じように此処の薬も効きにくいでやす。本来ならあっしらがその人の元の世界に行ってそこの薬を調達してさしあげるんでやすが、その、ハルコさんの場合、あっしらでも元の世界の行き方が分かりやせんので……、打つ手が無いんでやす」
らしい。
医者のザフラーさんいわく、
「自然に治るのを待つしかないな。何、ただの風邪だ。他の奴等より治りが遅いだけで命に別状は無いから安心したまえ」
らしい。
そうして私は絶対安静の状態で、医務室で風邪が自然に治るのを待つ身であった。
しかし、風邪を引いて寝込むとは情けない。星の印も持たない上、ワスタムさんの手伝いも出来ないような女が果たしてこの城に必要だろうか。これではただの足手まといで、何の役にも立たない。ワスタムさんもこんな私に呆れて、別の使える人を入れているかもしれない。風邪が治って食堂に復帰したのは良いが、そこに私の席が無かったら笑える、て、洒落にならんわ!
この場にハオが居なくて良かったと思う。ハオは今、マリカ、ジェイルと一緒に今までの交易品を各地に売りに出かけているから当分は帰って来ない。彼らが帰還するのは多分、少なくとも一週間以上先だと見積もるのは、今回ばかりは城に何かあった時の為に居残っているリウの談である。それだから私は、ハオ達が帰るまでに風邪を治さないといけなかった。
「ハルコ、具合はどうです?」
医務室に顔を出したのは、エリンだった。
エリンは私が風邪を引いてから、毎日のように医務室へ顔を出して城の様子を報告してくれる。最初はエリンにも風邪が移っては大変だから気にしなくて良いと断りを入れたが、エリンは「宿屋の娘だからほかの人以上に病気の耐性がついているから大丈夫です」といつもの笑顔で言ってくれたのだった。まあ、不特定多数の客を相手にする宿屋の娘ならその言い分は通るだろうと判断したのはザフラーさんである。
「今日は、ポーパスの皆さんがハルコの見舞いに行きたいって言ってたんですけど、風邪が移るといけないからって断っておきました」
「うん、ありがとう」
「それからこれ、ロベルトさんからです。医務室に行けないならお守りくらいは渡して欲しいって」
「うわー、綺麗な花だね」
ロベルトから綺麗なピンク色の花の押し花で作られた栞を貰ってしまった。
あの人にこんな趣味があったとは、と思っているのを見透かしたかのようにエリンがくすくす笑いながら言った。
「それ、アストラシアにしか群生しない花です。その花は私達であれば、風邪の薬にもなるんですよ。だからロベルトさん、ハルコにお守り代わりにくれたんだと思います」
「そうかあ。風邪が治ったらお礼を言わないとな……ッ、ゴホッ、ゴホッ」
「大丈夫ですか」
エリンが私の背中をさすってくれた。
エリンが世話してくれるのは私もありがたい、けれども。
「エリンさん。今日の面会は此処までです」
「はい……」
ザフラーさんの助手であるユーニスさんに言われては、エリンは大人しく引き下がるしかなく。
「エリン」
「はい?」
私が病室を出て行くエリンを引き止めたのは。
「いつも、ありがとう」
「……、良いんですよ。私がしたい事をしているだけですから」
エリンは笑顔でそう言って、病室を出て行ってしまった。
それから一週間が過ぎるも、私の風邪は一向に治る気配が無かった。
咳も鼻水も喉の痛みも熱っぽさも鎮まらない。風邪ってこんなに苦しかったっけ? もしかしてこの世界特有の何かの病に冒されているとか。ザフラーさんは命に別状は無いと言うけれど、ひょっとして命の危険に関わる病気ではないか。エリンもそれで此処ぞとばかりに私を気にかけて。……駄目だ。人間弱ると、悪い方向にばかり考えが向いてしまう。
エリンは毎日相変わらず顔を出してくれるし、ユーニスさんも喉に効く薬湯を何回かくれたけどそれは気休めにしか過ぎず、風邪は中々治らなかった。
今はザフラーさんが処方してくれた鎮静剤のお陰で咳は収まっているけれど、それも気休めにしか過ぎない。鎮静剤の効き目が無くなればまた咳が出るから。それでも鎮静剤を打たないよりは打った方がマシだった。鎮静剤を打った直後は強い眠気が襲う。寝ている間は咳も鼻水も関係無くなるので良かったけれど。鎮静剤が効き始めて、いつものようにうとうととした所だった。
