飛べない蝶と空飛ぶ竜(02)

 これは、彼女――がユーステスの紹介でグランサイファーに乗り込んでからしばらく経った頃の話である。

 は最初のうちはユーステスから「俺の彼女を預かって欲しい」と紹介を受けてグランサイファーに意気揚々と乗り込むも、実際は団長のグランとビィとルリア、カタリナ達だけではなく、ほかの仲間からも「あのユーステスと恋人として付き合ってるの? 本当に?」と疑わしい目で見られる事が多かった。
 それから「嘘吐いて、団長に取り込むつもりじゃないか」「団長さん、あんな女に騙されてはいけないよ」とか、「何であんな普通の女がユーステスと付き合えるの? 魔法も使えない普通の人間っていうのは嘘で、何か変な術でも使ってるんじゃない?」とか、「ユーステスならもっと良い女狙えるでしょ、何であの子なの?」と陰口を叩かれる始末だった。

 いくらユーステスの紹介でもがそういう疑いの目を向けられたり陰口を叩かれるのは、彼女が武器も魔法も扱えない「ただの普通の人間」であるせいだった。まだユーステスと同じ身体能力が高いエルーンや、力もあって見た目で魅了されるドラフ、俊敏さを得意とするハーヴィンであるならユーステスの彼女であると分かってくれただろうが、何の能力も無い貧相なヒューマン相手でそれを疑われて「ユーステスに相応しくない女だ」という陰口も当然だなと、本人でも思っていた事だったので、それも仕方ないと諦めていた。

 そんな中でユーステスとの関係に興味を持っていたイオが話しかけてくれて話しているうちにの味方になってくれて、がユーステスのために星晶獣の勉強をしていると打ち明ければ、イオがルリアを星晶獣の先生としてどうかと、彼女を紹介してくれたのである。
 はルリアなら自分でも星晶獣の勉強が続けられそうだと思い、ルリアに教師になってくれないかとイオと一緒にルリアに頼み込んだ。ルリアは最初は「わ、私がさんの先生ですか? はわわ、どうしましょう、でも、私が誰かの先生になれるなんて、こんな夢のような話、あるんですね! 私で良ければさんの先生、引き受けます!」と、困ったような、嬉しいような、複雑な表情を見せた。
 その後でイオとはルリアの次にカタリナに了解を取りにいけばカタリナは「ルリアを先生にしたい? 本当に?」と、最初はを驚いた風に見た後、次にの講師として「星晶獣に関してなら、さんに教えられると思います!」と、やる気を見せるルリアを見て「ルリアがの先生を出来そうなら、頼む」と、最後は笑ってそれを了解した次第である。

 そうしてはルリアを先生にして、星晶獣の勉強を始めた。

 それから、団でのの扱いが少しずつ変わり始めた。

 ユーステスの恋人を疑われていた件も、仕事から戻ってきたユーステス本人から「俺が選んだ相手だ、お前達にとやかく言われる筋合いはない」とを疑う人間達にそう言ってくれて、更には二人の仲を目の当たりにして「疑って悪かった」と謝ってくれたので、は本当にイオとユーステスの二人に感謝している。

 そんな中の出来事。

「どうしたものか……」
「困りましたね……」
「……」

「あの、ラカムさんから話があるって言われて来たんですけど……」

 夜。

 グランサイファーの会議室まで来るようにとラカムに言われてそこに顔を出せば、グランとビィとルリアだけではなく、カタリナ、イオ、ロゼッタ、ラカム、オイゲンまで、グランサイファーの中心人物ばかりが顔を揃えていたので、一応、新入りのはそこに自分が顔を出して良いのかどうか迷った。

「ああ、。来てくれて良かった。丁度、について話してたんだよ。こっち、来て」
「はい」

 にっこり。団長のグランは、いつものお人よしの笑みを浮かべて、を優しく招き入れる。もグランのそれに安心して、席についた。

「何ですか?」
「実は、数日の間、僕達でこの艇を出る事になってね」

 グランの説明によればある依頼を受け、それは、数日の間、とある島に滞在してとある問題を片づけて欲しいというものだった。
 この依頼はグラン達からすれば比較的単純なもので、攻略はそう難しくないと判断している。
 しかし、ただ一つ問題があった。それは。

