10:月に咲く花

 ――さあ、宴を始めよう。

 沢木さんの運転をするワゴン車で到着した、岡田の家は拍子抜けするくらい、普通だった。何処にでもあるような門構えである。
 俺が住む4LDKの家と大して変わらない広さだった。
 ほかと違うのは、平屋であるというくらいだろうか。
 俺と沢木さんが通された先は、この家に一室だけ設けられた、和室だった。

「――あなたが、吉原さんですか」

 俺を和室で待ち受けていたのは、岡田のおじいさんである。
 おじいさんは、着流しと言うのだろうか、それを着て正座していた。年齢は知らないが恐らく七十は超えているだろう。その割に背筋をきちんと伸ばしている。
 俺もおじいさんに倣って、正座する。沢木さんも俺の隣に正座していた。岡田は着替えると言って、自分の部屋に行ってしまった。
「岡田君とは、その、親しくさせて頂いている次第で……」
 俺は雰囲気に飲まれて恐縮してしまい、おじいさんに頭を下げる。
「そう、かしこまらなくても結構ですよ。祐司からあなたについての話は、伺っていますから」
 おじいさんが俺に向けて笑みを浮かべる。
 おじいさんの言葉遣いは丁寧だが、関西―――、京都の訛りがしっかりと残っていた。岡田の比ではなく、おじいさんが京都の人間であると、知るには充分である。
「あの子ももう少し落ち着きがあれば、いいんですけどね」
 ……俺はそれには、おじいさんに同意する。
「吉原さんは、私達について、聞きたい事があるそうですね」
「……間島新一君の事かな」
 沢木さんの言葉に俺は驚く様子は見せなかった。
「私達が退治したあの少年ですか」
 おじいさんは俺の前で、平然とそれを口にする。
 ――此処は、堪えろ。堪えるんだ。
「……俺は、何も聞かされていないんですよ。そもそも、鬼花とは、何ですか。何で……、間島先輩が、そんなものに食われなければいけないんですか」

