――彼女は、自分にとっては、世話焼きで綺麗な、お姉さんでした。
これは2014年、藤丸立夏、十七歳、初夏の出来事である。
『おはようございます!』
『藤丸君、おはよう』
過去――日本のとある都市、とある住宅街にある二階建てのアパートの門前にて。
彼女は、朝になれば部屋から出てきて、アパートの前をホウキで掃いていた。
同じく部屋から出て来た半袖の制服姿の立夏の方から先に挨拶をすれば、彼女も嬉しそうに応じる。
彼女は今時珍しい三つ編みで、平均よりふくよかな体型であった。彼女は、立夏より少し上のお姉さんだった。
以前に聞いた話によれば彼女は両親は別の場所に居て、アパートの部屋では自分一人だけと聞いている。
朝。立夏が学校へ行くその時間に部屋を出れば、彼女も部屋から出てきて、ホウキとチリトリを持って掃除を始めるのだ。
ほかの部屋の住人は社会人や学生やら様々であるが、彼らは部屋から出てさっさと自分の仕事場へと向かう。
立夏もお姉さんも、そんな彼らに対して別に何も言うでもなく、軽い会釈だけすませてすれ違うだけで終わる。
お姉さんは部屋から出てきた制服姿の立夏を見て、言った。
『あら。藤丸君、制服、半袖になったんだ。もう夏だね~』
『はい。お姉さんは、まだ、長袖ですね』
『ふふ。私はこれが丁度良いのよ』
お姉さんは、テレビの広告でよく見る、格安ブランドの長袖ワンピース姿であった。彼女は長袖ワンピースを好んで着ている。出会って今まで、半袖、あるいは、パンツ姿は見た覚えがない。そうでもおっとりした彼女には似合っているなと、立夏は思う。
『そういえば藤丸君、夏休み、実家に帰るの?』
『んー。どうですかね。実家から呼ばれれば帰りますけど、そうでなければ、去年と同じく、このアパートでバイト三昧です』
ははは。立夏は心配そうなお姉さんを前にして、笑うだけ。
お姉さんも特に気にする風でもなく、立夏に話した。
『もし、アパートに残る事になればまた、料理作ってあげようか?』
『ぜひ!!』
がしっと。立夏は人目も気にせず、お姉さんの両手を手に取り握った。
実は高校一年の時も実家に帰らずバイト三昧の夏休みであったが、男の一人暮らしの長期休みはどうしても食事が疎かになってしまう。数日何も食べずにいたところ、限界がきたのか帰宅はしたものの、アパートの前で倒れていた自分を助けてくれたのが、目の前のお姉さんだった。
お姉さんの作る料理は何でも美味しくて、定番のハンバーグ、からあげ、オムレツ、どれも満足できた。
中でもお姉さんの作るパン類は、絶品だった。粉から作る、手作りなので当然である。休みになればお裾分けと言って、焼き立てパンをもらっていた。
――将来、付き合う女性は、お姉さんみたいな人がいいなぁ。
男の子の藤丸立夏は彼女を前にそんな淡い期待を抱いていたが、現時点で、それは叶わない事を知っている。
何故なら。
『そうだ。お姉さんの彼氏、この夏は、海外から帰ってくるんですかね?』
『んー。どうかなぁ。この夏、帰って来られるなら帰って来るとは話してたけど』
お姉さんのホウキを持つ手が止まり、彼女は青空を見詰めるだけ。
お姉さんは、彼氏持ちだった。
しかも。
『お姉さんの彼氏、外人でお医者さんというだけでも凄いのに、世界各地を旅しながら病気の人を治療してるっていうの、凄いですね。憧れるなぁ』
聞けば、お姉さんの彼氏は医者で外国人、世界をあちこち回っているという。いわゆる国境無き医師団に属しているらしい。
お姉さんは、それが何でもない風に言った。
『彼が日本に立ち寄った時に出会って随分と経つけど、一緒に居られたのは一週間くらいだったなー。今は、スマホでどこでも連絡取れるから便利だよねー。彼から一週間くらい前、アメリカ居るって連絡あったわ』
『いいなー。その彼氏さん、アパートの前で倒れてた所をお姉さんが拾って、そのまま仲良くなったんですよね』
『ええ。彼、医者で、倒れた人や弱ってる人を見るとほっとけないって言って休みの日でもその人のもとに駆けつけるほどなんだけど、自分の事は疎かな人でね。餌付けしたら、懐かれちゃって。そこは藤丸君と一緒ね』
