眼鏡をかけた成宮高校の生徒だった。彼は物腰が柔らかそうな感じがして、嫌な気分はしなかった。ナンパ目的ではない事は、確かだろうから。
「君、昨日、吉原君と話していた子だよね?」
え。
「吉原君、知っているんですか」
「彼は僕の友人だから」
彼は私に穏やかに微笑んだ。
どういう訳か私は彼と一緒にバス停で立っている。
「吉原君、待ってるの?」
「……えーと」
どう言えばいいだろうか。
彼にしてみれば私は他校の人間で、部外者なのだから。
考えている間、彼は私に構わず咳き込んだ。
「大丈夫ですか」
「あ、うん、大丈夫」
彼はそれでも笑顔を絶やさなかった。
「多分、吉原君は今日は休みなんじゃないかな」
「え」
「昨日の雨で、傘も差さずに外に出ていたみたいだから」
何で。
吉原君に限ってそんな無茶をする筈は。
「……君は吉原君の彼女について、知らないか」
「彼女?!」
私は思わずその場で声を上げてしまった。バス停で待っている人間達が何事かと、私に注目する。
吉原君に彼女? まさか、成宮高校は男子校の筈で、私はそれに関してはすっかり安心していた。
吉原君に失礼かもしれないが、吉原君には女の存在等、私は微塵にもあるとは思わなかったから。
「ああ……、これは余計な事を言ってしまったかな、ごめん」
彼は静かに謝る。それは私に対してか、吉原君に対してか分からなかったけれど。
彼の話を要約するとつまり。
「……吉原君はその彼女の為に雨の中、外に出ていてそのせいで風邪でも引いて休んでいると?」
「……そうなるね、多分」
ああ、自分で言葉に出して言ってみたらますます気分がウツになる。
眼鏡の彼も困ったように私に笑うだけで。
「……」
「ただ、吉原君は一方的に彼女に熱心なだけだと思うから……」
ああ、その励まし方はますます私を落ち込ませるだけですよ、眼鏡君。
「それじゃ僕はバスに乗るから……」
眼鏡君は私を置いて、五十分発の成宮高校のバスに乗って行ってしまった。
それから。
次の日も私は午前七時三十五分発の成宮高校行きを待ったが、吉原君は現れなかった。
七時四十分発の緑原高校行きに、私は乗らなくなった。中村さんは相変わらずその時間を利用していて、私に構わず時間通りのバスに乗って行ってしまう。中村さんが私に何を言っても聞かないと、悟っての行動だろう。
どういう訳か、あの眼鏡君はあれから一度も七時五十分になっても、私の前に姿を見せなかった。
そしてその次の日も同じ繰り返しで、吉原君は私の前に現れなかった。あの眼鏡君の言う事は本当だったのか。その真意を確かめたいけど、吉原君本人が現れないのでは、話にならない。
その状態が三日も続けば私は、流石にに参ってしまった。
お陰で今日、寝坊して七時台のバスに乗り遅れてしまった。最悪な気分だ。
「カナが遅刻なんて、珍しいよね」
「バスに乗り遅れたんだって? 大変だな、バス通学も時間を間違うと悲惨だなー」
いつものように緑原高校のとある教室内で、茜と南君が話しているその傍で。
私は沈んでいた。
眼鏡君が言っていた話は、真実かどうか分からない。眼鏡君は確かに成宮高校の制服を着ていたけれど、吉原君の本当の友人であるかどうか、怪しいものがある。
それでも、眼鏡君の話は何処か真実味があって、私でも簡単に信じてしまう力はあった。眼鏡君の人柄もあるのだろう。眼鏡君のあの優しそうな顔は簡単に嘘を吐くような人ではない、と思わせるのは十分だった。
「カナー? 大丈夫?」
「珍しいな、有坂が凹んでるのを見るのは。そういえばここ数日、覇気が無い感じだが」
「カナはいつも凹んでるよ?」
「え、そうは見えないけど」
「ああ見えて、繊細なんだよ。カナは何処か壊れてる所があるから」
「そうなの?」
「そうよ。カナは私達の知らない所で、傷ついてるの。実はカナは家族からも見放された、可哀想な子なのよ。この間、袖口から包帯巻いている所を見た時は、流石に痛々しくて」
「マジで?」
「そう、大マジよ。リストカットってあるでしょ、カナはあれの常習犯で……」
「いや、全部嘘だから!」
茜を放っておいたら何も知らない南君相手に、何処までも私の捏造された話を更に拡大していきそうだったので、仕方なく私が止めに入った。
「何処までが嘘だって?」
「茜の話、全部」
それが証拠であるように、私は南君に袖をまくって肌を見せた。私の腕には勿論、包帯も巻かれていなければ、ナイフで切り付けたような傷跡も無い。
南君は私の話を聞いて腕を見て納得した上で、茜を見る。茜はすました顔で、南君に私の捏造について、弁解する事は更々無いようだった。
「だってその方が盛り上がるでしょ」
「盛り上がるって誰が」
「私が」
「……」
もう、茜に何も言う気が無いのか南君は言葉の代わりに、大きく溜息を吐いた。
「全く、呆れるわ」
「でもお陰で、さっきよりは元気になったでしょ」
に、と笑みを浮かべて茜が顔を上げている私を見る。
あ。
私は南君と顔を見合わせる。
茜は茜なりに、私を励ましていてくれたのか。
私は茜の気遣いに涙が出そうになった。
「うん、ありがとう」
「カナは私にそこまで感謝しているなら、今日、帰りに私と市内まで付き合ってよ」
あれ。
さっきまでの感動は何処に。
「何で市内まで?」
「買いたい洋服があるんだよねー。あ、あと、新しく出来たっていう店もチェックしておきたいしー。昨日行く予定だったけど、雨でそんな気分になれなかったし。南君も付き合ってよ」
「俺はミス研の活動が」
「付き合ってね?」
「……はい」
どうしても南君は茜の言う事を聞いてしまう。南君と茜は小学生の頃からの付き合いらしい。この関係は昔も今も変わらないのだろう。
どっちにしろ、南君は必要だ。私の場合はバスで短い時間だけれど、茜が市内から緑原にまた帰るのは、けっこうきついものがある。茜にどういう意図があるか分からないが、私はそれに付き合う事にした。
こうしてどういう訳か私達三人は、放課後に市内まで出る事になった。