――夢。夢を見た。
『彼』が魔術師のマリスビリー・アニムスフィアにくっついて冬木の聖杯戦争に関する調査という名目で日本に滞在している間、私が彼の世話をしていた時の夢を。
彼は冬木であった聖杯戦争の調査を担当、そのさい、カルデアでは最高権力者であるマリスビリー・アニムスフィアも一緒だと話した。
『マリスビリーのアニムスフィア家って、イギリスの時計塔では君主の称号を得ている有名人の一人よね。魔術師の間でも、彼を前にすればひざまずくほどだって言われてるわ。そんな彼に単独でくっついて来てるなんて、あなた、何者?』
『ボクは、ただの彼の主治医だよ。ある時、医者としてマリスビリーを助けたときに彼に気に入られちゃってね。それからの腐れ縁だ』
はは。『彼』は私が差し出した日本の緑茶を嫌な顔一つせず、飲み干した。
マリスビリーはしかし、魔術師でもこんな一般家庭の世話になるつもりはもとからなく、現在は聖杯戦争のおかげで魔術師の間ですっかり有名になった冬木という街があって、そこを牛耳る一流魔術師の遠坂家を頼って一流の旅館に滞在しているとか、いないとか。
私が腹を空かせて倒れていた行き倒れの彼を拾って数日の間、彼は私の家から離れなかった。
彼に対しても元気になったのであれば、マリスビリーが滞在している高級旅館に帰ればいいのにと素っ気なく言えば、
『いやいや。マリスビリーと居るとどうも堅苦しくてねえ。マリスビリーにくっついている魔術師達も、彼についてるボクを気遣うだけだし。その中でこんな風に、気軽にアニメも見れないしさー』
笑って、アニメを見ているのだった。
そういう彼は自分の家に来てから、夜になれば深夜帯に放送されるアニメに見入っていたのである。
最初はいい大人がアニメかとバカにしていたが、同じように見ていれば自分も引き込まれてしまった。
そういえば日本のアニメ、外人に人気あったなというのも、思い出した。
『日本のアニメ、好きなの?』
『うん。忙しい中でも、自分が人間であるという事を分からせてくれるから』
はあ。日本のアニメは、そこまでたいそうなものだっただろうか。普段からアニメが身近にある日本人と、そうでない外人の間では、その感性が違うのかもしれない。
『中でも、魔法少女モノが好きだね。普通の女の子が変身して力を得て悪を倒す、これだけ単純な話の中で見ている人間の感情を揺さぶってくる。日本は良いよなぁ、長い間、魔法少女のジャンルがシリーズモノであるんだから』
『私も小さい時は、魔法使いに憧れたっけ。ステッキ持って真似くらいはやってたかな。真似だけならいいけど、その拍子に手から炎が出て家具燃やして、親にめちゃくちゃ怒られた』
『へえ。アニメと同じように魔法使いに憧れてたというのであれば、魔術師の生まれで良かったんじゃないのかい? そのエピソード聞けば君もそのままいけば、魔術師として活躍できるかもしれないよ』
『どうだろ。私の家、日本で有名な魔術師である遠坂家みたいに魔術一本で活躍できるような家じゃないからなー。魔術師のお父さんも普通に外でサラリーマンとして働いてるし』
『君、魔術師達が集うイギリスの時計塔に興味ない? 君もそこに興味あるならボクがそこ入れるよう、推薦してあげられるけど』
『ありがとう。でも、遠慮しとくわ。私、自分でもそこまでの魔術師じゃないの自覚してるし、英語もできないから。おまけに日本の料理が好きだから、イギリスとかアメリカとかいった外国暮らしは絶対無理だわー』
私はその頃も現在と同じように食べる事が好きで、腹を空かせていた彼を拾ったのも誰かに自分の作った料理を食べてもらいたいという思いからだった。
現在でも彼の前には深夜帯だというのに、腹が減ったというので、野菜炒めをのせたラーメンを作ってあげた。彼は外人らしく寿司や味噌汁といった基本的な和食は苦手だったけど、こういう日本を代表するラーメンや揚げ物、ハンバーガーといったジャンク的なものは好きだと話した。それは趣味あうなとは思った。