『はは。オレも困ってる人を見れば助けないとって動くタイプですから、彼氏さんのその気持ち分かりますよ』
『だよね。藤丸君も、近所で、子供から大人まで色々助けてるっての、よく聞いてるよー。この間は、子供達の遊び場で一人きりだった子に声かけてほかの子達の仲間に入れさせて子供同士で仲良くさせたりだとか、お爺さんの畑仕事を手伝ったりとか、おばさんの荷物持ちをやったりとか。それ以外、学校でも色々助っ人したりして、何回も表彰状もらってるらしいじゃない』
『うわ。お姉さんにもオレのその話、伝わってたんですか。オレの場合、後先考えず、困っている人を見かけたら、体が動くってだけです。でもそのせいで、相手から拒否されて嫌な顔されるとかっていう、失敗も何回かありますよ』
『あー、彼も同じ事、言ってたわねえ。弱っている人間を見れば、体が勝手に動いて助けたい衝動にかられるって。でも、よかれと思って相手を助けてもそれを拒否される事もあって、人を助けるのは中々難しいって愚痴ってたわ』
『そう、なんですか。オレと同じだ。オレ、その彼氏さんと一度会って、話がしてみたいですね』
『うん。私の彼と藤丸君、会って話せば気があうかもね』
『オレもそう思います。お姉さんの彼氏さん、どこかで帰ってきたら、オレにも知らせて下さい。手土産持って、駆けつけます』
『いいわね。それ、彼にも伝えておくし、そうなった時を楽しみにしておく』
お姉さんは、あっけらかんと笑うだけ。
そして。
『そうだ。もし、この夏、アパートに残ってバイト三昧だったらいい話あるんだけど』
『何です?』
『リゾートバイト、やってみる気ない?』
『リゾートバイトですか?』
『夏の間、避暑地で住み込みバイトするやつ。聞いた事ない?』
『リゾートバイトくらい、知ってますよ。紹介してくれるんですか?』
『うん。私の知り合いが避暑地に別荘と施設持ってて、そこで働ける若い子探してるんだ。二日くらいお試しで働いてもらって、良かったら、夏休みの間の世話してもいいって』
『お。それは興味あります。行けるかどうか分かりませんが、一名分、確保してもらっていいですか』
『分かった。藤丸君なら、オーナーにきっと気に入られると思うよ。藤丸君がもしそこで住み込みバイト決定すれば、私もそれについて行こっかなー。夏休みの間、暇だし』
『もしオレが採用されれば、お姉さんも避暑地でバイトするんですか?』
『そうなれば私は、普通に別荘でお世話になるだけかな。バイト代が良ければバイトするかもしれないけど、オーナーによれば体力あって動ける子を希望って言ってたから、この体で動けない私は採用されないかもねー』
あははー。お姉さんは自分のぽっこり出たお腹をさすりながら、笑う。
立夏は。
『オレ、お姉さんの作る料理好きだから、採用されたら一緒に来て欲しいです』
『……ありがとう。藤丸君って本当、天然タラシだよねぇ。学校でもどこでも、女の子にモテるんじゃない?』
『いやいや、そんな事ないです。学校では女子からウザがられてるくらいで!』
『はは。そういう事にしておきますか』
お姉さんは明るく笑うだけ。立夏もそんなお姉さんが好きだった。
立夏はここで、肝心な事をお姉さんに聞いた。
『あの、お姉さんの知り合いのオーナーさん、避暑地に別荘と施設持ってるって凄いですね。どんな人なんですか』
『実はそのオーナー、私の知り合いというわけじゃなくて、私の彼の知り合いなんだよね』
『彼氏さんの知り合い……、という事は、オーナーさん、外人ですか』
『多分。彼から聞いた限りなんだけど、外人っぽい。彼によれば医者として日本に来た時、随分と世話になった人なんだって。その土地では、けっこうな経営者で有名人みたいだった』
『へえ。それはまた、深そうな関係ですね。もしかしてその彼氏さん、オレだけじゃなく、お姉さんをそこに呼びたいっていうのは何か思惑あったりします?』
『うん。実は、私も藤丸君にくっついて夏の間にそこ行ければ別荘で、彼と一緒に過ごせるかもとは言われてるんだ』