 グランは言い難そうに、頭をかきながら、に言った。

「この依頼は、爆発物を扱うので、それの知識がある船長のラカムも必要なんだよ。ラカムが艇を出るとなれば、を艇に一人にさせられない。それにあわせてもしばらくの間、この艇を出てもらう事になるんだけど……」
「ああ。私も皆さんに同行するんですか? 別に構いませんよ」

 は最初、グラン達に同行するかと思っていた。

「それね。は僕達と違って武器も魔法も何も使えないだろう。それで君が同行するには危険な地域なんだよ。は僕達が留守にしている間、別の場所に滞在してもらえないかな、と」
「そうですか……。それのせいで私が別の場所に滞在するのは構いませんけど、場所決まってるんですか? 決まってないなら、大人しくユーステスの家に帰りますよ」

 は自分に能力が無いせいで彼らに同行できないのは納得しているし、それに関しては何の不満もない。ユーステスの家に送ってもらえるなら、家で大人しく待っている方がいいとも考えている。

 しかし。

「いや。ユーステスとは、を彼の仕事が終わる最後まで責任持って預かるという約束をかわしている。それを簡単に破る事はできない。それだから君がユーステスの家に帰る必要はないよ」
「え? 別にユーステスのそれ破っても問題ないと思いますよ。ユーステスも団長さん達の事情が分かれば納得してくれるでしょう。ああ、団長さんがユーステスにそれを言い難いというなら、私の方からユーステスに言っておきますけど」
「いやいや、ユーステスとそういう約束をしたからには、その約束を破るわけにはいかない。どんな事情があるにせよそれが簡単に破られてしまえば、この騎空団の信用を失う事になる」
「そういうものですか?」
「そういうものだよ」

 がふとグラン以外の面々を見れば、彼らもグランの意見に従うように、しっかりとうなずいている。

 もそういうものか、と、納得した。

「それで」
「それで?」
「それで、僕達が留守にしている間の君の預かり先、こちらで何件かあたってみたけどどこも断られてね。多分、どこも難色を示したのは君に何の能力も無いせいだと思うんだけど……」
「そうでしょうね。いくら団長さんの頼みでも、何の能力も無い女を預かるのは嫌だというのはとてもよく分かります」

 は、自分の能力が無いせいでグラン達が留守の間の預かり先に苦慮しているのは、理解して納得もしている。

「……、そしてその中で、を引き受けてもいいって、手をあげてくれた所があるんだ。もしがそこに行くのが嫌だというなら、また別の預かり先を探すしかなくなる。それで最終的に何処も決まらなければユーステスに連絡をして、に家に帰ってもらうようになるんだけど……」
「いえ、ユーステスに迷惑はかけられません。私を受け入れてもらえる場所があるというなら、何処でも構いませんよ。あ、でも、戦いがメインの場所は勘弁して欲しいですけど」

 グランはの要望を聞いて少し考えた後、言った。

「そこはの言う通りに戦いがメインではあるんだけど。でも、を預かってくれるのにここまで最適な場所はないと思える国だよ」
「ええ、戦いがメインの場所で私を預かってくれるのに最適な国があるんですか? 何処ですかそこ」

 は最初、そんな国があるのか、それがどこの国か、皆目見当がつかなかった。

 グランはニヤリと笑って、に答える。

 そこは。

「――そこはフェードラッヘ、騎士団最高峰と言われる白竜騎士団を保有する国家だ」



「よう、よく来たな! 俺が今回、を預かってもいいと手をあげた白竜騎士団副団長のヴェイン、そしてこっちが……」
「白竜騎士団団長、ランスロットだ。白竜騎士団へようこそ」

「は、初めまして、です」

 グラン達はフェードラッヘに降り立つと早速、をヴェインとランスロットの二人に引き渡し、グランは二人に圧倒されて緊張気味のを気にしつつ、仲間達とほかの島へと移動した。