「……吉原さん、あなたはどちらの方につくおつもりですか」

「え」
 どちらの方に。
「聞けば、あなたは例の鬼に、好意を持っているそうですね」
 鬼、とは誰の事だろうか。
「……彼女の事だよ」
 沢木さんの言葉に、俺は。
「彼女は……、鬼ではありません。何を言ってるんですか」
 強く言い放つ俺に、おじいさんと沢木さんが顔を見合わせる。
「これを見てくれるか。間島君の遺品の中にあった」
 沢木さんが俺の前に差し出したもの、それは。
 間島先輩愛用の、デジカメだった。
 あの日、間島先輩から俺が受け取る筈だった、彼女の姿が映った写真も一緒に添えられている。
「これを見て、君は何を思う」
 ぼやけた彼女の姿は其処にあり、代わりに手を引いている筈の谷口の姿は、其処に無かった。
「……谷口が居ない。俺が間島先輩のデジカメの映像で見た時は、確かに谷口が彼女を手を引いていたのに」
「それだけじゃない。山根君や谷口君以外の生徒は、彼女にすら目を向けていない」
「……あ」
 ああ、そうだ。
 俺が間島先輩からデジカメの映像を見せて貰った時、感じた違和感、それは。
 ――誰も、彼女の方を見ていなかった。
 彼女に目を向けているのは、山根のカメラと――、そして谷口。立っている生徒達から、彼女の方に視線を送っている人間は、居なかった。
「……どうして」
「鬼は、実体を持たない。実体を持たないからこそ、実体のある人間に憑依する。そしてしまいにはその人間を破壊して行く。それを見抜くには我々の目が必要だ。普通の人間が容易く鬼を映し出せる訳が無い。我々の目が、鬼を映し出し、鬼が我々を映し出す。それが神に遣える我々に与えられた、権利だよ。我々の事を総じて神を守る、と書いて神守(かもり)と呼ばれている」
 俺にそう説明するのは沢木さんで。
 神守と鬼花でなければ彼女を認識する事は適わない。
 それはあの研究所で鈴が言っていた事ではないのか。
 それでは。
「じゃあ何で俺と山根は彼女をバスの中で見る事が出来たんだ。そうだ、最初に会った時、彼女にバスの運転手も気付いていた! それはどう説明するんだ」
 俺の息は上がっている。
「それは君が、バスの中に居る人間に彼女が居る事を知らせたからだ」
「……」
 思い出す。当時の状況を。
 そうだ。
 俺が彼女の手を引いて声を上げた事で、バスの中に居る生徒達から、いっせいに目を向けられたのを。
「鬼は人の声に反応する。人の声で鬼は実体を人の前に現す事が出来る。鬼が其処に居ると言う、人間の言葉でね」
「それじゃあ……、俺と山根はどうして」
「……多分、その時は君達のどちらかが、鬼花になっていたんだろう。最初に言っただろう、鬼花はバスの中の生徒の可能性がある、と」
 鬼花は人から人へと移り行く。
 更に弱い人間を見付ければ――、その人間に食らいつく。
「そう。鬼花は吉原君か山根君のどちらかだ。鬼花である者は、我々ではなくても鬼を認識出来る。彼女を見る事が出来る。彼女は自分の目を通して、吉原君達がそうであると、我々に報告して来た」
 彼女から、沢木さん達に俺か山根のどちらかが鬼花であると、知れた。
 沢木さんは話を続ける。
「彼女のお陰で鬼花を見付けたはいいが、どう接触するかが、我々の頭痛の種だった。おいそれと、我々の手の内を話す事はしない主義なんでね」
 沢木さんが続ける。
「……しかし、偶然が重なって我々が吉原君を調べた所、君が鬼花では無い事が判明した。それを意味するのはどういう事か、解るか」
 此処で沢木さんが意味深に俺を見詰める。
「……解りません」
 俺は素直に答えた。
「だろうね。我々の話は人の常識を逸脱した存在のものだ。今の話を何の材料も無しに信じろと言う方がどうかしている」
「……」
「兎に角、我々は吉原君が鬼花で無ければ、奴はまたあの中に居る生徒の中に忍び込んでいるに違いない、そう思った。だからその後も、懲りずに彼女をバスに乗せた」
 それが、俺が寝坊してバスに乗り遅れた日だと、沢木さんが言っているような気がした。
「でも、バスにはその対象は居なかった」
 沢木さんが山根が写しただろう現像された写真を、手に取る。
「山根君は鬼花では無いよ。こちら側で調べがついている」
 沢木さんが写真を俺に手渡す。
 あの日。
 俺が最後、間島先輩と会話したのは、彼女の写真を受け取りに行くと言う、話だった。
 今、こんな形で俺の手元に返って来るとは、思ってもみなかった。
「多分、鬼花となっていた生徒が、バスを利用している誰かで、その子が何処かで間島君と接触して、その隙に鬼が取り込んだんだろう。流石に、学校には彼女は入り込めないからね」
 ……間島先輩。
 今でも思い浮かべる事が出来る人。
「鬼花となった間島君の末路……、聞きたいかい」
「……っ」
 沢木さんが俺を兆発する。
 聞きたいのか、俺は。
 そんな事を聞く為に此処に来たのか。
 沢木さんは俺の回答を待たずに言った。
「鬼が間島君を食べる前に、同化する前に我々は間島君を処分した」
「鬼が人の中身を食べるだけならまだ良いですよ、同化されると厄介ですからね。その前に手を打ったんですよ」
 おじいさんは笑みを崩さずに、沢木さんに続いて俺に言った。
 何だ。
 何だこいつらは。
 どうして俺の前で、そう平然と間島先輩の末路を口にする事が出来る。
 落ち着け。
 ――落ち着け。
「……それでは、彼女は一体、何なんですか」
 俺はおじいさんを見据える。

「あの鬼は、我が当主が連れて来た、被験者です」

 此処で、俺は内側にある何かが切れる音が聞こえた。
「――ふざけんな!」
 机を思い切り叩いてから立ち上がる。
「何が被験者だ! バカにすんじゃねえよ! 人を何だと思ってるんだ、あんた達は! 特別な目だって? 自分達が特別な人間だと、言いたいのか。そして彼女を蔑んでいるのか。彼女は俺の前に確かに居たんだよ! 彼女が鬼だとどうして言える! 間島先輩も、そうだ。間島先輩を殺したのはあんた達か!」