『おお。それは、良かったじゃないですか!』
『それから彼、そこでオーナーさんに私を恋人として付き合ってると紹介したいって言ってくれて!』
『マジですか! うわあ、オレ、けっこう重要な任務引き受けた!?』
きゃー。お姉さんは照れ臭そうに話して、これには立夏も自分の事のように嬉しかったが同時に自分にも結構な任務が課せられていると分かり、のけ反る。
お姉さんはしかし、それを物としない態度で、腰に両手をあてて話した。
『もし、藤丸君の採用が駄目になったら、この夏、その別荘地じゃなくても別で彼と会えると思うから、そこらへんは気にしなくていいよ。それから、私が彼からそのオーナーさんに紹介されるのは決定事項みたいだから、どっちにしろこの夏が勝負ってわけ』
『お姉さん……、お姉さんも頑張ってください。陰ながら、応援してます!』
『ありがとう』
そして。
『藤丸君、そろそろ時間じゃない?』
『あ、ヤバ、ほんとだ。そろそろ、行かないと』
立夏は慌てて、自転車にまたがる。
『行ってらっしゃいー』
『行ってきます!』
立夏は彼女と軽い世間話をした後、自転車に乗って、学校に向かう。
それが日本に居る時の藤丸立夏の日常であった――。
――。
現在。2018年――。
白紙化された地球を航行中のストームボーダー、その自室にて彼――藤丸立夏は、目を覚ました。
「……何で、今になって、お姉さんの夢見た?」
夜中に目が覚めればすぐに体を起こして辺りを確認、何事も無ければ再び眠りにつけていたが、今回は違った。
体が思うように動かず、起き上がれなかった。
「……」
故郷である日本で暮らしていた時の生活の夢を見る、というのは、これまでも何度かあった。
それを恥ずかしそうに話せば、
『マスターがカルデアに来てから3年以上は経つが、ここまでの長い旅の間、一度も帰ってない故郷が恋しくなる時もあるさ。それを恥ずかしがる事はないと思うし、それが人間として正常だ。日本が恋しいのであれば、それこそ、マンモスが居る石器時代から東京が舞台の現代日本まで幅広く、シミュレーションで再現できるよ。たまには任務を忘れて、シミュレーションで遊ぶのも悪くないと思うけどね』
ダ・ヴィンチちゃんは笑って、そう提案してきた。
その話を聞けば、シミュレーションで現代日本を再現してもらってそこで遊ぶのも悪くないと、思った。
続いて。
『私もこのカルデアに来てから、時々、故郷の夢を見る時あるな。決まって、今より若い頃で、イギリスの時計塔で色々やっていた時の夢だ。それから目を覚ますとカルデアで白紙化された地球はそのままだ、そのせいで絶望か希望か、訳わからん感情を持つ始末で手に負えない。そういう時は冷蔵庫を漁って故郷の料理を作って思う存分に食べる、これが一番効果あった。私ではマスターの日本の料理は馴染みがないので作れんが、アーチャーのエミヤあたりに頼めば作ってくれるんじゃないかね』
ゴルドルフ所長はイギリス式のサンドイッチと紅茶を持ってそれをご馳走してくれて、得意げに話した。
確かに、日本の故郷だけではなく、日本の食事が恋しくなる時があって、その技術を持つ、アーチャーのエミヤに和食を注文する時があるが。
呆然と。ただ、呆然と。
「何で、『今』、なんだ」
自然と、その言葉を吐き出していた。
辺りを見回せば明かりはついていなくて、誰も居なかった。
夢の中にだけ現れる巌窟王の姿もないので、これが夢、という可能性は低い。
「……」
ゆっくり体を起こして、そろそろと、部屋を出る。
白紙化された地球といっても、朝と夜のサイクルはある。
現在は夜、就寝時間のせいか、廊下には誰も居ない――と、思われたが。
「――どうした」
「!」
立夏は『彼』の姿を見て、素直に驚き、そこから飛びのいた。
「どうした、と、聞いているのだが」
相手の男は立夏の行動に対して怪訝な顔になるだけで、特に、反論はなく、再度、そうたずねた。
彼――ソロモン、ソロモン王。