『それは、残念だな。君、日本の小さな場所でその力を使うんじゃなくて、イギリスの時計塔で良い師匠につけばそれこそ、遠坂家の当主である遠坂凛みたいな凄腕魔術師になると思うんだけどね』
『いやいや、私が良い師匠について修行すれば遠坂家の当主の遠坂凛みたいになれるなんて、買い被り過ぎでしょ。実は私、遠坂凛とは同じ高校で、彼女と事務的に話した事あるけど、すぐに格が違うって思い知ったわ』
『へえ。君と遠坂凛、同じ学校だったのか。道理で』
『うん。遠坂凛は学校では、誰もが羨む美貌の持ち主で成績優秀、魔術師でなくても誰でもその名前を知ってるほどの、有名人でね。彼女の周りは常に、人が集まっていたわ。私はそんな彼女を遠巻きに眺めているだけで十分だった』
『君が遠坂凛と同じ学校で同じ魔術師であるなら、彼女と良い友人関係になれたと思うけど』
『はは、それ、ないわー。日本では魔術師の中でも最高の腕を持つ遠坂凛と、魔術師の末端の自分が仲良くなれるなんて、天と地がひっくり返るくらいのものだわ。おまけに日本では魔術師と明かせば恐れられて気味悪がられるから、私も彼女だけじゃなくて学校の友達には魔術師の家とは明かしていないし、遠坂凛は私の素性に気が付いてるかもしれないけど声すらかけてこない』
『ふむ。日本で魔術師といえばイギリスの時計塔のように学問として広く開放されず、ひっそり隠れてやるもので、あまり公にできないとは聞いてたっけな。だけどその中で遠坂凛もああ見えて孤独を抱えてるかもしれない、そこで同じ魔術師の君が彼女の相手になれば、良い友人になってたかも』
……。
果たして、そうだろうか。
遠坂凛。学校一の美少女であり、成績優秀、何をやらせても器用にこなし、文武両道を地でいく人間である。更に、男だけではなく女からも熱視線を集めていた彼女が孤独を抱える――、改めて考えてみれば、そんな話もあったかもしれない。
それでも。
『そうだとしても、私では、遠坂凛の孤独は埋められないと思う。彼女には、彼女に相応しい人が居ると思うよ』
『それもそうか。それ、今の孤独なボクが君を必要としているようなものだね』
さらり、と。
にこにこ、笑顔で。
……。
『そこでお世辞言っても、それ以上のものは出せないよー』
『ありゃ。ラーメンの後、甘いもの欲しいと思ってたんだけど、バレたか』
はは。そんな事だろうと思ったわ。彼の前には、スープまで綺麗に飲んでくれたラーメンのどんぶりがあった。
というか――。
『というかあなたも、孤独抱えてたの? そうは見えなかったけど』
『孤独も孤独だよー。ボクってばマリスビリーについて右も左も分からない日本に来たのはいいけど、一人も知り合いがいなくてさ。さっきも話したけど、マリスビリーについてる魔術師達は、ボクの存在を疎ましく思ってるようでボクの事は、ほったらかしだった。その中で、お腹空かせて食堂に入ろうと思ったけど日本語しかないメニューばかりで注文方法分からなくてそこに入る勇気なくて、それで行き倒れてたんだ』
うう。彼は私を見ながら、涙ぐむ。
そして。
『そんなボクを拾ってくれた君は、女神に見えたよ。女神様、今度はボクに甘いもの恵んでください!』
ぱん! 手をあわせて、私に向かってそう拝んできた。
いい大人が、高校生に向かって拝むのはどうかと思ったが。
その時の私は、彼が私の作ったラーメンを汁まで残さず完食してくれたから、そのぶん、気は良かったのだ。
『そういえば、冷蔵庫に秘蔵のプリンがあったはず』
『プリン! それ、もらっていいのかい?』
『私の作ったラーメン残さず食べてくれたから、それのオマケ。ちょっと待ってて――』
立ち上がって冷蔵庫に向かう私を引き止めるのは、彼の細い腕だった。
いつの間にか、彼の綺麗な顔が間近にあった。
そして。
『……甘い』
