晶は奈々子の内情を知るつもりは無いし、関わる気も無いのでそのままにしてあった。
「大変でもないですよ。僕には姉がついているし、それに……」
「それに?」
「それに、大切な友人も居るので、自分の境遇に悲観した事はありません」
「そうか。それなら、良かった」
笑顔で言う康一に、晶も笑顔で応じる。
ただ、それだけで。
「……君で良かった」
「え」
小さく呟いた康一の声を、晶の耳は拾ってしまった。
「何でも無いです。食べましょうか」
「……うん」
腑に落ちないが晶は康一に頷いた。
それから晶は康一と学校やテレビの話しを色々しながら、彼との食事を楽しんだ。
「ど、どうしたの聡史」
晶が食事を終え、康一と別れて教室へ入ると机に顔を伏せ、げっそりしている聡史が居た。
聡史の机の上には惣菜パンの袋が、散らかっている。
「そろそろ授業が始まるから、捨てなさいよ」
「吉岡との食事は、楽しかったか」
「え」
まるで地獄から這うような聡史の低い声に、晶は引いてしまう。その周囲にまとう負のオーラが、聡史の覇気を無くしているのを、晶は見ている。
「な、何があったの」
「お前が吉岡と一緒に居る事を選んだせいで、奈々子さんが俺達の所に来たんだ」
「ああ……」
聡史の言いたい事は、皆まで言わずとも晶は分かっていた。
「勇太の奴、俺の前でも構わずに奈々子さんといちゃつくんだぜ。あいつらのボケにあてられてなー。すっかり参ったわ」
「……それはそれは」
聡史が言う様が晶にも鮮明に映り、晶はそんな聡史をどう励ましていいか分からず、気の毒そうに見下ろしているだけだ。
「はは、もう、勇者のHPは魔王にやられて残量は一だぜ。瀕死状態だ」
聡史は机に伏せて、ぐったりしている。
晶はそんな聡史を見ていられず、出た行動は。
「うお、何するんだよ」
突然、晶が聡史の頭の上に手を置いて髪をぐちゃぐちゃと掻き回したせいで、聡史が晶に声を上げる。
「忘れたの。聡史の回復手段だよ」
「……あー」
それは、晶と聡史の幼い頃の記憶の隅にあるもの。
幼い頃、友達と喧嘩して帰って泣いている聡史を、聡史の父親はそうやって聡史を慰めていたのを、隣で晶は見ていた。
聡史の父親は笑顔で決まって「よくやった」と、聡史の頭に手を置いて折角整えた聡史の髪をぐちゃぐちゃにしていた。喧嘩に負けて帰って来た聡史を、よくやったと褒めていた聡史の父親の姿を晶も今でも思い出す事が出来る。聡史も父親にそれをやられては、泣くのも忘れて何するんだよと、反抗していたのを。
「……そうだな、それが俺の回復手段だ」
晶に聡史が顔を上げて、口の端を上げる。
「そうだよ。聡史はそうでなくちゃ」
「ありがとう。俺、晶で回復したわ」
「うんうん」
聡史は散らかっていたパンの袋を片付け始める。
「晶の回復手段はあったか」
「え」
聡史に言われて、晶は動きを止める。
自分にも聡史と同じように、回復手段があっただろうか。過去を思い出しても思い出したくない過去も入り混じり、晶は混同する。
「……いや、多分無いと思うけど」
「そうか。それならいいんだけど」
それから授業が始まる鐘が鳴り、ギリギリになって勇太と奈々子も教室に戻って来た。
放課後。
晶を待っていたのはやはり、康一だった。晶はその頃にはもう、康一の行動にすっかり慣れていたので然程驚く事は無かった。
ただ、唯一気がかりなのは。
「聡史」
「あー、俺はお前達の邪魔をする気は更々無いから。先に帰るわ」
気遣う晶に聡史はあっさりと晶と康一の二人を追い越し、校門を出て行く。
「行きましょう」
「……うん」
晶は聡史の背が何処か寂しそうだと、感じた。
朝。昼。放課後。
康一は学校がある日は毎日かかさずに、晶を迎えに来る。晶の方も断る理由は無かったので、康一に従うままになっていた。
康一との話を受けてそれから、更に一ヶ月の月日が流れた。
その頃には昼になれば晶は奈々子ではなく、康一と一緒に居るのが、当たり前になりつつになっていた。
教室や食堂、人の居る所では気恥ずかしいという晶の意見を考慮して、康一は昼食をとる場所を日によって変えている。今日は空きがあった音楽室の一角だ。
「今日は、散らし寿司です」
「……相変わらず凄いねー」
康一の弁当の中身は相変わらずで、晶は見る度に姉の腕に感心を寄せる。晶の弁当の中身も相変わらず、冷凍もので占められていた。変わって康一は和で占められている事が多かった。