白紙化された地球のロストベルトにて、ロマニの姿で何度か助けてもらった、その正体――。
現在は、人類と異星の神との間の裁判の日が来るまではカルデアに協力すると言って、ネモのストームボーダーに滞在している。
「あ、いや、ソロモン王が普通にそんな所に居るから普通に驚いちゃって」
「私が此処に居るのが不満か。それならもう退散しよう」
「そういうわけじゃなくて! ソロモン王ほどの偉大な御方が、そんな廊下に突っ立ってるとは思わなかっただけです!」
わー。立夏は自分のせいで退却するというソロモンを、必死で食い止める。
「ふむ。この私をそこまで敬えるのであれば、相手してやってもいい」
「そうですか、それは良かったです」
立夏の引き留めが成功したのか、ソロモン王はその場に留まった。
そして。
「それで、何でソロモン王はそんな所で一人で佇んでいるんですか?」
「……」
「ソロモン王?」
「……呼ばれた気がした」
「え」
「誰かに呼ばれた気がしたんだが――、お前の仕業か?」
ジッと。ソロモンは鋭い目で、立夏を見据える。
立夏はソロモンを見ると『彼』を思い出すが、それは堪えて、首を横に振ってみせた。
「いえ、多分、オレはソロモン王を呼んでいません。現在はその必要ありませんから」
「そうか。それなら、私の勘違いか。お前の仕業ではないというのであれば、此処に居る必要はないな」
言ってソロモンはあっさり、立夏に背中を向ける。
立夏は慌てて、ソロモンを追いかける。
「あの、ここまで会話しておいて、眠れないオレの話し相手になってくれないんですか」
「何故、この私がお前の話し相手をしなければいけない。このカルデアでは私以外で、お前のその役目に応じてくれるサーヴァントはいくらでも居るだろう」
ソロモンは立夏の頼みに応じず、冷たく突き放す。
普通の人間であれば、ソロモンの冷たい瞳に射抜かれただけで震え、その場から逃げ出すだろうか。
立夏はしかし、普通の人間ではあるけれど、普通の人間ではなかった。
なんとかして、ソロモン王を引き留めようとする。
「それはそうなんですけど。でも、此処で会ったのも何かの縁――あ、霊体化して逃げられた!」
うわー。立夏はマスターであれど魔術師の基礎は学んでいないので、サーヴァントが霊体化してその姿が見えなくなれば無理、自分のそばにマシュかダ・ヴィンチがついて彼女達の手を借りなければ、その痕跡は辿れない。
「あーあ、ソロモン王のせいで、目が冴えちゃったなぁ」
あの場にソロモンが居なければ――廊下に誰も居ないと分かればすぐに部屋に戻り、ベッドに入ってそのまま寝ていたはずが、ソロモンに会ったせいで目が冴えて眠れなくなってしまった。
そうでもこんな夜中に、マシュを起こすわけにもいかない。
こんな時に、思い出すのは。
「眠れない夜は医務室に行けばロマニが起きてて、コーヒー片手に話し相手になってくれたっけ――」
口に出して、はっとして、その口を両手で覆った。
「……駄目だ、ここでそれ思い出しちゃ。皆、地球を取り返すために頑張ってるんだから」
ぱんぱんと、頬を叩き、それから。
「ゴルドルフ所長か、ダ・ヴィンチちゃんは起きてるかもしれない。行ってみるか……」
立夏は目をこすりながら、まずは、深夜でも起きているだろうゴルドルフ所長に目を付けて、彼のもとへ向かった。
目論見通りにゴルドルフ所長は起きていて、なんと、エプロン姿でお菓子作りに励んでいたのである。こんな夜中にお菓子作り? と思ったが、ゴルドルフ所長いわく、夜中に食べる菓子ほど美味いものはないと言って、焼き立てのクッキーをご馳走してくれた。
それから立夏はクッキーを食べているうちに腹が膨れて眠気がきたので、ゴルドルフ所長に礼を言って自室に戻って、ようやく眠りについたのだった。
――現在、白紙化された地球を航行する、カルデア基地にて。
「先輩、おはようございます!」
「マシュ、ふぁああ、おはよう……」
立夏の相棒――マシュがいつものように明るく挨拶すれば、挨拶よりも『あくび』が返ってきた。
マシュは不思議そうに立夏を見詰める。