『……するなら、プリン食べてからの方が良かったんじゃないの』
『はは。それはそうだな。そのプリンもらっていい?』
『どうぞ』
『プリン食べたら、もう一回していい?』
『知らない。好きにすれば』
『うん。君のそういうとこ、可愛くていいと思う』
『……』
呆れながらも、彼の要求に簡単に応じる私もどうかしてると思った。
それから、別れはあっさりしたものだった。
マリスビリーの冬木での仕事が終わり、彼もいよいよ日本を出ると話した。一週間くらいの付き合いで、その間に恋人ごっこみたいな関係だったけど、いい思い出をありがとう、さようなら、また会う日まで。私は別に空港まで見送りに行く事もなく、その時はあっさりと彼の旅立ちを自宅で静かに見送ったのだった。
それから一年後。
再び、彼は私の前に姿を見せた。何でも、マリスビリーがイギリスの時計塔以外で新しく組織を作るというので、そこで優秀な魔術師、あるいは、技術者が必要で、日本でスカウトに来た、その滞在の間、また世話して欲しいと。
私は断る事もできたが、彼の子共のような屈託ない笑顔で『お願い、この通り!』と拝まれてしまえば応じるしかなく、あっさりとそれを引き受けてしまった。
『あなた、いつも真っ先に私の所に来るけど、冬木だけじゃなくて、日本の魔術師達も束ねるようになった遠坂家の世話にならなくていいの?』
私は少しの意地悪で、彼に聞いた。
『遠坂家の当主は、マリスビリーの接待で忙しいってさ。マリスビリーは、カルデアの所長であり、時計塔の君主だからね。遠坂家としても、その縁は繋いでおきたいだろう』
『ふうん。あなたも一緒にそこの世話になればいいのに。遠坂家なら日本で一番良いホテルとか旅館紹介してくれるだろうし、滞在中に相手してくれる女の子も世話してくれるんじゃない?』
『いや。やっぱ、君の所で好きな時にアニメ見てる方がいいし、ボクの相手は君で十分だ』
『……』
ずるずるずる、と。そのなんともいえない微妙な関係は、学校を卒業、成人して働くようになり、家を出て冬木以外の場所で一人暮らしをするまで続いた。
その間。
『君、魔術師の家系で妙蓮寺家って聞いた事ある?』
『妙蓮寺家? お寺?』
『多分。日本でも有数な伝統ある古い寺の一族で、でもそこは社会とは隔離された場所で普通の手段では近付けないという説明を受けた。マリスビリー所長がカルデアでその跡取り欲しがってね。しかし、そこの寺がなんかヤバイって聞いて、そこに行く前に少しの情報でも手に入れたい』
『ヤバそうな寺の跡取りなら、何人か知ってる。妙蓮寺……、どっかで聞いた事あるけど、残念だけどそういうとこは、うちとは繋がりはないよ』
『何かきっかけあれば、こちらで用立てはできるし、マリスビリーのアニムスフィアの名前は日本でも効力ある』
『ふむ。魔術師系の古い伝統あるお寺なら、お父さんの方が詳しいかも。聞いてあげようか』
『ぜひ! 助かる! やっぱ、君も時計塔で修行すれば、そこそこ良い魔術師になれると思ったんだけどなぁ。もう魔術師、諦めたの?』
『学校卒業して、冬木出て魔術師と関係無い職についてからは、すっかり諦めたよ。マトモに修行してないから成人した後は、その力も弱くなってるし。今は、近所のお弁当屋さんで働いてる。そうそう、その残り物の揚げ物、私が作ったんだけど』
『道理で。明日、そこの寺行くから君の店に寄って、何個か持ってっていい?』
『それなら、ご飯、パンにしてあげるよ。あなたはそっちのが良いでしょ?』
『ヤバ。泣きそう』
『それくらいで? あなたが来るようになってから最近、パン作りも始めたから丁度良かったんだよ。おかげで、また太った気がする。ダイエットしないと……』
『いやいや、日本人の女の子が痩せ過ぎなんだよ! 世界的に見ればそれくらいが丁度良いと思うよ!』
『……』
『できるなら、一緒に来て! 働いてくれたぶんのお金出すから!』
