夏:海と彼女の話 (後編)

「よう、久し振り」

 しばらくして、由高が爽やかな笑顔で僕と藤野さんの前に現れた。花火の打ち上げも終盤で、待ち合わせの時間が来たせいだ。
 由高の後ろには別所さんと久住さんが控えている。
「別所さんも由高の作戦に乗ったんですか」
「……、まあ、こうなったら言い訳はしませんよ。由高君から藤野さんの想いを聞きましてね。藤野さんの想いが真剣だって言われたら、協力するしかないでしょう」
 別所さんは苦笑しつつ、由高の作戦に乗ったと僕に白状する。
「で、杏ちゃんは梅ちゃんと上手くいったのか。その様子だと、上手くいってるみたいだけど」
 久住さんの話を聞いて、藤野さんが赤面しながらも僕を見る。一応、千鳥さんの件で藤野さんが僕への告白は保留としてくれたので、にやついた顔で返事を待つ久住さんにどういう風に答えていいか分からないのだろう。
「まあ、上手くいってると言えばいってるかな?」
「何だそりゃ、答えになってないぞ」
 僕が曖昧に答えると、久住さんは煙草を吹かしながらちゃんと説明しろ、と迫る。
 と。

「何、やってんの」

 僕に助け舟を出してくれたのは、関口さんである。
「おお、良ちゃん。何処行ってたのよ」
「バカップル狩……てのは、冗談。デジカメで色々写真撮ってた」
 関口さんの顔でバカップル狩は冗談には聞こえなかったけど、僕は何も言わなかった。関口さんは持参したデジカメの画像を僕達に披露する。
 関口さんのデジカメの写真に写ってるのは、楽しそうに浴衣姿で歩いているカップル達の姿で。それ以外にも、子供連れの家族や、露店の店主達の笑顔もそこには納められていた。
 関口さんの写真を見て久住さんが感心している。
「へえ。良ちゃんにもこういう才能があったのか」
「建物や風景より、その中に居る人を記録するのが趣味なんだよ。ああ、これは有川と有紀子さんだ」
 関口さんが見せるのは、カメラを向けられても無反応の有川さんと、笑顔でピースサインをする有紀子さんの姿が写っているものだ。人の性格が出ているようで面白かった。
「そういや、あいつら遅いな。まだ二人でいちゃついてんのか」
「ああ、これ撮った時に伝言頼まれたんだ。花火大会が終わったら、二人で海へ行くから先に帰ってて良いってさ」
「真夜中の海か。有川もロマンチストだな。くそう、俺も彼女が欲しいぜ」
 関口さんの話を聞いて、久住さんが本当に悔しがっている。
「久住さんじゃ無理でしょ。真夜中の海もその顔じゃ笑いのネタだ」
「何だと、万年就職活動に言われたくないわ」
「まあまあ。そろそろ旅館に戻りましょう。夏でも夜は冷えますからね」
 悪態をつく関口さんと、それに反論するのは久住さんで。関口さんも久住さんも本気でけなし合っている訳じゃないので、僕達も笑っていられた。二人の間に入るのはやっぱり別所さんの役目だった。
 僕達はそうして、旅館まで戻った。


 翌日。
 僕と由高と藤野さんとで、街中を散策して旅館へ戻ると有紀子さんが出迎えてくれた。
 僕達三人は藤野さんの部屋――、有紀子さんが居る部屋の中に居る。
 結局、有川さんと有紀子さんは、僕達が寝静まってから夜遅く戻って来たらしい。朝は有紀子さんも有川さんもまだ寝ていて、昼時になって二人とも目を覚ました次第である。
 朝方、街に出かけていたという僕達を見て、有紀子さんが一言。
「やっぱり若いっていいわねえ」
 ……そう言う有紀子さんも十分、若いけど。有川さんよりは。

「ねえ、少しだけ気になってたんだけど、この部屋、梅の香りがしない?」

 有紀子さんが鼻を嗅ぎながら、部屋を見回している。
「この旅館、梅の香りサービスとかやってんのかしら。昨日も、微かに梅の香りがしてたし……」
「ああ、多分、梅の君のせいだ」
 身震いしながら首を傾げる有紀子さんに、由高がその理由を話した。
 僕としては、有紀子さんに隠す必要は無いと感じて、ポケットの中に忍ばせてあった梅の飴玉を差し出した。
「梅の……飴玉? これが匂いの元? ……、そういえば鈴木君を梅の君って呼ぶのも、これから来てるの?」
「そうそう。因みに名付け親は俺」
 梅の飴玉を凝視する有紀子さんを見て、由高が得意になって余計な事実を報告する。
 しかし。