何やら医務室の前の廊下が騒々しい。そう思った時。
「――ハルコ!」
医務室の中でハオの声が響いた。
まさか。
ハオが帰るまでまだ間があったはずだ。リウが嘘を吐くはずが無いし。これは夢? 夢に違いない。夢だ。夢の中の出来事だろう。ああ、私は夢の中までハオを求めているのか。
「――! ――!」
夢の中でハオが何かを叫んでいるが、その内容は私には何も届かない。
これは夢だから、私にハオの声が届かないのは当たり前なのかもしれないと思った。
それならば私の声もハオには届かないと思った。
自分が弱っていたせいもあるかもしれない。
夢の中なら何とかなると思ったせいかもしれない。
夢ならばその星を掴めると思った、だから。
「私、ハオが好きよ」
私はそれだけ言って満足した後、夢なのにおかしな事だ、そのまま意識を手放した。
まだ頭がぼうっとしている。
此処はハオの世界だろうか? それとも自分の世界だろうか。辺りは静まり返り、暗闇ばかりが目を覆う。
その中でランプの明かりを見付けた。
ランプは机の上にあり、その机の椅子に背中を丸めて座っているのは。
「……、ザフラーさん?」
「ああ、鎮静剤の効き目が切れたか」
ザフラーさんが私に気付いて、振り返る。
そこに居たのは確かにザフラーさんその人で。
「あー……何だ、ハオの世界かあ」
私が天井を仰いで呟いた所で、ザフラーさんが机から離れて私の傍へ来た。
「どうした? 団長の世界で何が不服だ」
「ああ、いや、寝た後で目が覚めたらいつも思うんです。目が覚めたら元の世界に戻ってるんじゃないかって」
「そう言うハルコは、元の世界に戻りたいと願うのかね?」
「……どうでしょう? ハオのお陰で知り合いもたくさん出来て、この世界に居るのは楽しいから、何とも言えませんね」
そう、ハオのお陰で私の寂しさは軽減されている。
元の世界の両親や友達はどうしているのかと思う事もあるけれど、それ以上に今の生活も悪くはないと思えるから不思議だった。
それらは全部、ハオのせいで。
「団長のお陰、ね。確かに私も団長の力は凄いと思う。冥夜の騎士団を始めとして、ポーパスにフューリーロア……、この城の中には彼のお陰で救われた奴等は多い。かく言う私もその一人だがね」
ザフラーさんは肩を竦めてみせた。
その後で。
「あれは、星を掴む男だ」
ザフラーさんは私にそう言い放った。
「星を掴む男?」
「そうだ。あいつは、私達が掴めないと思う星をあっさりと掴んでかっさらっていく。団長はそういう男じゃないか」
「……確かに、そうですね」
私にとってのハオは星であり、彼もまた別の星をあっさりと掴める男である。
ザフラーさんの言葉に私は非常に納得した。
「ハルコもその星を掴む男にあっさりと捕まったんだ。元の世界への未練はあるだろうが、このまま団長という名の星の下でこの世界をハルコも楽しむが良いさ」
「……、そうですね」
私はまさかこの時のザフラーさんの言葉にある意味が含まれていた等、知る由も無く。
「おや、咳が出ないみたいだが?」
「あ」
ザフラーさんに言われて初めて私は喉の痛みが引いている事を知った。
ザフラーさんが私の額に自分の手をあてがう。
「ふむ。熱は引いているな。喉の調子はどうだね」
「ああ……、以前より痛みがありません。スーッとしてます」
「なるほど。……これも奴のせいか?」
「はい?」
ザフラーさんの言葉に私は引っかかるが。
「こちらの話だ。明日は、何も無ければそのまま食堂へ顔を出しても良いぞ」
「本当ですか」
「私が言うのだから、間違いは無い。安心したまえ」
「ありがとうございます」
はあ~、これでハオが帰って来るまでに復帰出来るぞ。
良かった、良かった。
「後は、朝までゆっくり寝ておけ」
「はい」
私はザフラーさんの言う通り、もう一度目を閉じた。
そして、朝。
「おはよう。おや、ハルコ。具合はもう良いのか」
「おはようございます。お陰様で随分と調子が良くなりまして」