『無理。一般客が参拝できるような普通のお寺ならいいけど、この日本では社会から隔離された伝統あるヤバそうなお寺、だいたい、ヤバイからねー。魔術使えても行く気にならない』
『そんなー。君と一緒に旅ができたら楽しいと思ったのに。あと、食事も困らない』
『……まあ、考えておくよ。けど今回、そのお寺、本気でヤバそうな気がするから、お断りします』
『うわあ。昔から君の予感、当たるからな。これが最後の晩餐にならなきゃいいけど』
はは。彼は乾いた笑いを浮かべて、最後の唐揚げを口に放り込んでその味を噛みしめていた。
結果。
彼がお父さんの情報を使って妙蓮寺に行ってみれば、もぬけのカラ、誰一人居なかったという。
関係者を捕まえて聞けば、数日前に本殿で一族皆殺しの虐殺事件があったようだ。
実行犯はなんと、マリスビリー所長が狙っていた跡取り息子だとか。
マリスビリー所長の目的の跡取り息子は今までの鬱憤を晴らすよう、親も子も関係なく一族を皆殺しにした後、日本を出て外国に向かったようで、行方知れず、彼の追跡者も誰一人戻って来ないらしい。
そこから無事に帰って来た彼は一足遅かったと嘆いていたが、もし、その一族皆殺し事件に鉢合わせになれば彼も酷い目にあっていただろうに、気楽なものだ。そして自分はそこについて行かなくて良かったと、心底、胸を撫でおろした。
日本では魔術師系で伝統ある寺や教会で社会から遠のいて暮らしている一族は、だいたいヤバくて危険な場所というのが定番だからな。
なんの因果かその数年後に彼と妙蓮寺のその跡取り息子はカルデアにて再会するのだが、それはまた別の話だ。
その後も彼は、マリスビリー所長がカルデアを構築するのに目をつけた人間が日本に居ると分かればやって来て、その間、私の部屋でくつろいでは帰るというのを繰り返していた。
そういう感じでふらっと現れたかと思えば、またどこかへ立ち去っていく。
会えない間は、手紙やメールでなんとかやり過ごしていた。
私はそんな彼に対して別れようと言える勇気がなく、彼もまた私の前に来れば甘い顔で接してくるのでタチが悪いなとは思った。
転機がきたのは、2014年あたり――ようやく、マリスビリーが立ち上げたカルデアという組織が出来上がり、本格稼働するという時期だった。
彼はいつものようにふらっと私の前に現れた――そう思えば、その表情はどこか暗かった。
彼は言う。
『ボクはマリスビリーが立ち上げた南極にあるカルデアという組織で、マシュという女の子の担当になってるというの、前来た時にも話したよね?』
『あー。マリスビリー所長の肝入りの実験体でデザインベビーの一人、無菌状態で大事に大事に育てられたっていう?』
私はマリスビリーのもとにデザインベビーとして作られたマシュという名前の女の子がいて、その子はカルデアで無菌状態で大事に育ててきたという話を以前から、聞いていた。そして彼女を担当、育てているのが彼であるというのも。
当時、初めてその話を聞いたとき、マリスビリーは魔術師の間では最高の魔術師であると崇拝されてるけど、やってる事は色々ヤバくないかと思ったが、彼の前では口にできなかった。
『それで、カルデアでそのマシュを使えるようになるという事は、今まで以上に忙しくなるの?』
『多分。マシュが上手くいくかどうかはボクの手にかかってるって、マリスビリー所長から期待されちゃって』
マリスビリーから期待を受けるというのは凄い話だとは私でも思ったが、その時の彼は浮かない顔をしていた。
私は。
『で、何が言いたいの? 言いたい事があるなら、さっさと言ってよ』
『……ここだけの話にして欲しい。南極のカルデアではマリスビリー所長を中心に、ある大規模なプロジェクトを遂行中で、それが失敗すれば国、いや、世界が傾くほどの大惨事になりかねないほどのものだ』
『へえ。それは凄い話だ』