「私、梅が大嫌いなの。それ、片付けて。私の目の届かない所へやって頂戴」

 予想もしなかった冷ややかな、有紀子さんの声。
 有紀子さんの豹変を目の当たりにして、流石の由高も言葉を失くしている。
「どうして……、梅が嫌いなんですか」
 僕は意を決して有紀子さんに尋ねる。
 僕は、有紀子さんが彼女を――、千鳥さんについて何か知っている。そう、確信を得たから。
「ちょっと待った。話す前に、提案がある」
 有紀子さんが僕の疑問に答えようと口を開けた瞬間、由高が割って入った。

「何かあった場合、それを止められる人間が必要だとは思わないか」

 由高が僕と有紀子さんを交互に見ている。
 何かあった場合、それを止められる人間。……由高は何を見据えているのか。僕は由高の真意が分からなかったが、有紀子さんの方は少し迷ってから彼の提案に頷いた。
「良し、それじゃあ杏奈。悪いけど、久住さん達を呼んで来てくれ。話はそれからだ」
「わ、分かった」
 由高に言われて藤野さんは早足で、別所さん達が居る部屋へ向かった。
 しばらくして、別所さんと久住さん、有川さんが藤野さんの案内でやって来た。関口さんはデジカメで写真を撮りに行ったきり、旅館には戻ってないらしい。
 僕と有紀子さん、それから由高の異様な雰囲気を感じ取ったのか、久住さんは茶化す事無く静かに畳みの上に腰を下ろした。
 別所さんと有川さんも何も言わず、久住さんに続いて自分の好きな場所に座った。
 今、有紀子さんの部屋に居るのは僕と由高と藤野さん、有紀子さんと久住さんと別所さん、それから有川さんである。合計で七人。

「それじゃあ、話を続けてくれ。――桜井千鳥のな」

 由高の言葉に、僕と有紀子さんが驚く。
 何で由高が千鳥さんの名前を知っている? 有紀子さんも溜息を一つ吐いて、それから有川さんを見る。
 有川さんは、有紀子さんに対して何も言わなかった。有川さんはただ静かに首を横に振ってみせただけだが、それだけでも有紀子さんは落ち着いたようだ。
 最初に口を割ったのは、有紀子さんだった。

「……、こうなったらもう、何も隠さずに話すわ。桜井千鳥は私の後輩だったの。千鳥は、愛嬌があって可愛くて、誰からも好かれる子だった。それは、男子の間だけでの話しで、女子からはその風貌と言動から、疎ましく思われていたの。男に媚びてるんじゃないかって」

 有紀子さんのその情報は、僕も知っている。
 僕も千鳥さんを一目見ただけで、好きになったのは多分、彼女の容姿もあったせいだろう。グラビアアイドル並の巨乳の持ち主で、白い肌、ふわふわの髪、大きな目。舌足らずな幼い喋り方。
 千鳥さんは男受けは良くても、女子からは嫌われるタイプかもしれない。

「それで、千鳥は同級生から執拗なイジメを受けていたわ。教科書を燃やされたり、トイレに連れ込まれて髪を切られたり、歩いていると上から水をかけられたり。それはもう、他人が見ても悲惨だった。千鳥はそれが原因で、学校にも来なくなったわ」

 此処で場が静まる。
 有紀子さんは、自分が傍観者のように話しているけど、そのイジメ現場を見ていたような――自分も加担していたような内容で、それを聞いた僕の中で彼女に対する怒りが蓄積されていく。

「でもね、しばらくしてまた彼女が学校に戻って来たの。今度は、教室には来なくて保健室で授業を受けていたみたい。だけど、それは不登校になるよりも逆効果だった。その時の保険医、男だったのよ。若くて綺麗な新米教師でね。女子の間で絶大な人気があった先生よ」

 有紀子さんが笑っている。
 僕は笑えなかった。

「千鳥が保険医に色目を使ってるんじゃないかって、自然と噂が立ったの。彼女を庇い続けていた男子達も、その噂を耳にして流石に呆れ果てたみたいで、千鳥にかまわなくなったわ。それから誰も、千鳥に話しかけて来るような子は居なかった。皆が千鳥を無視し続けたのよ。千鳥は千鳥で、皆に分かって貰おうと必死になって、梅の飴玉を配って回ってたわ。匂いの強烈な梅の飴玉をね。それがますます無視される原因になるのに、千鳥は分からずに梅の飴玉を配り続けていた」