 フェードラッヘは白竜騎士団の滞在期間は最長で四日間。
 
 いくら白竜騎士団が騎士道にのっとって紳士的だといっても、騎士相手が不慣れなではそれ以上は無理そうだと、グラン達が判断した日数である。ユーステスが仕事から艇に戻ってくるのは、その一日後、五日目と聞いていて、それまでには自分達の依頼も片付いているだろう。
 グラン達はその予定を立て、ヴェインにもそれを告げたうえで、を白竜騎士団に預けた次第である。

 ヴェインはさっそく、に何をやるべきかを説明する。

は此処で、俺が教育している訓練生――平均十五歳以下の子供達の世話をしてもらう。彼らは親元を離れて此処の寄宿舎で寮生活をしているが、にそいつらが訓練に出ている間、部屋の掃除や洗濯、料理といった、家事全般を任せたい。出来そうか?」
「それは戦うより、得意分野です。お任せください!」
「そうか、それは良かった。もしあいつらと何かあれば、遠慮せずに俺達に報告してくれ、いいな?」
「はい、分かりました!」
「はは、は話に聞いた通り、明るい奴だな! 少しは期待できるか」

「……」

 ヴェインはに笑うも、ランスロットはヴェインの思惑を知っているので笑えなかった。

 ヴェインはさっそく、に仕事を与える。

 がヴェインに案内された先、そこは宿舎の食堂だった。

 入り口付近には訓練生達が使うテーブルと椅子が並び、奥に調理場があるという、見た目は普通の食堂だったが、ある一点は普通ではなかった。

「さっそくだが、此処、あいつらが訓練から戻ってくるまで片付けてもらえるか」
「あの、一つ良いですか」
「何だ」
「これ全部、私一人でやるんですか?」

 は、食堂がトマトソースでめちゃくちゃに汚れているのを見て、呆気に取られる。

 十五歳以下の子供達が此処の寄宿舎で暮らしているというが、そこは、トマトソースが辺り一面にぶちまけられてあった。
 テーブルや椅子だけではなく、床にもトマトソース投げを繰り広げていたのかと思えるほどトマトソースで汚れていて、皿もフォークもコップも食べ終わったそのままで、調理台もトマトソースまみれで、果たしてこれが十五歳以下の子供の仕業か、二歳から五歳くらいの幼児の間違いではないか、と、目を覆いたくなるような惨状だった。

 ヴェインは言う。

「悪いが、初日の今日は一人の実力を見てみたいと思っている」
「私一人の、ですか」
「ああ。今回はこれを一人で片付けてくれるか。もし、この掃除が嫌になって諦めたいと思えば詰所に居る俺かランスロットに連絡をくれ。これのやり方次第で、お前の扱い方が決まるとも話しておく」
「もしかして、私用の試験ですかこれ」
「ああ。そう考えてくれても構わない」
「そうですか……」
、出来そうか? この試験を受ける前に無理なら無理と言ってくれた方が、俺達もを扱いやすいが……」
「いえ。私を此処に紹介してくれた団長さん達の顔に泥を塗るわけにはいかないですし、ユーステスにも迷惑はかけたくないですからね。やれるだけやってみますよ」
「……、そうか、まあ、せいぜい頑張れ」
「はい。せいぜい頑張ります」
「また後で見に来る。俺達が戻る頃には、あいつらも訓練から戻ってくるだろう。それまで任せた」
「はい、了解です!」

 は張り切って、トマトソースで汚れた食堂を攻略しにいった。


 寄宿舎でと別れた後、ランスロットは呆れた様子でヴェインに話した。

「ヴェイン、お前、この朝に限って訓練生の子達に『今日は思いきりこのトマトソースで遊んで構わない』と言ってあいつらにトマトの缶を手渡してわざと床や椅子を汚させていたが、あれ、後であいつらの魔法の訓練にするわけじゃなくて、を試すためだったのか」
「うむ。の力量を見るには、これが一番手っ取り早いからな」

 ニヤリと笑って、続ける。

は、何日持つかなー。は団長の顔に泥を塗りたくないだの、ユーステスに迷惑はかけたくないとか言って初日は張り切って乗り切れたとしても、次はどうなるかな。あいつらが汚したものは魔法が使えれば少しは楽に片づけられるが、魔法が使えないにしてみれば過酷な労働には違いないからな。それで予定日よりも前に団長に泣きつくとあれば、それまでの女だったとみなすしかない」
「……、ヴェインは最初からを試すつもりで此処に呼んだのかよ。そういうの、よくないと思うが」

