10

 雲一つ無い空が目の前に広がっている。
 それでも心の中は雨でも降りそうな天気だ。晶は康一にも会いたくなくて、授業が終わると直ぐに美術室に向かった。美術室なら、香織に会えるかもしれない。香織なら、康一について何か相談に乗ってくれるかもしれない、晶は安易にそう思った。晶は香織を待つ為に、薄暗い美術室でうずくまっていた。
「……それで、どうなったの」
 香織の声。
 待望の香織の声に、晶は顔を上げる。
 戸の向こうにあるのは香織の影だと、認識出来た。では、もう一方は誰だろう。香織の隣には男子生徒だと思われる影があった。康一だろうか。晶は息を飲む。
「さあ、後は康一があの子を連れて行ったから知らないよ」
 何処か聞き覚えのある声だった。晶は香織と男子生徒の会話に、耳を澄ませる。
「私の方は、あの子に賭けについて聞かれなかったから幸いしたけど。内心、ドキドキものだったよ」
「そっか。悪かったな。俺もうっかりしてたわ」
 男子生徒の声は早坂のものだと、晶は確信する。
 ではどうして、その早坂と香織が一緒に居るのだろうか。しかも晶の知りたかった賭けについての話をしているのは。

「――あ」

 戸を開けた香織が美術室でうずくまっている晶を見付けて、しまったと手を顔に覆った。
「どうした。……あれ」
 早坂も晶を認めて眉を寄せる。
 晶は丁度良い、と立ち上がる。
「ねえ、賭けって何。吉岡君が、関わってるの?」
「……それは」
 香織にしては歯切れが悪い。
「答えてよ。何を賭けてるの」
 それに康一がどう関わっているのか。賭けの内容は、晶でも読める。問題は、康一の行動だ。
 香織は早坂と顔を見合わせた後、盛大に息を吐いて晶を見下ろす。
「……吉岡君は、本当、悪くないから」
「……」
 香織が話した内容は、晶にしてみれば衝撃的だった。
「賭けの内容は、白木さんも薄々勘付いていると思うけど。そう、あなたと高橋君が付き合うかどうかを賭けている人達が居るの。来月の新聞に、あなた達の名前が載るかどうかでその勝敗が決まる訳」
「……」
「それで」
 間。
 晶は次の香織の言葉を待った。
「それで、あなたと高橋君に賭けている事を裏で正統派と呼んでいる。そしてその逆……、白木さんが高橋君とは付き合わず、別の誰かと付き合って新聞にその名が載る方に賭けた人が居る。私達はその人を裏派と呼んでいる」
「……」

「それが、吉岡君」

 ああ。そういう事か。晶は自分の浅はかさに声を立てて笑いたくなった。
「吉岡君は正統派には乗らずに、裏派の方に賭けた。誰もが正統派に賭けている中でよ。私も変だと思ったけど、吉岡君は……、後はあなたが知っている通り」
 つまり康一は、自分を犠牲にして晶と付き合うと言い出したのは、自分の賭けを成立する為だったと言う訳か。それなら全て合点が行く。晶は泣きそうになる自分をどうにか押さえ付ける。
「……あーあ。これで吉岡の思惑も的が外れたか」
「早坂君」
 隣で頭に両手を乗せ残念がっている早坂を叱るのは、香織である。
 晶はそんな遣り取りはとうに耳に入っていない。
「ねえ、しっかりしてよ。賭けをした私達も悪いけど、吉岡君は……」
「……」
 晶は香織を振り払って美術室を飛び出した。
 バカみたいだ。晶は誰かに躍らされていた自分に、無性に腹が立った。
 初めてだった。誰かに告白されたのは、初めてだったのに。どうして。晶は泣きたかった。晶は校内で一人泣ける場所を探して、さ迷う。
 と。

「白木さん」

 後ろから声がかかった。
 晶が校内をさ迷った先に見えたのは、体育館に通じる渡り廊下の上。
 後ろからした声は、康一のものであると晶は認識している。晶はそれでも振り向かない。
「白木さん、探していたんですよ。教室に行っても姿が見えないから」
 康一の言葉は何処からが嘘だったのだろうか。晶は振り返ると、康一を真っ直ぐ見上げてそして睨み付けた。
「白木さん」
「これ以上、私をバカにしないでよ」
「何の話……」
「……波多野さんから、全部聞いた」
「……」
 香織の名前を出されて、康一は流石に押し黙る。
「全部、本当の話なの」
 晶は康一から全てを聞くまで、香織から聞いた話だけでは判断はしなかった。
 康一は笑顔を絶やさずに、晶にあっさりと頷いた。
「ああ、全部、本当」
「……何で」
 晶に対しての、康一の口調が変わる。
「そりゃ、自分の賭けに勝つ為だよ。賭けるのは一週間の昼食代で、普通はそれくらい些細なものかもしれないけど、僕からしてみればそれが大事なんだ」
 康一は姉が親代わりのようなものだと、以前、晶に話している。
 これだけは、本当なのか。
 それを聞いた事がある晶は、康一のその話は言い返せなかった。
「それに全員が白木さんと高橋君に賭けるんだ。それでは賭けにならなくて、つまらないからね」
 康一の変わらない笑顔は、晶の目に何処か人を見下しているように映った。それは晶が康一に対しての見方が変わったせいかもしれない。康一の笑顔は何処か恐ろしかった。
「信じていたのに」
「信じていた? 何を信じていたんだ。そもそも、九組の僕がどうやって三組に居る君を一目見ただけで、白木さんであると認識出来る? 今回の話が出るまで、僕は白木さんと高橋君について、全く何も知らなかったんだ」
「……っ」
 泣くな。泣いたら負けだ。晶は唇を噛み締める。
「ああ、これで賭けも無効になるかな」
「……何で」
「だって僕が負けたら勝敗は無くなってしまうよ。君、高橋君と付き合う気は更々無いんだろ? 僕が居なければ白木さんと付き合う人間は、居ないじゃないか」
 どう言う言い分だ。流石に晶は康一に切れた。

「私は、聡史と付き合って新聞に名前載せてやるから! あんたの負ける姿を見て、上からあざ笑ってやるわ! 覚悟しておけ!」

 はあ、と吐き出した後で晶は康一から背を向けて逃げるように場から離れた。
 言い逃げとはまさにこの事だ。晶は勢い余って康一に言い放った内容に、今更ながら赤くなってその場にへたり込んだ。

 晶はこの時、康一との一部始終をある人物に目撃されていた事に、全く気付かなかった。