あの子は特別だから、しばらくの間、離れ離れにならなければいけないんだ。
そう、大人達に諭されてもルルゥは納得がいかなかった。
どうしてエルルだけが特別なんだ。ルルゥとエルルは赤ちゃんの時から一緒に育って、一緒に暮らしている仲だ。いきなり大人の事情でエルルと引き離されるのは、ルルゥは嫌だった。
今更、エルルを一人に出来るか。ルルゥはエルルが幽閉されている屋敷に、何度も足を運んだがいつも門の前で追い返されてしまう。
そして、今日も。
「勝負だ、門番!」
「何度来ても無駄だよ。命が惜しくないのかい」
門番はルルゥより、遥かに年上で鉄の鎧で全身を固めていて、村の皆もルルゥも彼の素顔を見た事が無かった。門番はルルゥが暮らす村ではない、外から来た人間だった。それでも彼は村長から信頼されている。門番は挨拶をすれば気さくに返してくれるので村人達の間でも評判は上々で、若い村人達を槍一振りで撃退出来る程の腕を持つ。村長も彼の腕を買って屋敷の門番として、雇ったのだろう。
けれどもルルゥは、素性も知れない門番が気に食わなかった。
何故なら。
「僕はエルルを助けるんだ! うわあああ!」
ルルゥは勢い任せで門番に殴りかかる。門番はあっさりとルルゥの動きを避けて、門番はためらいも無くルルゥの腹に一発食らわした。
ルルゥはたまらず地面に這いつくばり、腹を押さえその場で嘔吐する。
「だから言っただろう。来るだけ無駄だって」
「……、一人で立てる」
手を貸そうとする門番を、ルルゥはその手を振り払う。
「君も懲りないね。エルルと二度と会えなくなる訳じゃないのに」
「……そんな約束、信用出来るか」
門番の言葉にルルゥはツバを地面に吐き捨てる。
「ほんの一ヶ月の事だ。それでも我慢出来ないのか」
「ほんの一ヶ月なら、ほんの少しくらいエルルに会わせてくれてもいいじゃないか」
ルルゥは自分より倍高い位置にある門番を背伸びして、睨み返す。それが、ルルゥが今出来る精一杯の門番への抗議であった。
「どうしてそうまでして、エルルにこだわる? たった一ヶ月、会えなくても何の支障も無いだろう?」
「冷酷非常な門番に、僕達の事が分かってたまるか!」
ルルゥは門番にそう吐き捨てて、ルルゥは今日も門番に惨敗して屋敷から退散した。
エルル。
門番は言うけど、僕は一ヶ月も君に会えないなんて、耐えられないよ。ルルゥは自分の家で自分の部屋ではあ、と息を吐いたその傍で。
「あーあ。またルルゥの溜息」
「何度も溜息吐いていると、その分、幸せが逃げるって言うぞ」
「僕の幸せは何処にあるんだ」
ルルゥの周りに居る友達、ノーマとジャスが呆れている傍で、ルルゥはまた息を吐く。今度はノーマとジャスにわざと聞こえるよう、大きな溜息である。
「幾ら双子でも、毎日一緒に居ると飽きないか」
「これを機会に妹離れしろよ、お兄ちゃん」
「いつも一緒に居て、大人の事情で引き裂かれた兄弟を何とも思わない方がどうかしている。それがエルルなら尚更だ」
冷めた目で見るジャスと、からかうノーマに、ルルゥは膨れる。
ルルゥとエルルは普通の兄弟とは訳が違う。そう、彼等は双子である。村の中で双子はルルゥとエルルしか居なかった。
「お前らも門番と同じだな」
「門番も僕と同じ意見か。光栄だな」
ルルゥは門番に負けて帰って来た自分を慰めてもくれないジャスとノーマを非難する為に吐き捨てたが、ノーマにしてみればそれは逆効果であった。
ノーマは門番に憧れているらしい。強くて凛々しい門番。それがノーマの門番に対するイメージであった。確かにルルゥやジャスよりも背が低く、力も弱いノーマは、その逆をいく門番を羨望するのは仕方が無いかもしれない。
逆にジャスはいつも冷静で落ち着いている。ノーマやルルゥのように感情的にはならない性質であった。
「ノーマ、門番はやめておけよ」
「ただの憧れだよ。僕の友達はジャスとルルゥだからさ」