 ランスロットは、ヴェインの悪どいやり方に頭痛がした。

 ヴェインはしかし、悪びれもせずにランスロットに話した。

「いやあ、ってさ、武器の一つも装備出来なければ魔法も何も扱えないんだろ? そんな何も出来ない女が何であの精鋭揃いのグランサイファーに乗り込んでるのか不思議だったんだ。聞けばは、あのユーステスの女だっていうじゃないか。あのユーステスに女が居たっていうのも驚いたし、何でユーステスがそんな何も出来ない女を自分の女にしたのか興味あったし、本当にがユーステスの女か、魔法が使えないというのは嘘で、実はロゼッタのように妙な術を使ってあいつをたぶらかしてるんじゃないかとか――そういう疑いは持ってたからな。ランちゃんも俺と同じじゃないか?」
「まあ、どうしてあのユーステスが何も出来ないを自分の彼女にしたのかは、俺も興味があるといえばあるな。そしてはロゼッタほどじゃないが、錬金術師のカリオストロみたいに妙な薬を使ってユーステスを操ってるんじゃないかという疑いは俺も持ってたよ」
「だろ。それに団長達もの扱いに困っていたみたいだから、それで団長達に恩を売れたらもしまた何かあった時に自分達を優先してくれるんじゃないか、そういう思惑はあるにはあった」
「……団長達はそんな事をしなくても、俺達に何かあればすぐに対応してくれると思うけどね」
「まあ、それは表向きな話だ。裏は違う」
「裏は何だ?」
「裏は、その何も出来ないを見て、あいつら――ひよこ班がどういう感情を持つか、興味あってな。普段はそういうのは魔法に長けた僧侶のソフィアが協力してくれていたが、ソフィアと違って何も出来ないをあいつらがどう扱うか――騎士道にのっとって彼女を紳士的に扱えるようなら合格点、それ以外は及第点といったところだ」
「……、何だ、意外と教育者やれてるじゃないか」
「うむ。俺も意外と考えてやってるんだ。まあ、がどこまであいつらと一緒に居られるかもポイントになるがね。そういうランちゃんは、があいつら相手にどこまで持つと見ている?」
「……そうだな。俺はヴェインの言うよう、ソフィアと同じように魔法が扱えればあいつらの相手はどうにでもなるがそれができないはよくて二日か、それ以上は無理そうだと見ている。そうなった時はは大人しく宿舎以外の宿屋にでも滞在してもらった方が良いだろうな」
「はは、俺よりランちゃんの方がに厳しいじゃないか」

 ヴェインは、自分よりもランスロットの方がに厳しいと分かって、遠慮せず笑った。



 その頃のは、拭いても拭いても迫りくるトマトソース相手に奮闘していた。よくここまで汚せたなと感心すると同時に、彼らの相手は思ったより大変そうだというのもこれで実感できた。

「ふぅ、二時間くらいやって半分もいってないか……。多分、魔法が扱えればこんなの、パパッと片づけられるんだろうけど。魔法が扱えない私じゃ無理だよね……」

 ふぅ。は何も出来ない自分に、半分泣きたい気分だった。
 もう半分は。

「でも、団長さん達が厳選して私を此処に紹介してくれたんだから、ヴェインさん達に認められるよう、やるしかないよね! これ頑張れたら、ユーステスに『よくやったな』って、頭撫でられるかもしれないし、ひひひ」

