02

 そもそも、市街地から発車している緑原高校行きのバスを使う生徒は稀である。殆どが徒歩か電車通学だった。緑原高校の生徒の九割が自宅がある緑原団地から通っているのも、その要因かもしれない。

「んー、緑原は気持ちがいいね」

 バスから降りた中村さんは背筋を伸ばして、深呼吸を繰り返している。
 緑原の四方にあるのは山ばかりで、山地を切り開いて出来た閑静な団地がある。それが緑原団地。山の中には訳の分からない施設も幾つかあった。環境に優しく、空気も美味しい、というのが緑原団地の謳い文句なんだそうだ。しかし、その分団地の中には品揃えが悪い寂れた商店街があるだけで、今では現代人には欠かせないと思われるコンビニすら無かった。裏を返せば田舎なだけだった。
「俺は将来、緑原に家を建てたいなー」
「……」
 私は中村さんの話を聞かずに、学校に向かってさっさと歩き出す。
「そんでこの自然の中で自分の子供と一緒にはしゃぐんだ。悪くないね!」
 ……あれ?
 私は中村さんの話を聞いて立ち止まる。
「中村さん、子供居たんですか」
 その話は初耳なのだけど。
 中村さんが二十六歳なら彼女の一人は居てもおかしくはないけど、彼に子供が居るのは信じ難い。そもそも、中村さんに彼女が居るかどうかすら怪しいものだ。
「いや、俺には子供は居ないよ。将来、そうなったらいいなという妄想だ!」
「……」
 妄想ですか、そうですか。
 しかし、妄想だと言い切ってしまうのもどうかと思いますけど、中村さん。
「それで、その妄想が現実になるように、有坂さんも手伝ってくれない?」
「はい?」
 嫌な予感がするけど、私は中村さんに反応してしまった。
「俺と有坂さんで子供を――。ぐふっ」
「妄想は妄想だけに留めて下さい」
 私は遠慮無く中村さんの鳩尾に一発、肘をあてがった。
 中村さんが言う事は冗談だと分かり切っているが、今のは完全なセクハラだろう。下手すれば警察に連行されかねない発言である。
「いや、手厳しいね全く」
「当然です」
 当然だ、と心の中でも思う。
「有坂さんはさー、好きな人とか居ないの」
 好きな人。
 どういう意味での好きな人なのか。
 ……決まっている。
「居ませんよ」
 完璧だ。何の間も持たずに完璧にあっさりと、一言簡潔に中村さんに答えてやった私を褒めてやりたいくらいだった。
「それも寂しくない? 有坂さんくらいの年だったらさ、勉強よりも恋愛を楽しみなさいよ。それもまた青春だぜ」
 おや、久々にマトモな事を言っていますね、中村さん。
 それでも。
「中村さんに言われたくないですよ」
 私は中村さんよりは、精神的に見れば大人だと思う。今だって笑顔で中村さんに反撃する事なく応対しているのは、大人である証拠だ。そう、思いたかった。
「居なくても好きな人くらい、作った方がいいぜ。例えば」
 例えば。
 ……私はあの人の顔を思い浮かべたが、どうせ、中村さんの言う事は予測がついている。
「例えば、俺とかね」
 中村さんが人の悪そうな笑みを浮かべる。
 私の予測通りの言葉だった。
「遠慮しておきます」
 だから私は笑顔できっぱりと中村さんを断ってやった。


「で、今日もその人、遅刻してたんだ」
「そう。今日も懲りずに遅刻してたよ」
 学校に到着した私の話を聞いているのは、友人の宮下茜(みやしたあかね)である。
 今朝の話題の中心は、中村さんである。
 中村さんがいつもバスに乗り遅れそうだと言う話を茜にしたら、茜は面白い人だねと笑った。
 中村さんは確かに傍から見れば面白い男かもしれない。私から見れば只、迷惑な男という印象しか無かったけれど。
「どんな人か、会ってみたいなー」
「止めておいた方がいいと思うけど」
 私は茜に中村さんを紹介する気は無かった。
「でも、私もその人の言う事に賛成かな」
「何が」
「好きな人を作れって言う話。カナも好きな人くらい作った方がいいよー。彼氏居れば色々便利だしねー」
 ……最後の部分はどう解釈すればいいいんでしょうか、茜さん。
「カナくらい可愛い子なら、いつでも作れるじゃん」
「……いや、別に可愛いとは思わないけど」
 そう。
 私は私が嫌いだった。茜が言う程、可愛い女じゃない。
「謙遜しなくていいよー、生徒会の副会長からも声がかかってるんでしょ」
 茜が言う事は本当だ。
 この緑原高校の生徒会の副会長でもある野口久司から、私は笑えるけれど愛の告白をされていた(野口さん本人がこれは愛の告白だ、と私に宣言している)。
「野口さん……、ね」
「悪くないじゃん。今では副会長だけどさー、将来は絶対、生徒会長になれるって言われている眼鏡君だよ?」
 ……茜の言葉には何処か毒があると思うのは、気のせいですか。
 いや、野口さんは確かに眼鏡をかけた眼鏡君だけども。
「何より、顔もいいしねー」
 茜が嬉々として私に言った。
 そこか。結局、そこに行き着くのか。茜の言う事も否定は出来ないけれど。
「野口さんは昨日、断っておいたから」
「え? 本当に?」
 茜に私は頷く。
 私が気が無いのにいつまでも野口さんを待たせていては、気の毒だから。
 それを言ったら茜は納得した様子で、頷いている。