ノーマを心配するルルゥに対して、ノーマは恥ずかしげも無く口にする。
「……ノーマ、素で恥ずかしい台詞言うなよ」
「それがノーマだから、いいじゃないか」
ノーマの言葉にルルゥは顔を赤くし、ジャスはくつくつと笑っている。
「ノーマとジャスなら、僕とエルルの気持ちも理解出来るんじゃないか」
「それとこれとはまた話が別だろう」
ノーマは左に、ジャスは右の頬にそれぞれ赤い十字架をあしらった刺青が彫ってあった。 ノーマの祖父にジャスと共に彫って貰ったとノーマが嬉しそうに語っているのを、ルルゥは思い出す。ルルゥにはエルルが必要なように、ノーマにはジャスが必要であった。その証がジャスとノーマの揃いの十字架の刺青だと、ルルゥは思っている。
「エルルちゃんが月の巫女なら、皆も納得だよ」
「まあ、エルル程の美人はこの村にはそう居ないからな」
「そうだろう、そうだろう」
ノーマとジャスにエルルを絶賛されたルルゥは、鼻が高く腕を組んで偉そうに頷いている。
月の巫女。それはルルゥの暮らす村に古くから伝わる風習の一部である。村の中から若く美しい娘を選び出す。その後、十月から十一月の一ヶ月間、家の中から外へ出してはいけないという掟を、選ばれた娘は守らなければいけなかった。見事それに耐えられた娘には、幸せが訪れると言われている。
ルルゥの妹、エルルは先日、月の巫女として選ばれてしまった。月の巫女は、村人達による投票で決めたという訳では無かった。村長の鶴の一声でエルルに決まったのだ。村長はエルルをルルゥに何も言わずに家から自分の暮らしている屋敷へと、連れ出している。ルルゥはそれでは誘拐ではないか、不服があると村長に申し出たが、村長は外から門番を雇い、ルルゥを追い出すのに躍起になっている。
ルルゥも毎日毎日門番に挑んでは、やられて帰って来る。それをノーマもジャスも知っていた。
「しかし、まだあの風習が残っていたとはね。村では、ここ何年もやっていなかったんじゃないか」
「そう、僕はその村の風習ってやつが理解出来ない。何で一ヶ月も村長の屋敷に幽閉されなくちゃいけないんだよ。僕に何の断りも無く連れ出すのは、道理がいかない」
ジャスに同調しつつ、ルルゥは机を叩きながら何故かノーマに訴える。
「じいちゃんに聞いたら、今月は神無月だから仕方が無いって」
「神無月? 何だそれ」
憤慨するルルゥをたしなめる為に、ノーマが出した情報にルルゥが食いつく。
「今月は神様が居ないから、村の中で選び抜かれた特別な巫女様をイケニエに捧げなくては、村が大変な事になるらしいよ」
ノーマの祖父は生まれてからずっと、この村に住んでいる。村で一番の古株で、何でも知っていると言っても過言では無い。おまけにノーマの祖父は村長と幼馴染であった。
ルルゥはノーマに説明を求める。
「何だよ、イケニエって。エルルがどうかなるのか」
「エルルちゃんは魔物に魂を持っていかれる」
「は? 何だって」
ノーマの話に流石のジャスも聞き返した。
「だから、エルルちゃんは魔物に魂を捧げる巫女様で、その代わりに魔物が僕達をあらゆる災厄から村を守ってくれるという訳さ」
「……ふざけんな!」
重要な内容にあっさりと言い放つノーマに、ルルゥはたまらず声を上げる。
「何で村の為にエルルが魔物にやられなくちゃいけないんだよ! 僕は今からエルルを連れ戻す!」
「ルルゥ、落ち着いて。これは昔から残っている風習の真似事だから」
いきり立つルルゥを、ノーマは慌てて事の真相を話した。
「真似?」
「そう。形だけの真似事だ。村にある昔ながらの風習を、再現しているだけさ。エルルちゃんにそれを真似して貰う事で、村の伝統を守ろうとしているんだよ。村の伝統を風化しない為に、未来へ伝える為に」
「……何だ、そうだったんだ」
ノーマの説明を聞いてルルゥは心底、安堵する。
「一ヶ月経てばエルルちゃんも無事、ルルゥの元に返って来るよ」
