03

 こうして見ると本当、奈々子と勇太は仲の良い恋人同士だ。晶はそんな奈々子と勇太の関係が羨ましく思えた。
「本当、いいよなー……」
 そんな中でぼそりと呟く聡史の声を、晶は聞き逃さなかった。
「うん。お似合いだよね、奈々子ちゃんと勇太君」
「……そうだな」
 晶は知っている。聡史の思いを。奈々子が晶の想いを知っているように。
 聡史の目は真っ直ぐ、勇太と一緒に笑う奈々子に向いている。奈々子は聡史の視線には気付かない。……奈々子の事だから、気付いていても気付かない振りをしているかもしれないと晶は見ている。晶はそんな聡史を見て、何故か心が痛んだ。
 この場にはこれ以上、居たくないという衝動が、晶の中に起こる。
「私、自販機でお茶買って来る」
「俺も行くわ」
 晶に同調するのは聡史である。
「え」
「いいからいいから」
 聡史はいつものように笑いながら晶の背を押す。
 晶と聡史は教室を出て、階段の前に置かれている自販機まで歩く。
「……」
「……」
 無言のまま歩くのは、晶にしてみれば気持ち悪かった。
「さ、聡史は何買うの、お茶」
「……何も買わないよ」
「え」
 聡史が晶を追い越して来ない。晶は不審に思い、後ろを振り返る。聡史は立ち止まったまま。
「晶。やっぱり俺が魔王倒すのって、無理かな」
「……そんなの、やってみなくちゃ分からないよ。ほら、魔王に打ち勝つのは勇者だって相場が決まってるでしょ」
 ちゃんと笑えているだろうか。晶は聡史を励ましている自分が、嫌になる。
「うん。晶は俺の事、分かってくれるから、いいよ」
「長い付き合いだからね」
 聡史は笑みを浮かべるが、晶の方は引き攣っていたように見えたかもしれない。晶は内情は自分に腹が立って仕方が無かった。
 どんなに頑張っても、聡史が勇太君に適う筈が無いのに。それを言おうとすれば、自分と聡史の仲がどうなるかくらい、晶でも見当がつく。
 今はまだ、このままでいい。このままの中で晶は聡史と居たいと、切に思った。
「晶?」
「え、いや、何でも無いよ」
 晶は顔を覗き込んで来る聡史に顔を赤くして背ける。
 と。
「……ねー、ほら、やっぱり」
「次来るね、絶対」
 周囲に居る女子生徒達が二人の横を通り過ぎるのと同時に、晶の耳にも聞こえて来たその話の内容に、晶はうんざりする。
「晶は気にする事は無いよ」
「でも、聡史も嫌でしょ。私と噂になるのは」
「俺は、別に気にしないから」

「――奈々子ちゃんの前でも?」

「晶」
 ああ、こんな事を言いたい訳じゃないのに。それでも晶は性分からか、言ってしまった。
「奈々子ちゃんの前であんな風な話をされたら、聡史は平気なの?」
「それは」
「そうでしょ。私との噂が広がると、聡史も困るんじゃないの」
「……」
 晶に聡史は押し黙る。
「しばらく、二人で居ない方が身の為だと思うよ」
「……そうだな」
 晶が言う事を、自分を納得させるように聡史は、目を伏せた。
 晶は一応、自販機でお茶を買った。聡史は何も買わずにその後で、二人は教室へ戻った。

 ――そんな二人の様子を影から見詰めていた人物が居る事を、晶は何も知らなかった。


 放課後。
 晶の話を受けてか聡史は、晶を待たずに早々に教室を出た。
「晶」
「……大丈夫。私達で、しばらくは一緒に帰るのを止めようって、話し合った結果だから」
「そう、それならいいけど……」
 奈々子が心配しているのを、晶は笑って誤魔化す。
 時間を置いて晶が奈々子と一緒に帰ろうとした時だった。