 はグランのためというよりは、ユーステスに褒められたい一心で頑張る決心をした。

「バケツにため込んだトマトソース、捨てるのに一個一個じゃ時間かかり過ぎるなぁ。二個持っていくか……」

 その束の間――。

「はうっ?!」


 夕方、夜が来る前。

 訓練生のアーサーとモルドレッドはヴェインにしごかれてシャワーを浴びた後、一番に寄宿舎に戻ってきていた。

 アーサーはシャワーで濡れた髪を拭きながら、肩をならす。

「はぁー、今回の訓練も厳しかったな」
「そうだな。ヴェイン班長、なんかいつも以上に張り切ってたけど、今日何かあったっけ?」

 アーサーに応じるのは、同じくシャワーを浴びて湯気が立っているモルドレッドだった。

 モルドレッドの指摘を受け、アーサーは思い出した事がある。それは。

「そういや朝の朝礼で、新しい手伝いのおばさんが来るとか話してなかった?」
「そうだった。オレもそれ聞いたけど、いつもの手伝いのおばさんは?」
「いつもの手伝いのおばさんは、久し振りに休みがもらえる、この休みを利用して旦那とアウギュステに遊びに行くとかって話してたよ」
「へえ。それならヴェイン班長が朝にトマト缶で遊んで良いって言ってたの、あとでオレ達の魔法の訓練に使うためじゃなくて、その新しい手伝いのおばさん試すためだったのかな?」
「多分、そうなんじゃないかな。手伝いのおばさんでもうちの騎士団のバイトを志願するほどだからな、水系か風系の魔法が上手く使えるかどうか試すには、その手が一番良いと思うよ」
「なるほど。確かに水系か風系の魔法が上手く使えるのを見るには、それが一番手っ取り早いか――うわあああっ」
 
 アーサーと話しながらモルドレッドが先に寄宿舎のドアを開けた途端、悲鳴が上がった。

「モルドレッド、どうした――うわあっ」

 アーサーはモルドレッドの悲鳴を聞いてこれはただ事ではないと感じて駆けつけるも、アーサーもモルドレッドと同じ目にあった。

 そして、彼らだけではなく、その他の訓練生も寄宿舎に戻るなり、二人と同じ目にあい、それから――。


 その時のヴェインは寄宿舎とは別の詰所にて、書類整理をしていた。

 そのヴェイン目当てに、ランスロットが飛び込んできた。

「おいヴェイン、訓練生の寄宿舎の方が騒がしいとほかの騎士達から数件の苦情を受けたが。どうなっている?」
「訓練生の寄宿舎の方が騒がしい? あ、そういや、あいつらにを紹介するの忘れてたわ。多分、寄宿舎にあいつらの見知らぬ女が居て騒がれたか……」
「全く。肝心な事を忘れてどうするんだ。それで、何も出来ないがあいつらに襲われるとか、悪戯で閉じ込められるとか、危ない目にあっていたらどうする。それこそ、団長達に顔向け出来んぞ」
「ふむ。あいつらにをどうにかしようなんて度胸は、まだ持ち合わせていないと思うがなあ。まあ、あれからがちゃんと掃除をしているかどうか見なければいけなかった。ランちゃん、一緒に行くか」
「ああ。万が一の時のために、俺も同行しよう」

 ランスロットは一応、の身を案じてヴェインに同行する決心を固めたのだった。


 確かに、寄宿舎の方から訓練生の騒がしい声が外まで聞こえていた。

 ヴェインはランスロットと顔を見合わせた後、参ったようにため息を吐いてから、寄宿舎のドアを勢いよく開ける。

「お前ら、何騒いで――ぶはっ!」
「ヴェイン、大丈夫か、て、何だ、朝のトマトソースか?」

 ヴェインの顔にぶつけられたのは、朝の残りのトマト缶のトマトソースだった。ヴェインにトマトソースをぶつけたのはとある訓練生で、彼はヴェインの顔を見て驚き、慌てて何処かへ逃げてしまった。

 ランスロットは逃げた生徒は捕まえず、辺りを見回して食堂だけではなくて廊下までトマトソースまみれを見て、うんざりする。

「何だこれ、食堂だけじゃなくて廊下までトマトソースでべったりだ。ああ、訓練生達が残りのトマト缶のトマトソースを投げ合って遊んでるせいか……って、何でそうなってるんだ」
「さてはの奴、此処の掃除が嫌になって逃げだしたか」
「まさか……」
「そうでなければ、残りのトマト缶のソースがあいつらのオモチャにされてないだろ。ったく、もう少し根性あるかと思ったが、外れクジ引かされたか」
「……」