「でもどうして悪魔が僕達を救うんだ?」
ノーマはルルゥに安心して貰う為に言った事だが、逆にルルゥに新たな疑問が生じる。
悪魔はその響きから、悪いイメージ――、災厄の印象がルルゥにあったからだ。ルルゥにジャスとノーマは顔を見合わせる。
「普通は神様だったりしないか?」
「それは多分、悪魔の方が神より強い力を持っているからじゃないかな」
ノーマから説明を受けてもルルゥの疑問は消えなかった。
悪魔より、神がどうにかして災厄を退けるのならまだ、説得力はあるように思うけど。ルルゥは思うが、次にはジャスがまた話を切り替えたのでその議論を続ける事は適わなかった。
「でも何で今になってエルルが月の巫女に選ばれたんだろうな。その風習、村では何年もやってなかったんだろう?」
「それは僕も知らないよ。でもエルルちゃんなら、月の巫女役はぴったりだろうなあ」
「ああ、僕のエルル、今頃何処でどうしているのか、心配でたまらない」
ジャスの疑問にノーマは軽く答える。
エルルの巫女姿を想像しているのかノーマはうっとりとして、その前ではルルゥが肘をつき憂いの目で窓から外を見ている。そんな二人に挟まれたジャスは一人、出されたお茶に手をつけ一気に飲み干した。
「兎に角、一月も経てばエルルは開放されるんだ。そう、悲観する事はない」
「そうそう。十五夜の月見祭りにはエルルちゃんに会えるんだからさ」
「何?」
ジャスにつられて吐かれたノーマの言葉を、ルルゥは聞き逃さなかった。ノーマはしまったと慌てて口を手で押さえるが、もう遅い。
「本当か!」
「あー……、これは僕のじいちゃんと、村長さんの秘密の話を盗み聞きしたものだから、他言無用を条件で話すけど」
ノーマに飛び付くルルゥ。ルルゥに前置きしてからノーマはその詳細を、ルルゥとジャスに話した。
翌日。
ルルゥはいつになく浮かれている。鼻歌まで出る始末で、ルルゥの今までにない変わり様は、村人達を驚かせるには十分だった。
「随分と機嫌がいいね。どうしたんだい」
「門番如きに教えてやるものか」
いつもの癖で今日も屋敷を尋ねたルルゥと、いつものように屋敷に立っている門番。しかし二人の会話はいつもと違っていた。
「今日は俺に殴りかからないのか」
「今日はそういう気分じゃないから」
門番にルルゥは意地悪な笑みを浮かべる。
「エルルの事はもういいのか」
「エルルとは、もうすぐ会えるからいいんだよ」
最後まで言い終わってルルゥはしまったと、口を手で塞いだが遅かった。
「それは、どういう意味で?」
門番はルルゥの話をしっかりと聞いている。
ルルゥはノーマの話をあっさりと門番に喋ってしまった。ノーマ、すまん。ルルゥは心の中で場に居ないノーマに詫びる。
「友達から明日の十五夜の月見祭りで、エルルが巫女さんで登場するから、それで外に出られるって聞いた」
ルルゥは昨日、ノーマから聞いた話を、門番に話した。
明日、十五夜の夜にルルゥの村では月見祭りが催される。年に一度の村の祭りはルルゥとエルルはいつも楽しみにしていた。今年はエルルが月の巫女として選ばれた為に、ルルゥは彼女と一緒に行けない事に肩を落としていた。
しかしノーマによれば、エルルは月見祭りの主役として登場するそうだ。月の巫女として選ばれたエルルは、月見祭りの中で皆の前で舞いを披露する。それはそれは見る者を魅了してやまない美しい舞いだと、ノーマは祖父から聞き知っている。エルルならそれは美しくて見応えある舞いを見せてくれるだろうと、ノーマは少し興奮しながらルルゥに言っている。
「明日は久し振りにエルルに会えるんだ、それだけで僕は嬉しい」
冷たい門番には分からないだろうけど、ルルゥは嫌味を含んでそう門番に付け足す。
「……へえ、それは良かったね」
少し間を置いて門番はそう、ルルゥの嫌味を跳ね返した。