「先輩、昨夜、寝れましたか?」
「あー。ちょっと昨夜、おかしな夢見て眠れなくてさ……、夜中に一回起きて、二度寝したせいで、眠いってだけ……」
ふああ。もう一度、あくびが聞こえた。
マシュは、その立夏を心配そうに見やる。
「おかしな夢見て一度目が覚めて、二度寝ですか。それはまた、怖い夢でも見たんですか?」
「怖い夢とは違うかな。久し振りに日本で暮らしてる時の夢見て、それでセンチメンタルになってるっていうか……」
「先輩が日本で暮らしてた時の夢……」
「それで一回目が覚めちゃって、夜中にゴルドルフ所長の所に行けばクッキー焼いててさ、それご馳走になって寝たもんだから、眠くて。後でダ・ヴィンチちゃんに眠気覚ましのドリンクもらうつもり」
「そうだったんですか。そうでも夜に寝れなくて話し相手が欲しいのであれば、ゴルドルフ所長が先輩の相手せずとも、この私が相手になりましたよ」
「いやいや。マシュはデミ・サーヴァントとはいえ、半分人間だからねえ、人間と同じように睡眠は大事だよ」
「でも」
「オレは寝れなくても一人でどうにでもできるし、ゴルドルフ所長じゃなくても眠れない夜に相手になってくれるサーヴァントはいくらでも居るから、マシュはそのへん気にしないでくれ」
「そうですか……」
それからマシュは立夏の言う事に納得はするものの少し考え、決心した面持ちで言った。
「あの、その時の――日本に居る頃の先輩のお話、私にも聞かせてくれませんか」
「え?」
「私、日本以外のほかの国はよく知ってるんですけど、日本については知らない部分が多いです。特に、現代日本についてはあまり知りません」
「現代日本……、そういえば、カルデアに登録されているサーヴァントは、現代日本より以前――明治より前のが多かったな……」
立夏は、カルデアに召喚されてきた日本に属するサーヴァントは、明治以降の日本の英雄が存在しなかったのを思い出した。主に日本に属して活躍するサーヴァントといえば、織田信長を中心とした、戦国武将達である。
近代史では明治で活躍した坂本竜馬や高杉晋作、あるいは、土方歳三を中心とした新選組くらいか。中でも新選組の斎藤一と永倉新八は明治後期から昭和の初めくらいまで生存確認されているとあるが、真偽不明である。
「それ踏まえて新選組以降、現代日本の英雄は、微妙だからなぁ。戦闘系じゃなくて、経営者として活躍する方達が多いし。あわよくば、小野小町さんや紫式部さん、同系統の、昭和初期くらいに活躍した文豪達を召喚できればいいんだけど、これまた、扱い難しいんだよな、ははは」
立夏は、マシュが知りたい現代日本の英雄達を思い浮かべ、その中でも偉人と謡われる経営者や文豪は心当たりあれど、どれも扱いが難しいもので、笑うしかない。
と。
「あの、先輩。私が知りたいのはですね、現代日本の英雄の話ではなくて、先輩の日本での日常的な暮らしぶりだったりするんですが……」
マシュは恥ずかしそうに、立夏にそう話した。
立夏はマシュの話が現代日本の英雄についてだと思っていたので、呆気に取られる。
「え、マシュの現代日本の事知りたいっていうの、日本の英雄じゃなくて、オレの日本での話が聞きたかったの?」
「はい。私はカルデアと、先輩と旅した各国の事しか知らないもので……。そうそう、カルデアの特異点でも日本が舞台であるのは多かったですがそこは現代日本ではなくて、それより昔の時代が多かったですよね」
「ふむ。それなら、マシュにオレが暮らしてた日本の生活を教えるの、アリかもなあ。オレも昔の夢を見たのは、故郷の日本が恋しくなってる時期かもしれない。ダ・ヴィンチちゃんに頼んで、現代日本のとある都市を再現してもらって、そこで遊んでみる?」
「いいですね。さっそく、ダ・ヴィンチちゃんの所へ行ってみますか――」
マシュも立夏に応じるよう、彼と並んでダ・ヴィンチが居ると思われる管制室へと向かった――所、だった。
ビービー。警告音が鳴り響き、立夏とマシュは顔を見合わせた後、急いで、管制室へと駆けていった。
――呼ばれている気がした。