「あの、白木晶さんですか」

「え」
 声をかけて来たのは晶の知らない男子生徒であった。
 男は少し緊張した面持ちで晶の横に移動する。
「白木晶さん、ですよね?」
「あ、はい……、そうですけど」
 そう言われても晶は男に全く覚えが無かった。晶は奈々子を見るが、奈々子の方も覚えが無いようで首を横に振っている。
 背は聡史より高いようだと、晶は男を目算する。狐のように細い目をしているが、それ以外を除けば中々いい男のようだ。
「あの、白木さんに話があるんですけど……、ここでは、嫌だから場所、変えていいですか」
「あ、はい」
 男に頭を下げられては、晶もそれに応じるしかなかった。
「……それじゃあ、私は先に失礼させてもらうわ」
「奈々子ちゃん」
「大丈夫でしょ。いい人そうよ」
 不安になる晶に、奈々子は微笑して晶を安心させる。
 奈々子は晶に手を振って先に行ってしまった。
「それじゃあ、行きましょうか」
「は、はい」
 晶は聡史や勇太以外の男とこうして歩くのは中々無い経験で、少し緊張していた。
「あ、僕は吉岡康一といいます。健康の康に一番の一と書いて康一です。知りませんか、九組に居るんですけど」
「……はあ」
 吉岡康一と名乗る男を、組を言われてもやはり晶は知らなかった。組を聞けば一番端になる九組ではやはり、会った事さえないのだろう。
「ここら辺でいいでしょう」
「え」
 気付けば晶が康一に連れられた先は、体育館裏だった。晶は康一に何かされるのではないかと危惧するが、康一の方は晶の心境を気にする風でもなく、笑顔のままで先に話を切り出した。
「あの、こんな事を白木さんに聞くのも何ですが……、朝、学校新聞が張り出されたのを知っていますか」
「は、はい……」
「その中に本日の恋人紹介という、コーナーがあるじゃないですか。見ましたか」
「……」
 晶は康一に対して何も言う事は無かった。
 康一の方は少し照れ臭そうに晶を見下ろしている。
「あのコーナー、女の子の間ではけっこうな話題なんですよ。今日だってあの長峰さんと佐々木君の名前が新聞に載ったのを見た女子達が、僕のクラスでは放課後までずっとその話で持ち切りでした」
「……はあ」
 康一はそんな話をして、晶に何が言いたいのだろうか。晶は康一の真意が掴めず、困惑する。
「そこで、耳にした話ですが……、白木さんには幼馴染が居るんですよね? 同じクラスに居るとか」
「……はい?」
 聡史の事を言っているのだろうか。晶はまさか康一の口からそれを聞く事になるとは、思いも寄らなかった。
「その話は、本当ですか」
 康一が晶を細い目を益々細めて、見据える。
「ええと……、私に幼馴染は居ますけど」
 それは嘘では無い。
「あの……、その人と、白木さんが付き合っているという、そんな噂も流れているんですが――、それも本当ですか」
 間。
「あの、どうして私にそんな事を聞くんですか」
 今度は逆に晶が康一を見上げる。
「いや、何て言ったらいいかな……僕、前に一度、白木さんを見てるんですよ」
「え」
「白木さんはその時、僕には気付いていないかもしれませんけど」
 康一は苦笑しながら、続きを話す。