「――吉原」

 俺達の間に入って来たのは、岡田だった。
 俺は岡田の格好を見て、目を丸くする。
 岡田はおじいさんと同じように、着流しの格好で其処に居た。そのせいだろうか、岡田の周りは静か過ぎる。静かな空気が、岡田を取り巻いていた。
 普段の岡田とは余りにも違い過ぎた。
 岡田の手には盆があり、盆の上には急須と三人分の湯飲が乗せられている。
「今のは、取り消せ」
「……岡田」
 岡田は俺と違って冷静だった。
「じいちゃんも何も知らない吉原に言い過ぎだ。吉原も、じいちゃんが悪い訳じゃないんだ。間島先輩の件の半分は、お前にも責任があるんだからな」
「……」
「座れよ。茶、持って来てやったぞ」
 俺は岡田に促されて、正座し直す。岡田が机の上に急須と湯飲を置いて行く。
「……それにしても、その格好は何だ」
 岡田の格好に俺は意表を付かれる。
「ああ、これか。俺の趣味だ」
 趣味なのか。趣味でもその格好は意外なのだけれど。
「祐司は、私に影響を受けているだけですよ」
「……こっちの方が着やすいからな」
 おじいさんに言われて、岡田の顔が心なしか赤い。暖房のせいではない事は確かだろう。
「それじゃ、俺は部屋に居るから」
 岡田がそう言い残して、部屋を出て行く。
「岡田君はおじいちゃん子でね。影響を受けるのもおかしくはないよ」
 ぼんやりと岡田を見送る俺に、沢木さんが出されたお茶に手を付けながら言う。
 そういえば、俺は岡田の家族の話は聞いた事が無かった。
 谷口なら何か知っているかもしれないと思うが、その肝心の谷口はどうしたのだろう。写真を見れば、どういう訳か彼女の手を引いている谷口の姿は、其処には無かった。
「……あの、この写真に写っている筈だった、谷口と言う子を知りませんか」
「……ああ、祐司の友達ですね。一度か二度、私の家にも寄ってくれた事があります」
 俺の話に応えてくれたのは、おじいさんである。
「……谷口明」
「……」
 沢木さんが谷口の名前を口にする。それもフルネームで。
「……あの日、沢木さんと会う前、俺は谷口と会っていたんです。谷口は、彼女を連れていました。喫茶店のお姉さんも、彼女を見ています。それは、どう説明するんですか」
「……その時は、谷口君が彼女に声をかけたんだよね?」
 沢木さんの言葉に、俺は頷く。
 そう、あの日は確か、谷口が先に彼女を見付けたと言っていたのだ。
「――神狩、でしょうか」
 おじいさんの落ち着き払ったその声は逆に、俺に不安を与える。
 カガリ。
「……神を狩るものと書いて、神狩(カガリ)と呼ぶんだけどね」
 沢木さんが俺に説明する。
「神狩は鬼ではあるけれど、鬼には無い力を持っているんだよ」
「……どういう、意味ですか」
「……吉原君。それより、鬼花を知りたいよね。君はまだ鬼花そのものをその目で見ていない」
「……」
 確かに俺は、鬼花なるものが何であるか解らず、その現物を見てみたかった。
 鬼花とは何なのか。
 沢木さんや彼女から話を聞いても、未だに漠然としている。
「知りたいよね」
 間近で迫る沢木さんに、俺は思わず頷いてしまった。
「うん。それじゃ、研究所の方に連絡を入れておくよ。研究所には鬼花のサンプルがあるから、それを吉原君に見せてあげよう」
 鬼花のサンプル。
 そんなものがあるのか。
「……失礼します」
 沢木さんは立ち上がり、おじいさんに言った後、部屋を出て行ってしまった。廊下の方から沢木さんの声が響いた。
「……ああ、そうそう、僕。今、岡田さんの所。うん、そう、吉原君も一緒」
 電話の相手は千夏さんだろうか、それとも長谷川さんだろうか。
「……吉原さん。あなたは、緑原山に何があるのか、ご存知ですか」
「あ……いえ」
 そうだ。
 俺はその謎が知りたい為に、岡田におじいさんから話を聞くように言っていたのではないのか。
「あそこは、我が主が鬼花なる鬼を祭る為に用意した山です」
「……」
 俺の耳は今、おじいさんの声だけを拾っている。
「鬼花は元は人間です。人間が鬼と同化して鬼花となります。そしてそれを斬るのが私達の役目です」
「……」
「その私達が斬った鬼花の末路はどうなるのでしょう。普通の死として捉える事が出来ましょうか。鬼花なるものは、私達……、神守の手によって、人知れずこの世から存在を消されるのです」
「……そんな」
 そんな事が、有り得るのか。
 間島先輩は。
「ですから、吉原さん」
 おじいさんが優しい目をして俺に言うのは。