 ……、それが千鳥さんの梅仲間の原点か。
 梅の飴玉のくだりは、僕も初耳だった。
 有紀子さんが話を続ける。

「後で聞いたけど、千鳥から梅の飴玉を受け取った生徒は、一人も居なかったみたいね。……私も、彼女から梅の飴玉を受け取らなかった一人だから、何も言えないんだけど。でも、此処でこの梅の飴玉に会えるとは、夢にも思わなかったわ。まさか、千鳥の遺志を継いでる子が居るなんてね」

 有紀子さんが最後は嘲笑し、忌々しげに吐き捨てた。
 まるで有紀子さんが、千鳥さん自身を嘲笑したような気がして、僕はたまらず立ち上がった。

「あんたに千鳥さんの何が分かる! 千鳥さんの思いも知らないで、何でそう簡単に彼女を笑えるんだ。彼女の想いをあんたが汲んでやれば、彼女は助かったかもしれないのに! ……、僕も、彼女の遺志を継いでなんかいない。あんたと同じ、彼女を救えなかった一人だ」

 僕は自分の想いを有紀子さんへぶつけたあと、項垂れる。
 有紀子さんはそんな僕に悲しそうな目を向ける。
 そう、有紀子さんも僕と同じなんだ。有紀子さんも僕も、千鳥さんを分かっていなくて、救えなくて、それに後悔していて。

「もう一つ、隠している事があるんじゃないか。――皆川有紀子」

 僕は顔を上げて、由高を見る。由高は口は笑っていたけど、目は全然笑っていなかった。有紀子さんは由高の顔を見て、小刻みに震えている。

「周治を取り込んで善人気取りか? それはそれで腹が立つんだけど?」

 由高が僕を『梅の君』ではなく、『周治』と呼んでいる。それだけ由高の怒りは本物だと、有紀子さんに示している。
「あ、あんた一体、千鳥の何なのよ。鈴木君の友人だけじゃないわね」
「俺か? 俺は千鳥の」
 由高の口から信じられない言葉が飛び出した。

「俺は、千鳥の恋人だった」

 これには流石の僕も、唖然となった。
 由高が千鳥さんの恋人だって? 僕は慌てて藤野さんを見る。藤野さんは僕から顔を逸らし、俯いていた。

「俺にはもう一人、幼馴染が居た。杏奈以外にね。それが桜井千鳥だ。家が近所で、小学校の頃から、俺は杏奈と千鳥と三人で遊んでた。
 千鳥が高校生に入る頃、俺はまだ中学生だったけど、思い切って彼女に告白したよ。千鳥が高校生になれば、そう遊んでもらえないと判断したせいもあった。千鳥は俺の告白を、快く承諾してくれた。俺は嬉しかった。
 でも高校に入ってしばらくして、千鳥は段々と暗くなった。それでも千鳥は俺の前では気丈に振舞って、俺を癒してくれる存在でもあったんだ。俺も、そんな千鳥を明るくさせようと、色々試行錯誤して彼女を笑わせてたんだ。
 でも、それは長くは続かなかった。何故か分かるか、有紀子も周治も知っているだろう。――千鳥が自殺したせいだ」

 一気に吐き出した由高は、不気味に笑っていた。

「だから、有紀子が話した保険医との噂は、全くのデタラメだ。俺が証明してやる」
「な、何よ。千鳥があなたに内緒で、保険医と浮気していたかもしれないじゃない!」
 由高の話を聞いて、有紀子さんが動揺している。
「梅の飴玉」
「ひっ」
 由高が有紀子さんの胸倉を掴みかかる。
「梅の飴玉は、俺が千鳥にやったもんだ。女は甘いもんが好きだから、飴玉でもやれば仲良くなれるんじゃないかって、俺の精一杯の千鳥への励まし方だった。千鳥も俺の言う通り、やってみるって、笑ってたよ。それを、千鳥は健気にも学校で実行したんだろうなあ。結果は、あんたの知る通りだ。そんな千鳥が、保険医と浮気すると思うか? 思わないだろ?」
「……っ」
 由高に責められ、有紀子さんは涙目になりながらも頷いている。

「俺は、千鳥と同じ高校に入って、千鳥が自殺した原因を追究しようとした。そんな時、周治と出会った。周治が梅の匂いを漂わせている。ひょっとしたら、って思った。千鳥と接点があるなら、千鳥について何か知っているんじゃないかって。
 でも俺は、当時の周治に話しかけられなかった。周治は人と関らないよう、自分と周囲を切り離して孤立していたからな。俺はそんな周治がいけ好かなかった。
 杏奈の方は、周治で千鳥を思い出すらしかった。周治から梅の匂いがするのも、千鳥のせいじゃないかって、杏奈が最初から周治に目を付けてたんだ。だからあの日、周治に声をかけたのは俺の力じゃない、杏奈の力だ。杏奈だけは、周治は千鳥が認める人間だから、悪い奴じゃないって、話してたから」