『それでボクがマシュを使うのはいいが、彼女は国家機密として扱われるので、その影響で外部と通信や人間関係も遮断される事になってね。そこでは外での関わりを一切禁止された』
『そう、それは大変ね。でも、アニメくらいは見られる?』
『ほかにイギリスの時計塔だけじゃなく、世界各地から優秀な人材を集めたスタッフも何人か居るから、娯楽系は遮断されない、はず。そこは安心してる』
『それは良かった。あなた、仕事先で続きもののアニメが見られないと分かれば、本気で死にそうだったものね』
私は彼を前にしてくすくす笑うだけだったが、彼は。
『……』
『何?』
『……』
『だから、何よ』
『……』
『……』
数分の沈黙の後。
私は黙って、彼の反応を見ている。
彼はやがて決心したように顔をあげ、私の手を握ってきた。
そして。
『――君、ボクと一緒に南極のカルデアまでついてく気、ある? ついてく気があるなら、一緒に南極のカルデアまで来て欲しいと思っている。マリスビリーはボクに向かって、日本で心残りがあるなら今のうちに片付けておけ、それからその日本であともう一人くらい良い人材が居るのであれば紹介して欲しい、良ければカルデアのスタッフとして採用する用意はある、と、話してくれた。多分、日本で君に会えるのは、これが最後だ』
私は。
私は――。
――現在、カルデアはネモのストームボーダー、管制室内にて。
「私、彼――ロマニからカルデアのスタッフとして南極までついてくる気あるならついて来て欲しいって言われたんだけどさー、断っちゃった」
「ええ、どうして断ったんですか! もったいないですよ、それ!」
お姉さんを中心に、立夏、マシュ、ダ・ヴィンチ、シオン、ゴルドルフ所長、ネモ、ほか、ムニエルを中心としたカルデアの生き残りスタッフ達が集い、彼女の動向を見守っている。
お姉さんの事情聴取が行われるその最中、真っ先に声を上げたのはマシュだった。
お姉さんは笑って、声を上げたマシュに注目する。
「マシュ。あなた、意外とそういう話、好きなの?」
「は、はい。小説でも映画でも、ロマンチックな恋愛モノが好きでして……」
「マシュは、恋愛モノに目がないんですよ」
はは。立夏も、恋愛ごとに関してマシュの見境なしな部分に笑うだけ。
「でもオレも、ロマニに誘われたのであればついていけば良いと思ったんですけど。お姉さん、ロマニとそこまでの関係でどうしてそれ、断ったんですか?」
「マスターって本当、ロマンチストで、お子様ですよねー」
「ねー」
シオンとダ・ヴィンチは、お姉さんがそれを断った理由を理解しているようで、マシュと同じようにそれが分からない立夏に対して鼻で笑う。
「何だよ、二人して」
「でも実際問題、日本から南極まで行くの、凄く勇気いる話なんだよね」
「何で?」
「彼について海外赴任といえば聞こえはいいが、元カルデアがあった南極は日本からでは、イギリスやアメリカと違って簡単に行ける距離じゃないからねえ。おまけに、日本では単独で南極に行くとなれば厳しい審査があって、そのぶんの費用もけっこうかかるんじゃなかったかな。それ思えば、女単独でそこまでついて行くにはそれなりに時間と覚悟が必要、すぐに断った彼女の判断は正しいと言える」
「あ……」
ダ・ヴィンチの話を聞いて立夏はようやく、その事実を思い出した。
続けてシオンがそれに補足するよう、話した。
「マスターの場合、男の子で、日本での生活はそこまで未練がないって感じで着の身着のままで此処まで来られたんでしょうが、彼女は日本に家族も友人も居て魔術とは関係の無い、別の生活もありますからね。女はそこまでロマンチストにはなれない、いつでも目の前の現実を見てるんですよ」
「うん。ダ・ヴィンチとシオンの言う通りで、私が日本に残ってる家族や友人達について考える間はない、明日には南極に発つっていうロマニについていける勇気がなかったんだよね。それだからその話、断ったの。ロマニは私の返事を予想していたのか笑って、やっぱりそうだよなあって簡単に諦めて、そのままあっさり別れたきりだった」