「あなただけは、道を見失わないように、努めてください」

「……」
 おじいさんは話を続ける。
「ただの人が鬼花を前にした時、己の愚かさに前を見失ってしまう事があります。それは人が人である証であり、鬼花には無いものです。私達の脳は既に麻痺しています。あなたは……、狂わないようにお願いしますよ」
 ……にっこり微笑んで言う内容だろうか。
「お待たせ」
 丁度、話に区切りが付いた所で、携帯電話を手にした沢木さんが部屋に戻って来た。
 どうせ、この人の事だから、通話が終わっても俺とおじいさんの話を盗み聞きしていたに違いない。その証拠に、部屋に戻って来るタイミングが良過ぎる。
「さて、何処まで話したかな」
「……谷口について」
「そう」
 沢木さんは正座し直すと、冷め切った茶を一気に飲み干した。
「谷口君か。……さあ、何だろうね」
「……それは、俺が聞いている」
「……吉原君、我々神守の人間にも知らない事だってある。神の守り手とは言え、全てを知らされている訳じゃない。今回の彼女の件にしてもそうだ。……我々は、神の考え等、到底理解出来ない」
「……」
 俺は沢木さんは嘘を言っていないように思えたので、これ以上、追求するのは止めた。
「兎に角、谷口君は要注意人物として、我々が見張っている存在だ」
「……岡田は」
 岡田はその事について、知っているのだろうか。
 岡田は谷口とは中学の時から付き合いがある。
「……あの子は、強い子です。私の孫ですからね」
 おじいさんが、心配する俺に向けて微笑む。
 そのおじいさんの言葉は、俺に重く響いた。
「……さて。研究所に連絡を入れておいたから、鬼花のサンプルを見に行くかい」
 沢木さんが立ち上がる。
「ああ、あの研究所は一体何なんですか。何であの学校、あの山にあるんです。団地が出来る前から、あったんですか」
 俺は沢木さんを見上げて尋ねる。
 最初から聞きたかった事を。
「……ああ、あそこにはかつて集落があったんだ。団地が出来る前、あの辺にね。地図にも乗っていない、名も知られていない村があったんだよ」
 やっぱり、村があったのか。
 でもどうして無くなってしまったのだろう。過疎が進んだせいか。
「……学校は、その時の名残かな」
 何処か沢木さんは遠くを見詰めている。
「神守が残った木造校舎を買い取ったんだ。そして、桜木製薬研究所として使っている。表向きは新薬開発の研究機関としてね」
 そうだったのか。
「研究所に行くなら、祐司を連れて行きなさい」
 おじいさんが、部屋を出て行こうとする俺達に、声をかける。
「今夜辺りが山でしょう。月の力が弱まっている時期ですから、鬼の方も悠長にしていられませんよ。祐司を連れて行きなさい」
「……仰せのままに」
 おじいさんに沢木さんが頷く。
「その、デジカメはどうする。調査は終わってるから、吉原君の好きにして良いよ」
 沢木さんが机の上に置いてある間島先輩の愛用の、デジカメを指差す。
 ……これは、山根が持っていた方が良いのかもしれない。
 俺は間島先輩のデジカメを鞄の中に写真と共に入れた。