助けて、と。
必死に助けてと呼ぶ声が、聞こえた。
助けを求める声があれば、どこでも駆けつけた。
その舞台が通常の人類史の中でも、特異点と呼ばれる奇妙な世界でも、異星人によって白紙化された地球でも変わりなく――。
管制室にて、集う。
ダ・ヴィンチは駆けつけた立夏に向けて、言った。
「今回の特異点は、日本だ。場所はしかも、マスターの馴染みある都市らしいね」
「え、それって……」
戸惑う立夏に代わり、マシュが応じる。
「あの。先輩に馴染みのある都市という事は、いつもの過去の日本ではなく、現代日本ですか?」
「そうだね。観測で指定された場所は、現代日本だ。しかも首都圏――東京に近いとある」
これにはダ・ヴィンチも驚いた様子で、笑うだけだった。
マシュは言う。
「となれば、エミヤさん達の馴染みのある冬木ですか? そこに潜んでいるサーヴァント達も、アーチャーのエミヤさんに関連する、ライダーのメドゥーサさん、ランサーのクーフーリンさんとかですかね」
「いや。それは冬木とは別の都市だ。距離的には同じ関東圏で、近いと思うけど。マスターのプロフィールを見れば、彼が一時的に暮らしてた街のようだね。マスターも一応、それの確認を頼む」
言ってダ・ヴィンチは立夏に、その都市のデータを手渡す。
「先輩」
マシュは慌てて、データを受け取った立夏を見る。
立夏はダ・ヴィンチからそのデータを受け取り、そして、驚いた。
「此処、オレがこのカルデアに来る前に住んでた場所じゃないか――」
――暗転。
目の前が急に真っ暗になった、と、思えば、藤丸立夏の存在はそこにあった。
現代日本、東京、とある都市、とあるアパートの一室。
その部屋はフローリングでテーブル、棚、テレビ、ベッドの基本的な家具は揃えられている。玄関脇に二つのコンロがついたキッチンがあり、その反対側に浴室とトイレが付いた、ごくありふれた構造の一人部屋である。
時計を見れば、昼の一時過ぎであるのが確認できる。
それから。
カーテンは閉められ、明かりもついていなくて、薄暗かった。
カーテンを開ける。
日差しが眩しい。外は見慣れた住宅街で、人の気配もあった。
「これは……」
立夏は棚の上にあった鏡で、自分の姿を確認して、驚いた。
カルデアの僻地用に作られた制服ではなくて、日本の高校生が着る制服を着ていたのである。
しかも、半袖シャツにネクタイ、ズボンという、夏の制服仕様だった。
「待て。待て、待て。現在のオレには、カルデアについて、それから、マシュとダ・ヴィンチちゃん、白紙化された地球、サーヴァントに関する記憶はちゃんとある」
そうでも立夏は現在、記憶喪失というわけではなく、白紙化された地球、カルデアに関するものやサーヴァントについてはきちんとその記憶があった。
「テレビ……」
立夏は何を思ったか、テレビをつけた。
普通に電源がついて、普通にテレビ番組が見られた。
「こんにちはー。皆さん、夏休み、どう過ごしてますかぁ? 本日は、彼らと一緒に東京で開催される夏のイベントを案内します! 皆さん、参考にしてくださいねー」
テレビには女子アナが何人かの芸人を連れて、東京のイベント会場を案内している風景があった。
「うわ、懐かしー。そうそう、東京にこんな場所あったなぁ。というか、夏休み? 今、夏休みの最中なわけ?」
立夏はここで現在の日付が気になり、テレビのイベント紹介番組から、お堅いニュース番組に切り替える。
ニュース番組では日付が表示されてあった。七月の後半、確かに、学生は夏休みの盛りである。
「夏休みかぁ。そういえば日本に居る頃の夏休みといえば遊ぶ事もなく、バイト三昧だったな……」
高校生の頃、一人暮らしをしていて、そのせいで夏は遊ぶ事はなくバイト三昧だった事を思い出した。
同時に。
――藤丸君、夏休みにアパート残ってバイト三昧なら、いい話があるんだけど。
――リゾートバイトって知ってる? 夏の間、避暑地で住み込みのバイト。
――私の知り合いが避暑地で別荘と施設持ってて、そこで働ける若い子探してるんだって。どうかな?