「むぅ。同じ男からすれば、一大決心な話だと思ったが。私は彼と会った事はないが、その時のロマニ医師の心中、察する」
ゴルドルフ所長は同じ男としてその時のロマニの気持ちは分かると、彼に同情的で、目頭を押さえる。
続ける。
「私と彼はそれからメールや電話で関係は続いてたんだけど、偶然に、同じアパートに住んでた藤丸君が夏休みの間に海外に行くって言い出してそこに旅立ってしばらくして、メールも手紙も途絶えて、一切、音信不通になった」
「……」
「ある時、イギリスの時計塔が魔術師向けに発行している新聞で南極のカルデアで大規模な事故発生、カルデアの所長であるマリスビリー・アニムスフィアと彼についている何人かのスタッフと連絡取れず、時計塔はそれの調査隊を結成し派遣を検討中という記事がのって、それは日本の魔術師達の間でも話題になったの。私は、マリスビリーについてその事故に巻き込まれて連絡のつかない何人かのスタッフの一人が、ロマニだと分かった」
「……」
「けれども私ではイギリスの時計塔に行ける勇気もなくて、日本でくすぶったまま、私と彼との話は、そこであっさり終わってしまった」
「お姉さん……」
「先輩……」
立夏だけではなくマシュも、苦しそうだ。
お姉さんはしかし、気丈に振る舞う。
「私としては自分の知らない間にマリスビリー所長が亡くなってカルデアがこんな事になってるとは夢にも思わなかったし、異星の神による地球の白紙化も知らなくて、マスターとなった藤丸君がそこまで酷い目にあって過酷な旅を続けているとは思わなかった。私って酷い女ね、私を助けようとしてくれた藤丸君を排除しようとしてたんだから……」
「いえ。オレの事は気にしないでください。マスターとして、お姉さんを助けられて良かった」
「藤丸君、ありがとう……」
お姉さんの手を握る立夏と、立夏に泣きそうになるお姉さんと。
こほん。
咳払いが聞こえた。ダ・ヴィンチだった。
立夏は慌てて、お姉さんから離れる。
「君は、聖杯が夢に現れてそれに応じるまで、眠っていた。それ以前の記憶はいっさい抜け落ちてると話してたが」
「これは、新しい証言ですよ。カルデアでも貴重な資料になりえますね」
ダ・ヴィンチとシオンは興味深そうに、お姉さんの聴取を続ける。
お姉さんはダ・ヴィンチやシオンの聴取には素直に応じている。
「うん。夢に応じて聖杯を受け取ってあの世界が出来上がる前の記憶は、すっかり抜けてる。抜けてる箇所っていうと多分だけど、多分、藤丸君がカルデアに来た年、2015年だっけ、そこから一年過ぎてマリスビリーとロマニの知らせを聞いた2016年頃までは記憶あって、それから今日まで――恐らく、2年以上は記憶が無い。現在が2018年だって聞いて、素直に驚いてる」
「マジか。これで、白紙化される前の地球人はまだどこかで眠らされて生き残ってて、何らかの処置を施されているのが証明できるか?」
「おー、これは期待できる話ですね。私はこれからネモ達と、彼女の話について精査してきます」
「頼んだ」
シオンはスキップするくらい浮かれた様子で、ネモの方へ向かった。ネモもシオンにうなずき、管制室のコンソールをいじる。
「さて」
さて。ダ・ヴィンチは、お姉さんを振り返り、彼女を品定めするかのよう、見詰める。
室内に急に、緊張感が走る。
「さて、夢から覚めて地球の白紙化という悪夢を見た君は、これからどうするべきか、選択肢を与えよう。君はこれからどうするべきか、何か考えはあるかい? 先に言っておくが、故郷の日本にはしばらく帰れないというか、その日本は消滅している。その中で君は我々の手足としてスタッフとして働くか、過酷な旅に耐えられずに何もする気がないというのであれば、私達の手で異星の神から地球を取り返すまで、冷凍睡眠する手もあるけれど」
さて、どちらを選ぶ?