「吉岡君のお姉さん、和食が得意なんだね」
「そうでもないですよ。うちは外食になると洋食が多いんですよ」
「へえ」
「白木さんの所は、どうなんですか」
「えー。私の所はそうだなあ」
外食と言えば、決まって隣の高橋家と一緒にファミレスに行っていた。それは中学生までで、高校生になると自然とその回数は減っている。
「高橋君の所とは、そんなに仲が良いんですか」
「家族ぐるみでね。でも、最近はそうでも無いかな」
晶が思い出すのは、ファミレスで頼むものがいつも聡史と被っていた事だ。晶がファミレスで頼むのは決まってハンバーグで、聡史も同じくハンバーグが好きで頼んでいた。聡史は晶に真似するなと、いつも突っかかりその果てに口喧嘩に発展している。それを止めるのは聡史の父親だった。そう、いつも決まっていた。
それを晶は康一にも話した。
「それは、微笑ましいですね」
「そうかな」
「――厳密に言うと、晶がイヤシイだけだけどな」
「あ」
上から降って来た聡史の声に驚く間に、晶の弁当のおかずにあったミニハンバーグが消えている。
「ああ! 私のハンバーグ!」
「美味いな、やっぱり」
気付けばまた聡史にミニハンバーグを取られている。
「私の返してよう! 何でいつもいつもハンバーグ狙うの!」
「俺も好きだからだよ。知ってるだろ」
「だったらあんたもハンバーグ、買えばいいじゃん。レンジで温めてから、弁当に入れればいいだけなんだからさー」
「それだけ買う金があれば俺は自分のパンを買う」
「セコイ、ケチ過ぎるわ」
「経済的だと言ってくれ」
「よく言う」
「それにこれを見ろ」
「……ハンバーグパン!」
「いつも購買で売り切れで中々手に入らない代物だけどな、今日は俺、頑張ったぞ!」
「それじゃあそれを私に」
「何でお前にやるのを俺が苦労して買うんだよ。自分用だ、自分用」
「私の取ったじゃん、ハンバーグ!」
「駄目だって、これは俺の決定だから」
「それじゃ最初から私の取らないでよ」
「あれはあれで美味いから」
「何それ」
呆れる所か晶は聡史に笑っている。
「……君はいつも、パンなんですか」
晶と聡史の間に遠慮がちに入るのは、今までを静観していた康一である。
晶は久々になる聡史との掛け合いが嬉しくてつい、康一を忘れていた。
「うちの母親、朝から晩まで仕事で忙しいんだよ。だから弁当は無理だな」
聡史は康一に真実を話す。
「うちと同じですね」
「そうか? その豪華そうな弁当見ると信じ難いけど」
「姉が母の代わりに作ってるんですよ。うちも共働きなもので」
「へえ」
聡史も晶と同じく、康一の姉の見事なまでの弁当の内容に、感心を寄せる。
「ね、ねえ。何で聡史はここに居るの」
話題を変えようと、晶が聡史に話を振る。
「それはこっちの台詞だ。今日は音楽室に空きがあったんで来てみたら、お前等が居た」
「……ひょっとして、あれから勇太君に遠慮して?」
晶が康一と一緒に昼ご飯を共にするようになってから、奈々子はいつも勇太の元に居る。その間、勇太と奈々子の二人と一緒に聡史は過ごす事になる。聡史はそれを避けて昼ご飯を食べる場所を求めて移動をしていたのだと、晶は勘付く。
「まあ、あの二人の前に居るくらいなら、お前達の方がマシだけどなー」
聡史はハンバーグパンにがぶりつきながら、笑っている。それは何かを隠すように誤魔化している行動であると、聡史の心情を晶は見抜いていた。
「私達の前では、ですか。そうも言ってられなくなりますよ?」
「うえっ?」
それは、康一の聡史に対する抵抗か。晶は康一にいきなり肩を抱かれて焦って変な声を出した。
そんな晶を見て、聡史は声を立てて笑う。
「晶がそんなんじゃ、説得力も見込みも無いんじゃないか」
「うっ」
聡史の言い分は尤もで、晶は康一に申し訳無さそうに小さくなる。
こんな自分は聡史の相手にならないのかもしれない。変わらなければ。せめて、奈々子のように。でも、それが適わない夢である事くらい、知っている。晶は小さく息を吐いた。
「……白木さんは今のままで、充分ですよ」
何時の間にか晶は康一に顔を覗き込まれていた。晶は目を見張って顔を上げる。そこには何もかも受け止めてくれるような、優しい笑顔をたたえた康一の顔があった。
「……ありがとう」
康一の気遣いに晶は素直に礼を口にする。
そして晶は康一と微笑み合う。
そんな二人の様子を、聡史は眉を寄せて怪訝そうに見ていた。