「俺は奈々子さんの話が本当だと知って、愕然としたんだ」
聡史は晶に話を続ける。
「俺は何処かで、奈々子さんを自分に見合うように、美化していたんだ。美化していた中で、俺は奈々子さんを好きになっていた」
「……聡史」
「奈々子さんに言われたよ。奈々子さんの部屋の中で、奈々子さんの内側を見ながら、こんな私でも好きでいられる? ってね」
それは聡史にどう響いたのか。晶は聡史の続きを待った。
「……俺はそれを振り切ってその場から逃げたんだ。最低だ。最悪だ」
「……」
「後から魔王から電話があったんだ。多分、俺が奈々子さんの家の中に行く事を知っていたんだろう」
聡史によれば、勇太は週に一回は奈々子の家を訪れて部屋を掃除して行くらしい。その際、買い出しも手伝ってやると。勇太は奈々子の内情にかなり踏み込んでいるらしかった。
晶はその話で今更になって気付いた。奈々子が言う、生きていれば幸せな事もあるんだと気付かせてくれたのは、勇太だと。
「もう、適わないよなあ。勇者が魔王を打ち破るなんてさ」
ずるずると、戸にもたれる聡史の音が晶にも聞こえた。
晶は被っていた布団を振り払い、部屋の戸を開けた。
「……何だ、酷い顔だな」
「聡史も同じじゃない」
見上げられて言われる聡史の言葉に、晶は泣きながらも笑う。
そして。
晶は聡史の頭の上に手を置いて、今まで以上に思い切り掻き回した。
「……っ、何するんだよ!」
いつも通りの聡史の憤慨する声に、晶は笑う。
「うん、もう、聡史は大丈夫だよ」
「晶」
「奈々子ちゃんは、魔王にさらわれたままのお姫様なんだよ。奈々子ちゃんを救う勇者は、この先も、ずっと現れなくていい。そう、思う」
「……ああ、俺も晶と同じ考えだ」
ここで初めて聡史は晶に笑みを見せた。
「晶の方はどうなんだ」
聡史が立ち上がると、晶をジッと見据える。晶は聡史から顔を逸らす。
「……うん、私はまだ駄目かもしれない」
今度は晶の方が床に座り込む。
「吉岡君から言われたのが、大分、響いてる」
「晶」
聡史はしゃがんで晶と同じ目線に立つ。
「ひゃ」
突然聡史が晶の頬をつねった事に、晶は抗議の声を上げる。
「いひゃい、何すんの!」
涙目になる晶と違って聡史は口の端を上げて、一言。
「晶の回復手段だ。忘れたのか」
「……」
晶は痛みを訴える頬を自分の手で抑えながら、聡史を見詰める。
ああ、思い出すのは。
自分が思う存分泣いた後、聡史がする事。それは、自分の頬をつねって笑う事。そうすれば聡史と同じように声を上げて、次には泣いている事すらもう忘れている。晶はそれが自分の回復手段である事を、今まで忘れていた。
逆に聡史は覚えていたのだ。晶は聡史に目を見張る。
「何で」
「そういうのは、忘れないものだろう。……自分が気になる子なら、尚更」
「……何言って」
晶は最後、聡史に言われた言葉を心の中で反芻している。
気になる子なら、尚更。誰が、誰を。晶は聡史にもう一度言うよう、促した。
「俺が奈々子さんの家まで行く決心をしたのは、晶に言われたからだよ。あの日、晶に意気地無しと言われたからだ」
「……」
そう、晶が聡史に叫んだ日でもある。
「奈々子さんの家に行って何もかもを見た後で、自分がどう出るか。奈々子さんにどう、対応出来るか。……その勝負は、俺の話を聞いた晶なら、分かるだろう」
「……」
聡史の話に晶は遠慮しながらも、頷いた。
「……だからさ、俺の奈々子さんへの想いはただの憧れだったのに気付いたんだ。憧れだけで、邪悪な魔王から姫を救い出そうと、していたんだ」
「……それで」
「それで、俺は思い知った」
何を、とは晶は聡史に聞かなかった。
聡史が晶を見詰める。晶は普段の自分なら、先に顔を逸らすかもしれないと見ている。晶はしかし、今回ばかりは聡史から顔を逸らす事無く、聡史を見詰め返した。
「俺が今まで苛ついていた理由が、奈々子さんの家を出てからようやく気付いた」