「……そういえばあの話、どうなった? その前、夏休みに入る直前だったか、オレがカルデアのスタッフにスカウトされてそれについて行った――」
――果たして、そうだっただろうか?
「オレがお姉さんに紹介されたリゾートバイトを蹴って、カルデアまで来た理由……」
その時の自分はまだ高校生で、夏休みに入る直前、道に迷っていた外国人の旅行客を助けて感謝され、その相手が偶然にもカルデアのスタッフだった。カルデアのスタッフは立夏の振る舞いに感動し、彼に名刺を渡し、人助けに興味あるならうちの試験受けてみる気ないかなと、そう、誘ってきたのである。
そう、記憶しているが、詳細は、あやふやだ。
「……」
そして、ある一つの現実と向き合わなければいけないというのも、頭では分かっている。
分かってはいるが、体が中々動かなかった。
テレビを消して呆然と過ごしていたら、いつの間にか、夜になった。
部屋も暗くなってきたので、明かりをつけた。
しばらくして。
ぐーきゅるる。腹の虫が盛大に鳴った。
そういえば、朝から何も食べていない。昨夜、ゴルドルフ所長からクッキーをもらったのを口にしただけだ。
「冷蔵庫……」
電気系統はきていて、冷蔵庫の稼働音も聞こえている。
立夏は期待を込めて、冷蔵庫を開けると――見事にカラだった。何も入ってない。
「やっぱそうだよなぁ。近所にコンビニあった気がするけど、オレ、日本円持ってたっけ」
ガクリと肩を落として、それから、棚をあさって手持ちの金を確認する。
「えー。嘘だろ、どこにも金、無いのか。カルデアの通信が使えればダ・ヴィンチちゃんに用立てしてもらえるんだけど。何でこの現代日本で、カルデアと通信通じないんだ?」
棚、机、ベッド、色々あさってみるが、金や通帳類は見つからなかった。
おまけに、カルデアとの通信も途絶えて、ダ・ヴィンチやマシュと通信ができない。
ガタガタ。棚を漁るのはいいが、けっこうな音が出ていたかもしれない。
その影響かどうか――。
ぴんぽん。
玄関のチャイムが鳴った。
「――」
机の引き出しをあさる、立夏の手が止まる。
ぴんぽん、ぴんぽん、ぴんぽん――。
玄関のチャイムが連続で鳴っている。
最初は誰かの悪戯、ほうっておけばそのうちに収まると楽観視していたが。
ドン、ドン、ドン! チャイムに続いて、ドアを乱暴に叩く音も聞こえた。
それから。
「そこの部屋に誰か、居ます? その部屋の住人は現在、留守してるんですけど!」
「――」
女性の声がした。
立夏はそのドアを開けてはいけない、開けたら最後、戻れない――そう、頭では理解していた。
理解していたが――。
「不法侵入が分かれば、警察呼びますよ! いいですか? 五分以内に応答が無ければ本気で警察呼びますから、覚悟して――」
「――お久し振りです、お姉さん」
藤丸立夏は彼女の執念に観念して、そのドアを開けてしまった。