私はいつものよう、食堂に一番乗りで顔を出すクロデキルドさんに近付く。ああ、その凛々しい顔を拝見するのも一週間振りだな。相も変わらず美しい、とはまさにクロデキルドさんの事だ。
驚いた事に、食堂で私の席はまだあった。朝、恐る恐るワスタムさんの所へ顔を出せばシスカさんにこれは嬉し涙だと言って泣かれて、エリンも嬉しそうに私の復帰を喜んでくれて、ワスタムさんも「これをクロデキルドに運んで来い」と言って私に仕事を与えてくれたのだった。少し、感動してしまったのは彼等に内緒にしておこう。
クロデキルドさんは言った。
「そう、それは何よりだ。ハルコが居ない間の食堂は何処か沈んでいてね、私も落ち着かなかった」
「え、い、いやそんな、私なんかが一人居ても居なくても変わらないじゃないですか。私は城の皆のような力は無いですし……」
「そうやって、自分を否定するのはハルコの悪い癖だな。この城の中でも、ハルコを必要としている人間も少なからず居るという事を覚えていて損は無いよ」
「……」
クロデキルドさんの言葉はいつも私の胸を打つ。クロデキルドさんは病み上がりの私を気遣って言ってくれたのだろう。
と。
「クロデキルド様、おはようございます! ……て、ハルコ! 風邪はもう良いのか」
「ああ、うん。もう食堂に出られるようになってね」
クロデキルドさんに続いて顔を出したのは、やはり、ロベルトだった。ロベルトの横にはメルヴィスさんの姿があったけれど彼はクロデキルドさんとの会話に集中しているようだった。
ああ、ロベルトといえば。
「ロベルト。エリンから花の栞貰ったよ。わざわざ、ありがとう」
「あー……、いや、ハルコがあれをちゃんと受け取ってくれたならそれはそれで良いんだけど、さ」
ロベルトにしては何処か歯切れが悪い。
どうしたんだろう? と思う中、クロデキルドさんがこちらを見てくすくす笑っているのが分かった。
「クロデキルドさん?」
「いや、ロベルトもあの場面を目撃した一人だからな。やりきれないんだろう。密かに想っていた子を横からあっさりとかっさらわれたんだから」
「クロデキルド様!」
クロデキルドさんに向かって、顔を赤くして叫ぶのはロベルトで。
あの場面とは、どの場面の事だろうか?
「あの、私が寝込んでいる間、何かあったの?」
此処でクロデキルドさんとロベルトが顔を見合わせる。
その後で口を開いたのはロベルトだった。
「ハルコ。まさかとは思うが、あれを覚えていないのか?」
「え? あれ? 一体、何の話?」
ロベルトの言っている意味が私ではさっぱり何の意味か分からなかった。
「……、ハルコの様子からしてどうやら本当らしいな。良かったじゃないか、ロベルト?」
「良かったと言いますか……、何て言うか……」
メルヴィスさんに肩を叩かれるも、ロベルトは思い切り複雑な顔をさらけ出した。
「ねえ、一体、何があったのよ。教えてくれないの?」
「それは――」
私は思い切り背伸びをしてロベルトの顔を覗き込んで自分を置いてけぼりにしているロベルトに抗議するが、ロベルトの方はそんな私から視線を逸らすように顔を背けた所だった。
「ハルコさん! 復活したんですかあ!」
ニムニの大声が食堂に響いた。
ニムニはそのままの勢いで私に抱きつく。
「うわあああ! 良かったです! 本当に良かったです! ハルコさんが居ない間、僕、凄く寂しかったんですから!」
「え、ちょ、ニムニ、嬉しいけど服に涙がっ」
大粒の涙を流して叫ぶニムニを私は振り払えず、困っていた所である。
「――ニムニ、好い加減にしろ。ハルコが困ってるだろ」
私に抱きつくニムニをあっさりと引き剥がしたのは。
「ハオ?!」
そう、その人は紛れも無くこの城の主であった。
突然のハオの登場に私は素っ頓狂な声を上げた。
あれ? 何で此処にハオが居る訳? リウの話では、ハオ達が帰って来るまでまだ間があったはずでは。
「よう。いつもの頼んだ」
「は、はい」
呆ける私にかまわず、ハオは何でも無い風にいつものように注文を取る。私は戸惑いつつもハオに応じて、ワスタムさんが居る厨房へと入った。
