降水確率70%――朝の天気予報の通り、昼間から断続的に雨が降り続いている。
「宮田君」
「……何でしょうか、首領」
灰狼衆本部の廊下で呼び止められ、振り返ればいつもの食えない顔をした首領――服部柊十郎が居て、直美は露骨に嫌な顔をする。彼の隣はやはり、一季が静かに控えていた。
「宮田君の活動は、何だったかね」
知っているくせに問い質して来る服部に苛立ちを覚えつつ、直美ははっきりと答える。
「――雪見和彦以下、雪見和穂、清水雷光、目黒俄雨、そして……宵風の観察、です」
何故、今更、自分の役目を服部に報告しなければいけないのか。苛立ちが募るのは、じめじめした天気のせいではない事くらい、直美も分かっていた。全部、何かを見透かした調子で接する目の前に居る男のせいだ。
直美の模範解答を聞いて、服部は満足そうに頷く。
「そうだ。君は『傘』の一員として、宵風を含めた彼等の動向――情報を私に受け渡す義務があった。君のやり方は私からすれば度肝を抜くものだったが、一応は成立している。それには流石『傘』と言うべきか、舌を巻くよ」
「……何が言いたいんですか」
はっはっは、と快活に笑う服部を前に、直美は静かな怒りをあらわにする。
こんな所でぐずぐずしている暇は無いというのに。これから、彼に会わなければいけないというのに。焦る直美の心境を知っているのか、服部は急に真面目な顔つきで、直美に言ったのは。
「いつものように『天立』で、清水君と会う約束をしているのなら、ご足労だよ。彼はもう、此処に居るからね」
服部の後ろから、すっと雷光が現れる。雷光は俄雨を引き連れていた。直美は雷光の登場に、唖然とし、たまらず、たまっていた感情を服部へぶつけた。
「どうしてですか、これは、契約違反でしょう!」
「こちらとしてもいつも通り、君に彼等の観察を続けて貰いたかったけどね、事態が急変した。……対象者が逃げたせいでね」
「……ッ」
服部の目は据わり、恐い顔で直美を見下ろす。
直美もまさか壬晴と宵風が服部の前からあっさりと逃げ出すとは、予想外だった。彼等が逃げれば当然、自分の契約も切れてしまう。それは服部と契約を交わした時から、初めから分かっていたはずなのに。
こうもあっさりと彼等との関係が終わってしまうものなのか。直美は服部の話を半ば夢心地で聞いていた。
「君の役目は此処で終わった。後は、『傘』のリーダーに君の処遇を任せる事になった。清水君達は私と来たまえ」
「はい」
「雷光さん!」
直美は自分を無視してしっかりとした足取りで服部について行こうとする雷光の腕を、掴んだ。
「どうして、彼と行くんですか! 今、宵風の過去を追っている雪見さんだって、こんな事を望んではいないはずで」
「……私はね、どうして此処に居るんだろうね?」
「あ……」
雷光は真っ直ぐ直美を見下ろし、直美は雷光のその、何かを捉えて離さない目から逃げるように、掴んでいた腕を離した。
「私は、私のやるべき事をしようと思う。君も、私達にはもう、かまわないでくれ。そういう契約なのだろう?」
「……」
雷光は、冷たい言葉を放ってから、冷たい目で直美の横を通り過ぎる。その後で、俄雨が何か嫌なものを見るような目で直美を見て、通り過ぎて行った。
動け、動け。直美は必死で、自分の足にそう言い聞かせる。それは、雷光達が行ってしまう前に、どうしても伝えたい事があったから。
俄雨に続いて服部と一季が、やはり直美の横を通り過ぎて行く。直美は一季が通り過ぎた時、彼女から冷めた目を向けられ――更には彼女の赤い唇が自分を嘲笑っているのが分かった。直美は一季の自分を嘲笑うかのような態度を目にして、決心する。