 が使い物にならないと分かってうがあっと頭をかくヴェインと、果たしてグランがそこまで使えない女を寄越すだろうかと考えるランスロットと。


 が逃げたと思い込みそれで怒りが収まらないヴェインは、ドアを叩き、そして。

「お前ら、いい加減にしろ!」

 ヴェインが声を張り上げれば、トマト缶で遊んでいた訓練生達の行動がピタッと止まった。

 ヴェインは最初に目についた全身トマトソースまみれのアーサーを捕まえ、怒鳴る。

「アーサー、状況説明!」

「は、はい、俺達が風呂から寄宿舎に戻ってくれば辺り一面がトマトソースまみれでして……」
「え、お前らが来る前からこの辺、トマトソースまみれだったのか? 本当かそれ」
「ええと、その、あの」

「はい。一番最初の犠牲者、オレなんですよ」
「モルドレッド」

 ヴェインの鬼の形相に怯えて物が言えないアーサーの代わりに手をあげるのは、モルドレッドである。

 モルドレッドは冷静に、ヴェインに説明する。

「オレがドア開けた途端に『あるもの』を見たせいでそれに驚いてその拍子にトマトソースで転んでトマトソースまみれになってしまって、アーサーはそのオレをそこから助けようとしてくれたんですけどオレと同じようにトマトソースまみれになって、そのあとで次々と犠牲者が出まして。それでやってられるかって誰かが切れたように残りのトマト缶からトマトソースぶちまけて、それでこんな状態に……」

 そして――。

「これは全部、さんのせいで、オレ達は何も悪くありません! ヴェイン班長はオレ達に何か言いたい事があるならまずはさんと話してください、以上です!」

「何だって?」
「ちょっと待て、お前ら、知ってるのか?」

 モルドレッドがある方向を向いて「」と口にしたのを、ランスロットとヴェインは聞き逃さなかった。

 モルドレッドは腰に手をあて、ある方向を指さした。

「知ってるも何も。さん、ヴェイン班長の目の前に居るじゃないですか」
「え、目の前って何処に――」

「はいっ、此処です、私は此処に居ますよ~」
「うわあああっ」

 ふと。ヴェインは頭から足の先まで全身トマトソースをかぶったと目があって、思わず軽い悲鳴を上げてしまった。



 つまりは。

「……つまり、あともう少しで掃除完了というところで、バケツいっぱいにたまったトマトソースをつまずいて落としてしまってそのせいですべって転んで自分自身が全身トマトソースまみれになってどうしようかと思ってた時に運悪くアーサー達が戻ってきたと?」
「はい~。それで廊下までトマトソースまみれになってしまって、そこに運悪く戻ってきたアーサー君とモルドレッド君が現れて、最初に私のその姿見たモルドレッド君が私に驚いてそれの拍子に転んでそのトマトソースの犠牲になりまして、次にアーサー君が転んでトマトソースまみれになり、そのあとに次々と犠牲者が……。私はアーサー君達とその他の訓練生に必死で土下座してお詫びして、その後であまりのトマト缶を投げあうのをやめるようにも訴えたんですよぉ。でも彼らは私の聞く耳持たずで、トマト缶を持ち出してそれをぶつけあいするようになったんです。すみません、こうなったの、全部私のせいです、申し訳ないです、ううう……」
……」

 いったん、風呂へ行けというヴェインの指示を聞いて風呂から戻って綺麗になったは寄宿舎の一室で、ランスロットを相手に事情聴取を受ける事になった。

 因みにヴェインはまだトマトソースまみれのアーサー達と魔法で後片付けをしている最中である。

 ランスロットは魔法が使えずに自力で掃除をしていたというの現状を知って、彼女をまじまじと見詰める。

「……というかは本当に、魔法が全然扱えなかったのか?」
「はい。それ、何度も言ったじゃないですか。グランサイファーの団長さん達からも聞いてませんか」
「いや、団長達からその事情は聞いていたが、俺とヴェインはのそれは実際に目にするまで、半信半疑だった。それ以外では、錬金術師のカリオストロのよう、妙な薬を使ってたりとかは?」
「それも無いですよ! 私、此処の訓練生の子達のよう、学校というものにも通った経験が無いし、カリオストロみたいに妙な薬を扱えたりはしません!」
「そうか……」