「……僕はその時、白木さんに一目惚れしたんですよ」

 康一のその言葉を受けて晶は、何を言われているのかさっぱり理解出来なかった。
「え、今、何て」

「だから僕は白木さんが、好きなんです」

「……」
 晶は呆然と口を開けたまま、その顔を康一に曝け出している。
 晶は奈々子のように男から告白をされた試しが一度として無かった。
 どう、対処していいのか。晶の頭の中は行動と対応の処理が追いついていない。
「ど、どうして私なんかを……」
 康一にかろうじて言えた言葉がこれだとは、晶は情けなかった。
「一目惚れ……じゃあ、理由になりませんか」
 そんな晶に康一の方は困ったように笑う。
「朝の新聞で、女子達の間で次に名前が載るのは白木さんではないかという、憶測が流れていたんですよ。僕はそれを聞いて焦りましたよ。これを機会に、白木さんとその彼が新聞に名前を載せるのではないかという、不安が募り、それで放課後を待ってこうして思い切って白木さんに声をかけたんです」
「……」
 康一の言う事は晶を納得させるには充分だった。
 晶は息を吐く。
「あのね、私と聡史は元々、そういう関係じゃないから。彼とは幼馴染というだけで、それ以上は何も、無いから。皆が噂するような関係では決して」
 決して。
 本当に、そうだろうか。晶は最後まで康一に言おうかどうか、ためらった。
「……決して?」
「あ、ああ。多分、そういう関係じゃないから……」
 これはまだ自分が聡史に対して、期待しているのだろうか。聡史が奈々子にきっぱりと振られてしまえばまだ、望みはあるかもしれない。そう考える自分に晶は内心、バカみたいだと自嘲する。
「それじゃあ、僕の不安は勘違いと言う事で、いいんですよね?」
「……うん」
 康一に晶は少し迷いながら、それでも頷いた。
「ああ、良かった」
 康一は心底安堵したように、胸を撫で下ろす。
「白木さんはその幼馴染と、名前を載せる気は無いんですよね?」
「う、うん」
 再三尋ねる康一に、晶は勢いで首を縦に振っている。
「では、僕と付き合ってください」
「そ、それはまだ決め兼ねてると言うか……、私、吉岡君について何も知らないし」
「……そうですよね」
「あ、いや、そんなつもりでは……」
 晶に断られ、康一は肩を落とす。晶は予想外に落ち込んでいる康一を見て慌てる。
「あの、それじゃあ、友達から始めませんか」
「え」
「僕がいきなり付き合って下さい、と言えば白木さんも困るのは決まっています。互いに互いを知らないのが原因でしょう。まずは友達から始めて、それで白木さんが僕を認めてくれれば、付き合う事にしましょう」
「……そんなの」
「迷惑ですか。でも僕はそうまでして、白木さんと仲良くなりたいと思ってるんですよ」
 真剣な目で真っ直ぐ見詰めて来る康一に、晶は目を見張る。
 晶は最初、康一の話を断ろうと思った。それでも晶が康一の懸命な言い分に胸が打たれたのは事実であり、……気持ちが揺らいだのも、事実だ。
「……友達だけなら……、いいですよ」
 康一に折れた晶は、話に乗る事にした。
「そうですか! それは良かった」
 途端、康一の真面目な顔が、いつもの満面の笑顔に変わる。
「期間は、次の学校新聞が出る前日でどうでしょう」
「どうして、学校新聞が出る前の日なの」

「そこに、僕と白木さんの名前を載せて貰うんですよ」

「あ」
 康一の手に、晶は気付いて声を上げる。
「白木さんが僕といいと言うなら、僕は学校新聞に白木さんと名前を載せます。勿論、白木さんが僕では駄目と言うなら、僕は白木さんとは何も無かった事にしますよ」
「……」
 これには流石に晶は迷った。
 もし、もしも――、この話を聡史にしたら、彼はどう思うだろうか。ひょっとして、慌てて自分と康一が名前が載るのを、止めてくれるだろうか。晶は目を伏せる。
「白木さん」
「……うん、それならいいよ」
 康一に晶は頷く。
 聡史が駄目なら駄目で、康一と自分の名前を載せてしまえばいい。康一は悪い人ではなさそうだ。晶はこの時、気軽にそう判断した事を後悔する羽目になる。
「そうですか。それなら、契約成立ですね」
「そうですね」
 笑う康一に、晶もつられて笑った。
「早速ですが――、家まで送りますよ」
「ええ!」
 更なる康一の提案に、晶は焦る。
「友達なら、それくらいしますよ。もう日も暮れて来ているし、その中での女の子一人では危ないですよ」
「……」
「どうしました?」
 先に行こうとする康一は晶が追いかけて来ない事に疑問に思い、振り返る。
「あ、私、こんなんだから……、女の子だから危ないよって心配された事が無かったから、ちょっと驚いて」
 そう、晶は聡史や勇太、奈々子にでさえ女だから、と言われた試しが無かった。
「……白木さんは充分、女の子らしいですよ?」
「ありがとう」
 微笑する康一に、晶は笑顔で返した。
 少しだけ揺らいだ気持ちに、晶は戸惑いながらも康一の背を追いかけた。