「ワスタムさん」
「おう、誰の注文だ」
「ハオからなんですけど……」
「いつものだな」
「そうなんですけど……」
「どうした、団長が帰って嬉しくねえのか?」
注文を取りに来た私の顔が曇っているのを知り、ワスタムさんは鍋の中で煮えたぎるスープをかきまぜながら平然とした様子で聞いた。
私はハオの料理が出来上がる間、意を決してワスタムさんに尋ねた。
「ハオが帰って来たのって、今日の朝方ですか?」
「何を寝惚けた事を言ってやがる。昨日の夕方辺りだったぜ。あいつ、お前の風邪を凄く心配してなあ、そのせいでマリカ達が大変だったみたいだが」
「……!」
「ワスタムさーん。ミーネさん達からの注文入りましたけど、て、ハルコ? どうしました? 顔が赤いですけどまだ熱が……」
厨房で固まったまま動かない私を、同じように厨房に入って来たエリンが心配するが。
「エ、エリン!」
「はい?」
顔を真っ赤にしたまま私は、エリンの肩に掴みかかった。エリンも突然の事で私を凝視する。
「悪いけど、ハオに料理を運ぶ役目代わってくれない?」
「え?」
「この借りはいつか必ず返すから! 私、まだ熱っぽいから今日はもう引き上げる!」
「ハルコ!」
エリンが引き止める間も無く、私は厨房を飛び出し、脇目も振らずに食堂を出た。
「あれは夢だ。夢だったはず、なのに……」
私は城の屋上に設置されてあるテーブルの椅子に座り、体を丸くして頭を抱えてぶつぶつ呟いていた。
今の時間帯、私以外に誰も屋上を利用していなかった。
そう、あれは夢だったはず。目の前にハオが現れて、自分に向かって何かを叫んでいた。ハオの声も届かないので夢だと思った。夢だと思ったから、ハオに自分の想いを口走ってしまって。
「あああ、夢だ! あれは夢だ!」
ハオに告げた言葉を思い出し、私は椅子の上でのた打ち回る。
「そう、あれは絶対に夢の中の話で」
そう思うが先刻のクロデキルドさんとロベルトの話を思い出した。
――ロベルトもあの場面を目撃した一人だからな。
――まさかとは思うが、あれを覚えていないのか?
あの場面。あれを覚えていないのか。それはつまり。
「……ッ」
まさかまさかまさか。
「ハルコ!」
悶々としている私に後ろから声をかけてきたのは、マリカだった。
「ハオの言う通りね。あんた、仕事が無い時はいつも此処に居たんだ?」
「……マリカ」
マリカは笑いながら私に近付くが、私はマリカに何と言って良いか分からず涙目になる。
「ハルコ」
「……マリカは知ってるんでしょ。私がハオに何を言ったか……」
「此処で隠しても何にもならないから白状するけど、私もジェイルもリウも――あの場にはほかに、ロベルトにクロデキルドさん、メルヴィスさん、ザフラーさんにエリンも居たわ。その場に居た全員が、ハルコの言葉を聞いてる。……そしてハオもね」
マリカは私の隣にある椅子に腰掛けてその時の事を包み隠さず、私に一部始終を話した。
マリカ達がいつものように交易品を売り歩くその道中で、クロデキルドさん率いる冥夜の騎士団の一行と遭遇したらしい。
「奇遇だな」
「ですね。クロデキルドさん達は、何処へ行く予定なんですか?」
「テハの村で買い出しに行く最中だ」
「テハの村までですか? 一体何の用事です?」
此処ではクロデキルドさんの目の前にはマリカしか居なかったらしい。この時、ハオとジェイルは別の魔物を追いかけていた最中だったという。マリカ一人なら私の事を話しても安心だろうと、クロデキルドさんが判断したのが失敗だったらしい。
「ユーニスの使いで、ハルコの喉に効く薬湯の材料を買いにね」
「おい、ハルコがどうしたって?」
マリカとクロデキルドさんの間に割り込んだのは、ハオだった。
ハオが何処からか顔を出したのに対して、クロデキルドさんは驚きを隠せなかった。
「ハオ殿も居たか!」
「何だその驚きようは。マリカが居るんだから、そりゃ俺も居るだろ。で、ハルコが何だって?」
「ああ、何でも無いから心配無用。ハオ殿も良い旅を」
クロデキルドさんはそのまま爽やかに何事も無かったかのようにその場を立ち去ろうとしたが。