「……」
お姉さんは何か考えているようで、ダ・ヴィンチには中々答えられなかった。
はぁ。溜息が聞こえた。ダ・ヴィンチだった。
ダ・ヴィンチは手厳しく言った。
「我々は、君に時間を使う余裕はない。今でも、今後の計画を練り続ける必要があってね。さっさと今後の生き方を決めてくれるか」
「ダ・ヴィンチちゃん、お姉さんは現実に引き戻されたばかりで疲れてるようだから、少し休ませてあげたらいいんじゃないかな。今後はそれから決めてからでも――」
「――ちょっと待って」
お姉さんを気遣いそう提案した立夏を遮ったのは、ムニエルと同じく、生き残ったスタッフの一人のセレシェイラ・エルロンだった。
「セレシェイラさん、どうしたの」
「彼女は、セレシェイラ・エルロンさん。カルデアでは、記録係で書記担当の方です」
立夏がセレシェイラに応じ、マシュはお姉さんに彼女を紹介する。
「ちょっと、待っててください。私、あなたに渡すものがあったんです」
言ってセレシェイラは、立夏が引き止める間もなく慌てた様子で管制室を出て行った。
立夏は不思議そうに、お姉さんに聞いた。
「お姉さん、ロマニだけじゃなくて、セレシェイラさんとも知り合いだったの?」
「いえ。私は今日此処で初めて、彼女と会ったんだけど」
???
立夏と同じくお姉さんも、セレシェイラの行動が分からず首をかしげる。
しばらくして、セレシェイラが戻って来た。
彼女の手には、一通の封筒があった。
「セレシェイラさん、それ……」
セレシェイラは立夏にうなずき、手紙について話した。
「私、カルデアではスタッフの荷物も管理してたんだ。カルデアでは私は、年に一回ほど南極に来る輸送船にスタッフの荷物や手紙を持って、故郷に残る家族まで届ける重大な役目があったの。その中に日本あてに送られる手紙はそれだけで、差出人が限定されてたから、あなたの名前、覚えてた」
「……」
「これ、マスターがカルデアに来てからの話なんだけど、私がロマニ医師の所まで郵便物を集計に行けばロマニ医師はこの手紙持ったままで、中々、私に渡してくれなかった。いつもなら、お願いって言って何通か、日本に居る彼女あての手紙を私に渡してくれるのに、今回それなかった。どうしたの、日本に居るっていう彼女と別れたのかって聞けば、どうかなって笑うだけだった」
「……」
「今回逃せばまた一年先になる、後悔しても遅いよって何度か言っても、彼は手紙を持ったままで今回はいいって私を追い返した。私はある時までその手紙が気になってたんだけど、ロマニ医師が消えて地球が白紙化されてからもマスターとマシュの旅をサポートしなくちゃいけなかったから、最近まですっかり忘れてた。でも、今回であなたを見て、あなたの名前を知って、これ思い出した。やっと、あなたに渡せる。どうぞ!」
セレシェイラは早口でまくしたてながらも、その手紙をお姉さんに手渡した。
「……」
お姉さんはおもむろに、その手紙の封を切った。
中にあったのは一枚の短い文が綴られた手紙と、そして。
美しい、ダイヤモンドダストで覆われた銀世界の写真が一枚だけ添えられてあった。
――南極はオーロラだけかと思えば、それは間違いだ。ある時、吹雪が途切れたかと思えば、氷の結晶が舞う美しい風景、ダイヤモンドダストが見られる時がある。孤独な白銀の世界で、この美しい風景を君と一緒に見られたら、最高だと思う。
でも日本に家族が居て、日本が好きな君の返事は分かってるから、難しいかな。だけど、君の作ったパンと日本式の総菜があればマリスビリーの無茶な注文もやれるし、頑張れるとも思ったんだ。あと、食を受け付けなくて栄養剤しか使えないマシュにも、君の味を知ってもらいたいと思った。それだけ。
それから、何年先になるか分からないけれどカルデアの事業が落ち着いて日本に戻れるようになればまた、君を迎えに行こうと思ってる。その時まで待っててくれると嬉しいかな。ああでも、随分と待たせてるボクが言うのもなんだけどその間、ボクをすっかり忘れて君に新しい相手が出来たとあれば、どうするかな。どうしよう? その時はその時考えるか。それまでどうか、元気で。
お姉さんは。
「……遅いんだよ、何で今、この手紙が届くんだ、さっさと渡せばいいじゃない、こんなのずるい、あれから期待してもう一度来てくれるかもってずっと待ってた私がばかみたいじゃん、そんなんだから聖杯に付け込まれるんじゃないか、うう、うう、うー」
「……いいですよ、ここまできて我慢しない方がいい」
ぎゅうっと。立夏は、泣くのを堪えるお姉さんの手を強く、握った。
途端。
「うわあああ」
お姉さんは人目も気にせず声をあげ、子供のように、泣きじゃくったのだった――。