 由高の話を聞いて、僕は藤野さんをもう一度、見る。
 藤野さんはますます顔を赤くして、目を潤ませていた。
「俺は、周治には感謝しているけど、あんたには感謝していない。あんたは、千鳥を自殺に追い込んだ一人だ。……違うか」
 由高が有紀子さんに凄むが、有紀子さんは唇を震わせ涙目になりながらも由高を睨む気丈さは失っていなかった。
 しかし、やがて有紀子さんはふっ、と笑みを浮かべた。
 そして。

「……ええ、彼の言う通りよ。多分、私が千鳥を自殺に追い込んだかもしれないわね」

 有川さんは、有紀子さんに対して何も言わなかった。有川さんはただ静かに、有紀子さんの続きを待っている。

「私が、千鳥と保険医の噂を流した張本人よ。だってねえ、あの子、保険医に説得されて学校に戻って来たって、私に明るく話すのよ。私の保険医への想いも知りもしないで。保険医も、千鳥には特別に目をかけていて、彼女との噂も、満更でも無かったようだし。千鳥は、私が持たないものを持って、私が欲しいものをあっさりと取っていく、嫌な女だった。あんな女、私の前から消えればいいって思ってた。それが現実になったのは、今年の春。あのニュースを聞いた時、正直、笑いが止まらなかった」

 あははは、と有紀子さんが笑っている。
 有紀子さんは既に狂っているのだろうか。有紀子さんが狂っているなら、僕も由高も彼女と同じように狂っているかもしれない。千鳥さんに関った人間は全て、千鳥さんに狂ってしまう。

「……俺は、此処に久住さん達が居なきゃ、この女を思い切り、殴ってたわ」

 有紀子さんの話を聞いた由高が、彼女から離れるとそう、告白した。
 僕と有紀子さんが話し合いをする前、久住さん達を呼ぶ事を提案したのは由高だった。由高は僕の暴走ではなく、自分の暴走を止める為に久住さん達を呼んだのか。

「……、あの時の私は本当、どうかしてたわ。保険医の熱のせいで、皆に無視されても健気に有紀子ちゃん、有紀子ちゃんって私にすがって言い寄る千鳥も突き放してた。千鳥よりも、私の方が哀れで残酷だったわ」

 有紀子さんは自分の想いを吐き出してすっきりしたのか、前よりも落ち着いて由高や僕と向き合っている。
「これで、私の千鳥の話はおしまい。これ以上、何も話す事は無いわ」
 有紀子さんが立ち上がると同時に、有川さんも立ち上がった。
「何処へ行くんですか」
 此処でようやく別所さんが声を上げた。
「色々予定があって、夜までに戻らなくちゃいけないんだ。仕事も控えてるし、のんびりしてられないんでね」
「ああ、私達もそろそろ、この部屋を出ないといけません。さあ、帰る準備をしましょう」
 有川さんの話を受けて、別所さんも慌しくなる。僕達は別所さんに言われて帰る準備をする為、立ち上がる。

「有紀子さん」

 僕は有川さんと共に部屋を出て行く寸前の有紀子さんを、呼び止める。
 有紀子さんは怪訝な顔で僕を見ている。
「何」
「……千鳥さんの話をしてくれて、ありがとう。僕一人じゃ、千鳥さんの内情まで知る事が出来なかったから」
 僕の話を聞いて有紀子さんは目を見開いた後、
「礼なら、あなたの友達に言いなさい。私の話だけでは、千鳥の全貌も見えなかったでしょう」
 そう、言った。
 有紀子さんの目は、僕の肩越しに居る由高へ向けられている。優しい目をした有紀子さんは、優しい笑みを浮かべて有川さんの車で帰って行った。

 それから。
 それから僕は、久住さんの運転するワゴン車で僕が暮らしている街へと戻った。ワゴン車には行きと同じメンバー、久住さんと別所さん、関口さんに、僕と由高と藤野さんが乗っていた。そして行きと同じように、僕は由高と藤野さんとで、トランプをしながら楽しい時間を過ごした。
 先に由高と藤野さんを下ろした。
 由高が僕と別れる時になって、話したのは。

「まだ、千鳥の物語は終わっていない。俺は千鳥の物語に一生をかけて付き合う気でいる。千鳥の物語を終わらせるには、梅の君も必要だ。……周治、これからも、俺達に協力してくれるか」

 僕の答えは決まっている。
 僕は、藤野さんが見守る中、由高の話に二つ返事で受け入れた。