門番の切り替えしに、ルルゥは拍子抜けする。ルルゥはてっきり、門番に非難されると思ったから。
「門番も、月見祭りに来るのか」
「さあ、主人からエルルの護衛の要請が無ければ、俺はいつも通り此処に立っているだけだ」
見上げるルルゥに門番は肩を竦める。
「門番の主人て、村長か? それだったら村長も月見祭りにはかかせないから、きっと門番も祭りに行けるよ」
「……ああ、そうだな」
鉄の兜により門番の表情は底が知れないが、ルルゥには何処か門番が悲しそうに見えた。
「じゃあな、また明日の夜に」
ルルゥは門番に別れを告げて屋敷から遠ざかる。そのルルゥの背中を門番はいつまでもずっと見詰めていた。
ルルゥの待ち侘びていた月見祭りの日が訪れた。
闇に浮かぶは巨大な満月。満月に照らされる道の端には、灯篭が立てられ灯篭の間には屋台が並んでいる。
「ジャス、ノーマは?」
「さあ、ノーマの家に行ったら、じいさんもノーマも居なかったから先に来た」
いつもの場所で落ち合う約束をしていたルルゥ、ジャス、ノーマ。ルルゥより先に来ていたジャスの隣には、ノーマの姿が無かった。
「何だよ。ノーマが一番、今日の祭りを楽しみにしていたのに」
「じいさんと先に来ているかもしれない。ノーマはエルルの巫女の姿を見たがっていたから、俺達に内緒でじいさんに頼んで、エルルが居る所にでも潜り込んだんだろ」
「あ、そうか。畜生、先を越されてなるものか。エルルの巫女姿を最初に見るのはこの僕の役目だからな!」
ジャスの提言を受けて、ルルゥは興奮しながら村人達で賑わう道を走り出した。
屋台が並ぶ道の先には円形状の広場があり、エルルの舞いはそこで披露されると、ルルゥはノーマから聞いている。ジャスも走るルルゥの後を追いかける。
「……まだ、誰も来ていないみたいだな」
息を切らしているルルゥと反して、ジャスは冷静に広場の様子を分析している。
大体の村人達はまだ屋台に夢中で、広場にはルルゥとジャス、指で数えられるくらいの村人しか居なかった。
「なあ、エルルの出番はまだか」
「ルルゥか。よくエルルの話を聞きつけたな。ま、情報源はノーマだと思うが」
広場に居た知り合いの男にルルゥは尋ねる。ルルゥの知り合いの男、エデンはあっさりとノーマの仕業であると見抜いた。エデンは村長の知り合いで、祭りの役員であった。
「そのノーマは今日は一緒じゃないのか?」
「あれ、村長の所じゃないのか」
エデンが逆にルルゥにノーマの所在を尋ねる。ルルゥはジャスと顔を見合わせる。
エデン以外の村人が数人、腕を組んで何やら深刻そうに話し合っているのがルルゥとジャスにも見えた。彼らは皆、エデン同様、祭りの役員である。
「どうしたの?」
「村長とエルルが屋敷から出て来ないんだ」
エデンによれば、時間になってもエルルと村長が屋敷から出て来ないと言う。別の村人に呼んで来るよう頼んだが、その村人も時間になっても帰って来ないので、エデンは困っているんだとルルゥに言った。
「門番なら何か分かるんじゃないか」
「その門番も朝から姿が見えない」
一体何が起きているのか。
ルルゥは不安になってジャスを見る。ジャスも何か腕を組んで考えている。
「ジャス」
「……ノーマが心配だ。俺達も屋敷に行ってみよう」
何故ノーマが心配なのか。ルルゥはジャスに首を捻るが、ジャスはルルゥには何も言わずに足を向けた、と。
「――お前達、死にたくなければじっとしていろ」
ルルゥのよく知っている声が、辺りに響いた。
門番だった。
屋台とは逆の道から現れた門番に、エデンを含めた役員達が戸惑う。
門番が身につけている銀の鎧は、所々赤黒い液体が付着している。門番の右手には鋭い剣が、左手にはエルルの白い手を引いていた。
「エルル!」
祭り用の巫女衣装は、美しいエルルに充分似合っている。それでもルルゥが焦りの声を上げるのは、エルルの目が黒い布に覆われていた事。エルルは門番の先導無しでは、歩けない状態にあった。