「そんじゃ、出発進行!」
 岡田が元気良く声を上げる。
 俺と岡田は沢木さんのワゴン車に再び乗っている。そして緑原山に向かっていた。
 外はすっかり真っ暗になっていて、今夜も綺麗な半月が浮かんでいる。
 岡田は相変わらずで、鼻歌を歌いながら家から持参したスナック菓子を頬張っている。着流しにスナック菓子の組み合わせはどうかと思うが、俺は黙っておいた。
「吉原も食べるか」
「……遠慮しておくよ」
 俺は何処か疲れているのだろうか。
 岡田はどう思っているのだろう、谷口については。
 そもそも、岡田は全部知っているのだろうか。鬼花の話も、神様の話も。
「何だ?」
「……いや、何でも無い」
 岡田の顔色を窺っていたのがバレていたのだろう、俺は俺で素知らぬ顔を通す。
 そうこうしている内に、ワゴン車は緑原山の入り口に差し掛かった。此処から先は車ではなく、徒歩で行く事になる。
 俺と岡田はワゴン車を降りる。
「沢木さんは」
「お待たせ」
 沢木さんは何故かキックボードを手にしていた。岡田も何故か自転車を車から下ろしている。
 ……今から山を登ると言う時に、二人は何を考えているのだろう。
「どうするんですか、そんなもので」
「ん、これで僕達は山登るんだよ」
 ……マジですか?
「僕と岡田君には、神守の力があるからね。神から分け与えられた力の一つでね。……吉原君は、彼女が居る」
「え」
「こんにちは」
 うわっ。
 俺は思わず、岡田の影に隠れてしまった。
 何時の間にか彼女が沢木さんの隣に立っていたからだ。
「それじゃあ、頼んだよ」
「頼まれました」
 沢木さんに彼女が頷き、俺の方へ手を差し出す。
「行こう」
「……あ、はい」
 俺は彼女の手を握る。
 俺は沢木さんの話を思い出していた。
 ――彼女には実体が無い。
 そうは言っても、握る彼女の手には確かに、温もりがあった。
 ただそれだけが、俺の救いだった。

「――あれ」

 彼女と共に辿り着いた先は、あの研究所ではない、別の開けた場所に出た。緑原山の中である事は確かだが、俺はこの場所を知らなかった。
 草むらの中に俺と彼女は立っている。
 俺は彼女を見る。
 彼女の方も此処が何処だか分からず、しきりに首を傾げている。
「あれ、あれれ?」
「……どうしたんですか」
「何時もなら、座標を確認して飛ぶんだけど、今回はどうしちゃったんだろう。私、ちゃんと正確に入力したんだよ。何で此処に飛んだのか、私にも分からないのよ。何で……」
 彼女が焦っているのが、俺も分かった。
「……始?」
 え。
 俺は聞き知ったその声に、息を飲む。
 声のする方を向けば、どういう訳か山根が立っていた。
 俺は山根と対峙している。山根は成宮の制服を着ていた。
「山根」
「……始、とバカ女か」
 バカ女とは彼女の事か。
 その前に。
「……お前、彼女が分かるのか」
「……分かるけど」
 ……どういう事だ。
 沢木さんの話には矛盾が生じるのではないのか。
 「彼女」を認識出来るのは、鬼花と神守の人間だけである。山根は鬼花では無かった。そして俺も鬼花では無いと判明している。
 それなら何故、俺と山根は彼女が見えている?
「どうして、山根が此処に居るんだ」
「……僕は、谷口に連れられて此処まで来たんだ」
 え。
 谷口が此処に居るのか。それでも俺が見える範囲では、谷口の姿は無かった。
「……僕は、谷口に始の話が本当で、間島先輩もそのせいだと、聞かされたから。此処で待っていれば、時期に始とバカ女が一緒に現れるって、谷口から聞いたんだ」
「……」
 そうだ、俺は山根に沢木さん達の話をしていた。
「……谷口は、何処に居るんだ」
「……始、僕は今、何を見ている?」
 一体何を見ているのだろう。
 それは俺も知りたかった。