聡史が大きなその両の手の平を、晶の頬にあてがう。
「俺が、心底、晶を好きだって事が」
「……っ」
晶は目を閉じる。
目を閉じてもあふれ出るのは、涙。晶の涙を聡史の手がすくい取る。
「晶」
「……何で、私なの……、私……、まともに料理も出来ないし、奈々子ちゃんみたいにはなれないよ……」
声を上げて泣くのを止めたのは、いつだっただろうか。晶は声を上げるのを止めた代わりに、聡史の前では上手く呂律が回らなかった。
「いいんだ。俺は晶に奈々子さんを求めていない。俺が求めるのは、晶だ。晶が奈々子さんの代わりだとは思わない。晶は晶のままで、俺の傍に居てくれればいいから」
「……本当に、いいの」
「いいよ。俺に必要なのは晶だから」
「……!」
晶は今、聡史が自分に何をやったのか、理解するのに時間を要した。
聡史が晶のおでこにキスをしたせいだ。晶の顔は真っ赤になる。
「な、何やって……」
「……本当、可愛いよ。俺の前だけじゃないってのが、悔しいけど」
「……!」
聡史の口から自分を可愛いと言われた晶は、ますます動転している。
「か、可愛いって……」
「前から言っていたんだけど……、晶には聞こえていなかったのか」
「前からって、聞いてないけど!」
そう、晶の記憶からすれば、聡史からマトモに可愛いと言われた事が無いのは、事実だ。
「あれ? 俺には奈々子さんには勿論、勇太にもその他色々な知り合いに、晶の可愛さを伝えていたけど。そう、近付くと顔を赤くする所とかね」
「……!」
聡史に晶はもう、開いた口が塞がらなかった。
聡史の方は構わず、晶を抱き締める。
「……晶は、迷惑か。俺がこんな事をするのは」
少し、落ち着いたかもしれない。晶は聡史に抱かれる事で、気を取り戻して行く。
「……ううん、迷惑じゃないよ。むしろ、嬉しいくらい」
「そうか、それならいいんだ」
「私もずっと、聡史の事が好きだったんだ」
「何だ、今頃俺に告白かよ。遅いんじゃないか」
「何よ。聡史だって遅いよ。私の気持ちに気付いてなかったの」
「……晶が俺に気があるってのは、お見通しだったけどな」
「だったら何で」
「俺が奈々子さんの気持ちに蹴りをつけてからじゃないと、晶も納得しなかったんじゃないか」
「それは言えてる」
「だろ?」
晶は久し振りに聡史と笑い合った。
名残惜しそうに聡史が晶から離れる。
聡史から離れた晶は、立ち上がり腕を伸ばしながら聡史に向けて言った。
「あー、久し振りにファミレス行きたい」
「何だそれ。まあ、いいか。今度、母さんと親父に言ってみるよ」
「うん」
晶の突然の提案に呆れながらも、聡史は快く応じる。
「晶、吉岡はどうする。奴に何の反撃も無しか」
「え」
晶は聡史に目を見張る。
「実は俺、晶が吉岡に啖呵切ってる所の一部始終、見ていたんだよね」
晶は勢いよく聡史の肩を掴む。
体育館に通じる渡り廊下に居たのは康一が偶然、さ迷っている晶を見付けたからだ。あの時間、晶も康一も、渡り廊下の上に二人が居る事は、予測出来ない筈なのに。晶は聡史に詰め寄る。
「何で!」
「いや、何か知らないけど俺の携帯に差出人不明のメールが届いて、その内容があそこに行けば、面白いものが見られるよってあったんだ。で、行ってみたらその通りに晶と吉岡が何か言い合ってたから、俺は影に隠れて二人の様子を見ていた」
「……」
晶はふと、思い付く。
そういえば、最近、奈々子も勇太も様子がおかしかった。これは何かあるのではないか。晶は聡史と顔を見合わせる。
「……ねえ、聡史の方は何か変な所は無かった」
「……ああ、思い当たる節がたくさんある」
晶に言われて、聡史は頭に手を置いて何やら考え込んでいる。
「一つだけ、これらの現象を掴む方法があるんだけど」
「あるの?」
「晶に異論が無いなら、この方法が最適だと、俺は思う」
晶は聡史の考えを聞かされる。
聡史から全てを聞き終わった晶は、何の迷いも無く、聡史の話に乗る事に決めた。