「エルル! 畜生、門番、エルルに何をしている!」
「止めろ、ルルゥ!」
ルルゥはいつものように門番に飛び掛る。普段では滅多に聞けないジャスの張り上げた声によって、ルルゥは寸前で思い止まる事が出来た。
そうしなければ、ルルゥは門番の剣によって身を貫かれていただろう。
「ひっ……」
「知っているか。俺はいつも君に手加減していたんだ」
いつもの雰囲気と違う門番に、ルルゥは冷や汗を流す。此処で初めてルルゥは門番に恐怖を抱いた。兜の中に隠された鋭い目は、目の前に居るルルゥを威嚇するには充分であった。
「お前、自分が何をしているのか分かっているのか!」
エデンがたまらずに門番に向けて声を上げる。
「分かっているさ。俺は今日という日を待ちわびていた」
門番は肩を震わせている。それは歓喜かそれとも恐怖か。鎧で身を隠した門番の変化等、誰も気付く事は無かった。
「門番がノーマをやったのか」
「村長は来ない。ノーマも来ない。屋敷を尋ねた村人も来ない」
ジャスの問いに門番は淡々と言った。それはジャスの望んだ答えではなかった。ジャスは門番を睨み付けるが、門番は動揺を見せずに平然と立っている。
鎧に付着している血。それらは全部。ルルゥは考えて泣きたくなった。
「何で、門番がそんな事をしたんだ!」
ルルゥは泣く代わりに、怒りとも悲しみとも取れる声を震わせる。
「――神無月の夜、この村では決まって満月の日にある儀式を行う事になっている」
ガシャ、門番がエルルの手を引いて歩くたびに、鈍い金属音がルルゥの耳を不快にさせる。
「君は神無月の意味を知っているか」
「……な、何だ」
ルルゥと門番が対峙する。
広場に次第に村人達が集まり出したが、広場の異常を悟ってか村人達はルルゥと門番の様子を遠巻きに眺めているだけだった。
「神が居ない月だ。世界に巣食うあらゆる神が一月の間だけ、この世から別の世へと、移動する。神が不在であるせいで、この星が災厄に襲われるだろうと言われている。神が居ないその穴を埋める為に月の巫女が用意された」
門番は話を続ける。
「神は有であり、無である。月の巫女はその命と引き換えに、神へと成り代わる」
それはつまり。
「何だよそれ、エルルに死ねと言うのか! エルル、僕の声が聞こえているんだろ。今すぐ門番から離れろ! 後はいつものように僕がエルルを助けるから!」
ルルゥは必死にエルルに呼びかける。
エルルはしかし、ルルゥに何の反応も示さなかった。
「エルル!」
「……無駄だよ。彼女の意識は既に向こう側にある」
ルルゥはこの時、自分がどういう行動に出たか分からなかった。傍に居たジャスでさえも止める事は適わなかった。
「うわあああああ!」
獣と同じ目。
ルルゥは武器も持たずに一心不乱に門番に飛び掛った。今度はジャスの声も聞こえない。ルルゥの拳は門番の腹を目掛けて動いた。
ルルゥの拳は門番の手によって動きは止められ、そのままルルゥの身体は宙に舞った。
一瞬、ルルゥは空が地面になった。ルルゥの足は空に、闇につきそうな感覚。その後でルルゥは正常に戻り、代わりに地面に叩きつけられた衝撃と痛みが襲った。
「あああああ!」
悲鳴を上げるルルゥ。
周りに居る村人達は不測の事態に対応出来ずにただざわめくだけで、ルルゥに手を貸そうとする者は居なかった。
ルルゥがうずくまっている間に、門番とエルルは広場の中心まで辿り着く。
「さあ、儀式を始めようか」
門番がエルルから引いていた手を離した。
エルルはよろめく事無く、真っ直ぐに姿勢を伸ばして門番の前に立つ。門番とエルルが向き合う。
「エルル……」
苦しくてもルルゥはエルルの為に立ち上がる。
ジャスがルルゥの隣に立ち、ルルゥを支える。
「ジャス」
「ノーマが言っていたのは、本当だったんだ」
ノーマが言っていた事。エルルの巫女は村の風習を未来へと伝える為の、ただの真似事にしか過ぎない。