此処で決心しなければ、一季の思う壺だ。直美は、最初から一季が好きではなかった。灰狼衆は服部でなく、一季が影で動かしているのではないかと思うほどで、彼女が恐くてたまらなかった。しかし、今は立場が違う。どうせ消されるのだ、このまま一季のシナリオに乗ってたまるか、という思いが直美にはあった。
「雷光さん!」
直美の叫びで、雷光の動きが止まる。
「雷光さん、あんな女に応じる事は……」
「……俄雨、黙って」
俄雨が吼えるのを、雷光が制した。
雷光は静かに直美を見据える。
「……私は」
直美は此処で自分の想いを雷光に告げなければきっと後悔するだろう――、顔を上げて雷光を見てからそして。
「私は、首領の仰る通り、傘の一員でした。あの日、和穂さんに頼んで雷光さんに会えるよう頼んだのも、全部、私が仕組んだ事です。雷光さんを前にして運命だって、前世の繋がりがあるって滅茶苦茶な理由を言って、一目惚れしたっていうのも全部、嘘でした。それは、首領から宵風を――雪見さん達を見張るように、監視するようにと、そういう契約を交わしていたせいです。そこには、雷光さんも含まれていました。雷光さんの本当の仕事も、雷光さんの家の事情だって全部、知っていました」
今更、全部を告白してももう遅いかもしれない。それでも直美は続ける。
「私は雷光さんに会って、雪見兄弟とも接して、それから、噂の宵風を間近で見られて、……俄雨とも知り合えて、良かったと思ってます。皆、データで聞き知っていたような人達とは違っていましたから。それでも私の方は嘘だらけで、皆を騙してばかりいました。多分、雷光さんも途中で私の嘘を見抜いていたかもしれないけど、それでも、雷光さんは私を受け入れてくれましたよね、だから」
泣くな、堪えろ。直美は自分を抑えつつ、最後の言葉を雷光に向けて放った。
「だから私の雷光さんへの想いは、いつのまにか本物になってた!」
それだけは、事実。自分自身、全部が嘘で固められていたものであっても、その想いだけは本当だったと、直美は雷光へ訴える。
「これだけは……、伝えておきたかったから。最後まで聞いてくれて、ありがとう」
もう、思い残す事は無い。直美は彼等に背を向けて、出て行こうとしたが。
その直美の腕を掴んだのは、雷光だった。
「雷光さ……」
「――」
雷光は雨と服部、一季には聞こえないように、直美だけの耳に聞きえるように――彼女の耳元でささやいたのは。
「清水君」
「すみません。私は、彼女がどうしても嫌いにはなれないんですよ」
雷光はゆっくりと直美から離れて、自分を咎める服部の方を振り向き、肩を竦めて困った風に笑った。
「それでは、此処で私を倒して、彼女と手と手を取り合って駆け落ちでもする気かね?」
「……まさか。私は、仕事と私情の区別はついていますから、そんな無茶はしませんよ」
「……そうか。それなら、宮田君との別れの時間くらいくれてやろう。もう二度と、彼女と会えないからそのつもりで」
「ありがとうございます。しかし、別れの時間はもう良いです。私は、先輩の後を追わなくてはいけませんから」
服部の最大限の好意を、雷光は笑顔で交わしている。雷光の顔には彼の言う通り迷いが一つ無い事を服部は見抜いて、彼の揺ぎの無い灰狼衆への忠誠を目の当たりにして、笑みを浮かべる。
「一季。直美君を頼む」
「承知しました」
一季は服部から離れて、彼の指示通り、立ち尽くしているだけの直美を支える。
「さ、行きましょうか」
「……はい」
直美は一季に支えてもらいながら、遠ざかる雷光の背中を見詰めていた。
遠くで、雨の音が聞こえる。
雨が止む気配は無く、その音はただ静かに、直美の心を貫くだけで。
雨が上がり青空が見えるのは、まだしばらく時間がかかりそうだった。