「……今日は、月が半分しか出ていないから、僕の力も半減するんだけど」

 谷口の声が辺りに響いた。
 俺と山根は谷口を探す。彼女は俺の横に居る。
「まあ、無いよりはマシかな」
 今度は谷口の声がはっきりと聞こえた。
「……あなた」
 彼女が谷口の姿を捉える。
 何時の間にか、俺の目の前に、山根の隣に谷口が居る。
 谷口は成宮高校の制服を着ていた。
「あなたは」
「……君の力を操作させて貰ったよ。そのくらいは構わないだろう、裏切り者」
 裏切り者。
「吉原、君はあの男から神守の話を聞いたんだろう」
 俺の知っている、何時もの谷口は其処には居なかった。
「神狩の話は知ってるか」
 俺は首を縦に振る。
「そうか。知っているなら話は早い。僕がその神狩でもある」
「……」
「神狩の役目は……、そうだね。字の如く、神を狩るんだよ。神の手先を狩るんだ」
 神の手先と言うのは、神守の人達の事だろうか。
「鬼が何であるのか、鬼花が何であるのか。吉原は知りたいのだろう」
「……そうだ」
 俺は谷口に飲まれそうで、怖かった。
「それじゃあ、教えてあげるよ」
 一陣の風が、俺の横を通り過ぎる。
 刹那。
「う……」
 目の前に居る谷口の顔が、身体が変形して行くのを、俺は見た。
 谷口の皮膚は赤く変色し、耳はとんがり、髪は金に、目は青く、そして。
 背は俺を遥かに超え、3メートルはいっているだろうか。そしてそれに見合った筋肉。
 谷口が着ていた制服はとうの昔に身体の変化によって破り捨てられ、代わりに全身に白い布が巻かれていた。
 ――これは、何だ。
 俺は今、何を見ている。
 これは。
 目の前に居るのは化け物と呼んでも、おかしくは無かった。
「吉原。これが本当の鬼の姿だよ。あの闇の中では姿は無いが、光の中でなら、こうして姿を見せる事が出来る。この美しい姿をね」
 姿は鬼でも、声は谷口のものだった。
「……谷口、お前は一体……」
「神を殺す者を鬼と呼ぶ。その鬼を神狩として神守は恐れる。そして鬼は更に力を付ける為に、人に取り込む。その鬼を取り込んだ者は鬼花となる」
 それは沢木さんから聞いた話では、無いようなものも含まれている。
「吉原はどうして、鬼を取り込んだ人間が鬼花、と呼ばれるか知ってるか」
「……」
 俺は何も知らない、何も。
「そう、それじゃあ教えてあげるよ」
 谷口が山根を捉える。
 山根は谷口を見ても、どうにか気丈に立っていた。
「……始」
 谷口に間近で見据えられ、流石の山根も俺に助けを求めているのが、分かった。山根も鬼と化した谷口を、どう捉えていいのか分からないのだろう。
「山根、俺達の方に……」
 俺は山根を俺と彼女の方へ来るよう、言おうとした、その時だった。
 谷口の腕が、山根を。
 谷口の腕が山根の心臓を――、貫いた。
 何だこれは。
 一体、何の冗談だ。
 目に映るのは山根の身体から噴き出す、血。
 血、血、一体誰の。
 ――山根の、血が。
「……うわあああッ!」
 絶叫。
「……吉原君!」
 彼女の手が、俺の手を包む。
「あ……」
「山根君は大丈夫だから!」
 何を根拠に言っているのだろう、彼女は。
 谷口の腕が山根の心臓を貫いたのだ。おびただしい程の血が辺りを濡らしているのを、彼女は知らない訳じゃないだろう。
「まだ、山根君は鬼と同化はしていない。今ならまだ間に合うから!」
 同化?
 見れば、谷口は山根に馬乗りになって、そのまま動かなかった。山根の方も倒れたまま、動かなかった。
「……どういう訳です」
「……闇の中に引き摺り込めないから、鬼はああやって直接、山根君に侵入しようとしているの」
 侵入。
「それじゃあ……、山根は死んだ訳じゃないんですか」
「……」
 彼女は何も答えない。
「死ぬんですか」
 俺がしつこく聞いて来るので、彼女も答えるしか無かった。
「死んだ訳じゃないけど……、でも、鬼花になってしまえば……、同じ」
 同じ。
 鬼花になれば、死ぬのと同然だと言うのか。
 間島先輩と同じように。
 俺はあまりの事に、膝をつく。
「それじゃあ、俺はどうすればいいんです。ただ、こうして黙って山根が鬼花になるのを、黙って見過ごせと言うんですか!」
「吉原君……」