けれども今の状況は、エルルが本当にイケニエとして門番――魔物に、その魂を捧げる図ではないか。
「門番は本当に、此処でエルルを殺す気だ」
ジャスの言葉にルルゥは身を震わせる。
その間にも門番はエルルに剣を向ける。その剣先は真っ直ぐ、エルルの心臓を指している。
急げ。急いでエルルを助けないといけない。しかし、さっき門番にやられた身体は傷んで使い物にならない。情けない。何だ。此処まで来ておいて僕は何をしている。門番にはやられて、エルルも守れないでいる僕が居る意味は何だ。ルルゥは堪えきれず、とうとう地面に膝をつく。
「――星の民から外れし異人よ、その魔の如き己の赤い目でよく見るがいい。己の自我を取り戻せ、そして我らに力を与えよ!」
門番の声がルルゥに、ジャスに、エデンに――、そして周囲に居る村人達まで響いた。
門番は剣の柄を握っていた手を、何の迷いも無く動かした。
「ルルゥ」
最後に聞こえたエルルの声は、幻聴だったのか。ルルゥは今となっては、何も分からなかった。
門番は何のためらいもなく銀の剣をエルルの心臓目掛けて、突き刺した。門番はエルルの背を支えながら、空いている手で剣を引き抜く。剣にはエルルの赤い血が水のように、したたり落ちている。
「エルル!」
ルルゥがたまらず絶叫する。
エルルの胸の傷口から血が溢れ出す。止まらない血はエルルの白い体を赤く染めて行った。
「血……、血の匂い……、人間の」
「何だ?」
傍に居たエデンの様子がおかしい。エデン以外にも、周囲に居る村人達の様子もルルゥの目から見て明らかにおかしかった。
いつも優しい村人達の目が据わっている。視線が定まらないのか、目が泳いでいる。はあはあと、何かに飢えているように口を開け犬のように大量にヨダレを垂らしている。それは、大人も子供も関係無かった。
ルルゥとジャスを除いた村人はまるで狂ったように、いっせいに空を仰ぐ。
「そうだ。己の本能を思い出せ。そして飛び出せ、星の民が待つ狩場へと!」
門番が高らかに言い放った。
それが合図だったかのように、村人達の背には真っ黒なそう、コウモリによく似た羽を生やしはばたかせ、いっせいに場から飛び上がる。
羽を生やし、黒い肌、銀の髪に頭には黒い角を生やし、赤い目を輝かせる村人達は、上空へ上がると四方へと散って行った。
その姿はまるで悪魔のようだと、ルルゥは目を見張る。
ルルゥとジャスを置いて、エデンも行ってしまった。
ルルゥは何がなんだか分からず、混乱する。
「何だよあれ……、どうなってんだ!」
「ルルゥ、落ち着いて」
「……ジャスは平気なのか? ……っ!」
ルルゥはジャスがまだ傍に居てくれる事に感激する、が。ルルゥが振り返ればジャスは、ルルゥの知らないジャスに変貌していた。
銀の髪。赤い瞳孔。黒い肌。羽。角。鋭い爪。鋭い牙。ジャスは村人と同じ風に、ルルゥの目に映った。
「そんな……、何だ。僕の目がおかしくなったのか。ジャスは、僕の知っているジャスは……」
僕の知っているジャスは何だ? ジャスはどういう奴だった? 何で前のジャスの姿が思い描けない? ルルゥはジャスを見て額から汗を流す。
「門番のお陰で、村の結界が破られた。ルルゥの目も時期に人間の目を取り戻すから、何も心配する事は無い」
「……ジャス」
結界? 一体何の話だ。ルルゥは訳が分からず、今度は門番を見る。
「門番! エルルと皆に何をした!」
「何をしたか? 悪魔達に育てられて脳がやられてしまったか、可哀想に。この村で唯一の人間でもあったルルゥよ」
僕がこの村で唯一の人間だって? 僕の姿は村人達のように、何も変わっていない。けれどもジャスとは違う。僕は何だ。僕は。ルルゥは自分の顔を手で覆い隠す。
「君もエルル同様に我々の研究対象だから、一緒に連れて帰ってあげよう」