 ランスロットはの力説を聞いて、彼女は本当に何も出来ないんだなと、改めてそれを実感した。

 ――それでどうしてあのユーステスと恋人として付き合えるんだ? ランスロットはのそれが一番不思議だったが、ここではそれは飲み込んだ。

 それというのも。

「あの、私、ヴェインさんにこれでこの夜にグランサイファーに戻れと言われるんですかね。あああ、せっかく此処を紹介してくれた団長さん達に迷惑かけちゃったよ、これでユーステスにも見放されたらどうしよう、ううう~」
、落ち着け。とりあえず、ヴェインはを悪いように扱わないと思うよ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。多分、ここまで面白い……じゃない、ここまで酷い話はヴェインも仕方ないと思ってくれるだろうからまだ改善の余地はある」
「そうだと良いんですけどね……。ああ、これ、団長さん達だけじゃなくてユーステスに知られたらダメージ大きい……、さすがに立ち直れない……」
「……」

 ランスロットは、グランだけではなく、ユーステスにこの一件が知られるのを異様に怯えるを見て、この状態で「ユーステスと本当に付き合ってるのか」と聞くのは野暮かと思った。

 ところで。

、居るか」
「ヴェインさん」

 ヴェインが部屋に顔を出した。

 ヴェインは言う。

「今しがた、全部の掃除が完了した」
「ええ、あれから一時間も経ってませんよ。本当ですか」
「あんなの、風系か水系の魔法が使えりゃ、簡単だ。見てみろ」
「!」

 ヴェインが案内した先、トマトソースでベタベタだった廊下はもちろん、食堂のテーブルや椅子もすっかり綺麗になっていた。

 は、掃除が終わりヴェインの指示で整列している訓練生達を見る。

「ふおお、魔法の効果ってこんなに凄かったんですね! 此処の掃除、全部この子達が?」
「うむ。あいつらは紛れもなくうちの騎士の訓練生だ、武器だけではなく、当然、魔法も扱えるように訓練している。今回、その成果を発揮できたわけだ」
「そうだったんですか。それで魔法使えるの良いなあ、羨ましいです」

「……」

 に本当に羨ましそうな目で見られてアーサー達は、悪い気しなかった。

「掃除は完了だ。お前らはもういい、風呂で体洗ってこい。はランスロットの居る部屋に戻れ。そこでお前の試験結果言うから、覚悟しとけ」
「は、はい」

 うわあ、此処で試験結果発表か。これでは、一日足らずで終わりか。は肩を落とした状態で、ランスロットが待っている別室へと移動した。

 その中で。

「……」

 ヴェインは、未だにトマトソースまみれで汚いままのアーサー達が動かないのを見て、呆れる。

「お前ら、どうした。風呂行くのが面倒でそのままで居るつもりか。身だしなみも騎士のたしなみの一つだぞ」
「あの、ヴェイン班長、一つ良いですか」
「はい。アーサー、何だ」

 ヴェインの指示を聞いても動かない訓練生達で、彼らを代表するよう、アーサーがおずおずと手をあげた。

 アーサーは、少し緊張した面持ちでヴェインに聞いた。

さんの今後、どうなるんですか? これ、さん用の試験だったって、さんから聞いたんですけど、それの結果、後で俺達でも聞く事できますか」
「……、どうしてお前達がの今後とその試験結果を気にする?」
さん、俺達に悪かったってきちんと謝ってくれたし、俺達がトマトソースで遊んでる中でちゃんと怒ってたし、自分も俺達にトマトソース投げられてもそこから逃げなかったし……、多分、さんは何も出来なくても良い人だなって思ったので、これの結果のせいで一日で終わるのはもったいないかな、と」
「それ、アーサーだけの意見か?」
「いえ。此処の皆の総意です」

 アーサーが振り返れば、モルドレッドだけではなく、その他の訓練生達もしっかりとうなずいている。

「そうか……」

 ヴェインは目を閉じて、何か考える。

 訓練生達は息をのんで、ヴェインを見守る。

 そして、それから――。