「――言えよ。誰のお陰でアストラシアを取り戻せたと思ってるんだ?」
「……はい」
目が据わり低い声で脅しにかかるハオには流石のクロデキルドさんも逆らえる訳が無く。
クロデキルドさんはこの時、ひとつの道の協会よりも、一なる王よりもハオに恐怖心を抱いたというのはまた別の話。
「それで私達、今までの予定を無視して慌ててクロデキルドさん達と一緒に城まで帰ったのよ。城に戻ってきたのは良いけど、医務室では絶対安静だって言うザフラーさんと、それでもハルコの所まで行きたいってわめくハオとの間で一悶着が起きてね……」
「はあ……」
その時の様子を思い出したのか、マリカは何処か疲れたように溜息を一つ。
「ハオがザフラーさんを突破して、ハルコに駆け寄って、叫んだのは知ってる?」
「あー……いや、薬のせいでモウロウとしていて何が何やらさっぱりで」
「そっか。あれね、ハオがハルコに何で俺の居ない間に風邪引いたんだって叫んでたのよ。風邪を引くなら俺の居る時にしろって。無茶言うな、でしょ」
「……確かに無茶だわ」
その当時を思い出してくすくす笑うマリカに、私もつられて笑った。
次にマリカが急に真剣な顔つきになって、私に言ったのは。
「その後でハルコが言ったのよ。……その言った言葉は、ハルコも覚えてるんでしょ?」
私は。
「……、覚えてる、よ」
「だって。良かったじゃない、ハオ」
マリカは椅子から立ち上がってやけに明るい声を出して、屋上の入り口に向かって声を上げた。
屋上の入り口ではハオが腕を組んで立っていてこちらを窺っていた。
私はマリカの余計な配慮に呆気に取られる。一体いつからハオはそこに居たのか。
「バトンタッチ。上手くやりなさいよ」
「……、言われなくても」
マリカはハオに耳打ちしながら屋上を出て行き、代わりにハオが私の隣に座った。
「……」
「……」
二人で椅子に座っても、何の会話も生まれない。
ああ、このままでは埒が明かない。
私は決心する。
あれは夢だと思い込んでいたせいの話なので、ハオが特別気にする事ではないと。私はそうハオに言うつもりだった。
「……あの!」
「……あのさ!」
私とハオの声が同時に重なった。
「……」
「……」
再びの沈黙。
「だああっ、もう!」
「!?」
いきなりハオが雄叫びを上げたので、私はぎょっとなる。
「あの時、ハルコは先に俺に言ってくれたんだ。此処で俺がはっきりしない訳にはいかないだろ。だから、今日は俺から先に言わせてくれ」
「ハオ?」
ハオは椅子から立ち上がると、私の前まで移動する。
私も思わずハオを見上げた。
ハオは深呼吸をしてから私を真っ直ぐ見詰めて――。
「――俺もハルコが好きだ」
私は呆然とハオを見詰め返した。
「え、それってどういう意味で……」
「だから。昨日、医務室でハルコは俺を好きだと言ってくれただろ。その返事がこれだ。俺もハルコが好きなんだよ」
「う、嘘。私、あれは夢の中の話だと思い込んでそれで……、そうだ、これも、あの夢の中の話でしょう!」
「違う。これは現実だ。俺はこの耳ではっきりと、ハルコの想いを聞いた。その証拠を見せてやろうか」
「何を」
何を言って、と言おうとした私の唇を塞いだのは、ハオの唇だった。
ハオは屈んで片方の手で私の肩を掴み、片方の手で私の頬に添えて顔を近付けて口付けた。
それは優しく触れるだけのもので、すぐにハオは私から唇を離した。
突然の事に私は椅子から立ち上がる。
「……ッ、な、なっ」
「何だよ。夢だ夢だって言うから、これが現実だって思い知らせてやったんだろ」
「そうじゃなくてその、せ、せめて、キスするとか宣言してくれてからでもっ、その、心の準備が」
「その言い方じゃ、俺がハルコにキスしたいって言えばさせてくれるのか?」
「……!」
やぶ蛇だった!
私が真っ赤になるのをハオがくつくつと笑っている。
「ハルコ」
「……何」
私がハオを睨み付けるが、ハオはかまわず私を優しく抱き締める。
その後でハオが私に耳元でささやいたのは。
「もう一度キス、したいんだけど?」
「……」
私はハオに答える代わり、目を閉じた。