いつもの優しい雰囲気で門番は、血みどろになっているエルルを抱きかかえたまま、空いている手をルルゥに伸ばす。
これでエルルと一緒に居られるのか? ルルゥはジャスを見る。
「俺は、人間であるルルゥを襲ってしまうから、この村から外へ出たらルルゥとは一緒に行けない」
ジャスはルルゥに悲しそうに笑った。
「ルルゥ」
ジャスに構わず門番が一緒に来いと、ルルゥを誘う。
門番に着いて行けばエルルと一緒に居られる。だけど。ルルゥは門番の手を振り払い、ジャスの横に立った。
「このままでは、門番と行けないよ」
「何故? 俺と一緒に来ればエルルと一緒に居られるぞ?」
ルルゥは目を閉じる。
ルルゥは閉じていた目をしっかりと開けて、ジャスを見据える。
「ジャスもノーマも居て、それからエデンやノーマのじいさん、村長に村人達が居て、エルルが僕の隣で笑っていてくれる。……僕はそういう生活を望んでいるんだ。エルル一人戻って来ても何もならないから、僕は門番と一緒には行けない」
「……ルルゥ」
ルルゥの言葉にジャスは感動している。
「そうか。それなら強制はしないが、エルルは俺がさらって行くからな」
「いいよ、僕がジャスやノーマと一緒にエルルを取り戻してやるから」
「ああ、その時を楽しみにしているよ」
兜の中にある門番の表情は、ルルゥには分からなかった。けれど、ルルゥは門番が笑っているような気がしてならなかった。
「――何だ?」
突如、ルルゥの周りを風が襲った。
「迎えが来たようだ」
門番が言った。
ルルゥは門番につられて上空を臨むが、そこには何も無かった。
「では、また会おう」
門番はそう言い残して、エルルを抱えたまま風をその体をまとわせたかと思うと、ルルゥの前で門番はエルル共々、姿を消した。
「……絶対、エルルを、皆を取り戻してやる」
門番が居なくなった後で、ルルゥは呟いた。
「ルルゥ、来い。俺がルルゥを外まで送ってやるから」
「そんな、ノーマはどうするんだ。まだこの村に残っているんじゃないか」
ルルゥの言葉にジャスは目を閉じて、静かに首を横に振る。
「ジャス」
「俺は大丈夫だから、ルルゥは早く此処から出た方がいい。……門番とエルルを追う気なんだろう?」
「だから、ジャスもノーマも一緒に」
「駄目だ」
ジャスがルルゥの言葉を遮るように、言葉を放つ。
「俺は、ノーマのじいさんからこの刺青を施して貰っているから、村から外に出ない限りは大丈夫だから。ノーマのじいさん、いつか来るこの日を予感していたんだろうな。俺達が間違ってルルゥを襲わないように結界のつもりで、これを彫ったんだ」
ジャスは右頬にある十字架の刺青をルルゥに指し示す。
ルルゥはジャスとノーマの刺青はてっきり、二人の絆を外に示すものだと思っていた。まさか自分の為だったとは知る由も無く、ルルゥはジャスを凝視する。
「俺達の結界は村から外に出れば効果は切れてしまう。だから俺がルルゥを案内出来るのは、村の入り口までだ」
「……そんな」
もう、僕には何も出来ないのか。ジャスを、ノーマを救う事は適わないのだろうか。ルルゥはジャスから伸びるその手を掴むべきかどうか、悩む。
「ルルゥ、外に出れば俺達の生態や門番の事が分かるかもしれない」
「……そうなのか?」
ルルゥにジャスは頷く。
「人間は俺達のような力を持たない代わりに、その知識は底が知れないからね。ルルゥなら、人間を頼る事が出来る」
「……」
今更、門番と同じ人間を好きになれるだろうか、頼る事が出来るだろうか。ルルゥは不安になるが、ジャスの笑顔がそれらを打ち消してくれる。
「ルルゥならきっと、大丈夫だよ」
「うん、僕やってみるよ。外に出て、エルルとノーマとジャス、それから村の皆を門番から絶対取り戻してみせるから」
ルルゥは決心してジャスの手を取った。
ジャスはルルゥを抱えて、翼をはばたかせて上空へと舞い上がる。
ルルゥがその時見た月は、とても綺麗だった。