「……そうならない為に、我々が居る」

 沢木さんの、声。
「吉原、大丈夫か」
 そして岡田が俺に手を差し伸べる。
「全く。あんたが肝心な部分をはぐらかすから、こういう結果になるんだろう」
「瑠璃ちゃん、何時も肝心な所でミスるよねえ」
 静少年が沢木さんの斜め向かいに居て、鈴が静少年に寄り添うように立っている。
「……何で」
 俺は沢木さんと岡田が居るのは分かるが、静少年と鈴が居る意味が分からなかった。
「言ったでしょ、鈴ちゃんと静君はウチの大事な戦力だって」
 見れば静少年の手には、刀――、日本刀が握られている。以前、研究所で静少年が持っていたケースの中身が、今握っている刀だったのだろうか。俺はてっきり、剣道で使う竹刀が入っているものとばかり思っていた。
「神を狩る神狩も居れば、鬼を討つ人間も居るんだよね。我々は鈴ちゃんや静君を、鬼を封じると書いて、鬼封(きふう)と呼んでいる」
 ああ、また新しい言葉が出て来た。
「神守とは違うんですか」
「ああ……、まあね。岡田君は神守だけど、鬼封じゃないと言えば解るかな」
 いや、さっぱり解りませんけど。
「……俺は谷口に、手を出せないんだ」
 不意に岡田が呟く。
 それは何処か重く響いた。
「神守はあくまで神の守り手に徹する。余計な手出しは無用。それだけだ」
「岡田……」
 岡田は変貌した谷口を見て、何を思うのだろう。そしてそれに手を出せない自分を、どう思うのだろう。
 俺は。
「さて、それじゃ、ちゃっちゃとやっちゃいますか」
「鈴は後方に回れ」
「らじゃ」
 鈴と静少年が行動を開始する。
 静少年が谷口の正面に回り、鈴が谷口の背面へ回り込む。
「やば、コイツ、同化するの早いよ!」
 鈴の声が俺の耳に届く。
 静少年が鞘から刀を抜いた。
 ……真剣か。
 静少年が、刀を振り下ろした、と思ったら。
 谷口の姿が、忽然と消えた。
「……やったのか?」
「違う」
 俺の言葉に岡田が首を横に振る。
「山根と同化した」
「何だって?」
 俺はもう一度、岡田に問い質す。
「――沢木!」
 静少年が沢木さんの名を、叫ぶ。
「倍にしろ!」
「え、そんな殺生な。約束の金額で、お願いしますよ」
「コイツは今までと格が違う。俺達も、覚悟してるんだ。それに見合った金額でないと、やる気も起きない」
「う、う~ん」
 静少年の言葉に沢木さんは唸る。
 倍? 金額?
 何の話だ。
「吉原、さっき、沢木のおっさんが神守と鬼封の違いが解るかと聞いただろう」
「ああ……」
 俺が静少年と沢木さんの会話に首を傾げていると、横で岡田が声を潜めて教えてくれた。
「神守はいわばボランティアだな。ボランティア精神で、神様を守る。で、鬼封の奴等は神守から金を取って鬼退治をするんだ。その違いだな」
「……な」
 俺は岡田からその話を聞かされ、唖然とする。
 静少年や鈴は、神守――、沢木さん達から金を取っているのか?
「金を取るって……、まだ中学生だぞ」
「労働基準法には違反するけどな。でも、そうしないと彼等も生活が出来ない。鬼封の奴等は揃って親無しだ。下手すれば路頭に迷う。その生活を支えているのが、俺達神守だ」
「……」
 鬼封をやるという事は、それなりの覚悟も必要だと、岡田が補足する。
 俺は今まで一体何を見ていたのだろう。
 静少年も鈴にも、見えない所で闇を抱えている。
 それは山根も同じで。
「……吉原君」
 沢木さんの声が、俺を現実へ引き戻す。
「吉原君。あれが――鬼花だよ」
 俺は目を堪えて沢木さんが示す先を見る。
 血塗れで倒れていた山根が静かに起き上がるのが見えた。
 山根の身体が谷口と同じように、変化して行く。
 山根の肌は白から赤へ。山根の目が黒から青へ。髪は黄金色、短かった山根の髪は足元まで届くかのように長く伸びている。
 谷口に貫かれた心臓は、見る見るうちに塞がっていく。
 谷口のように、3メートルを超えるとか、筋肉質になるとかは一切なく、背も筋肉も山根のままだった。
 山根が立ち上がる。
 俺は山根が変化した姿を見て、それはまるで。

 ――それはまるで花のように美しいものだと、感じた。