――現在、姫子の星穹列車にて。
は、お酒が入ったグラスを傾けながら、丹恒と二人で城の裏庭に群生していた紫陽花を見た風景は今でも思い出せるし、彼に二枚の栞を渡したそれは、心の記憶に残っている出来事の一つだった。
「……、確かに、ヘルタと姫子の二人を女扱いすれば激怒されて宇宙に放り出されて終わるわ。あの時の私、消え去れ!」
うわー。は、丹恒の相手がヘルタか姫子のどちらかであると勘違いして、それが酷い勘違いだったとその事実を知った時は、穴があったら入ってそこにずっと閉じこもっていたい気分だった。
それだけではなく。
「おまけに、あの時、丹恒に渡したもう一枚の白い栞が自分の手元にあるとは、夢にも思わないでしょ」
はは。はあの時、確かに、丹恒には自分以外の良い相手が居ると思って、丹恒の帰りを待っている彼女への贈り物に最適だと真っ白な栞を手渡したに過ぎなかったが、現在、自分の手元にあるその栞を見て笑うしかない。
と。
「お、それ、紫陽花の押し花の栞かい?」
ヴェルトは目ざとく、が持っている栞に興味を示した。
はヴェルトに手持ちの栞を見せながら、言った。
「さすがヴェルトさん、紫陽花、知ってるんですか」
「それくらい、知ってるさ。ああ、雨の時期にしか見られない綺麗な花って、その紫陽花の話だったのかな?」
「はい。私が話してたのは、この紫陽花の話です。自然界の紫陽花は、雨上がりに見るのが、一番綺麗なんですよ」
「そういえば、君の故郷の国の花、紫陽花だったよね。君の国では、紫陽花ばかり目についた気がする――ああ、ごめん、余計な事だったかな」
ヴェルトは、が此処まで来た理由を知っている人間の一人である。彼はその結末も、知っている。
「……いえ。私の故郷の花、紫陽花で間違いないです。私のクロム国では、城の裏庭や大通りにも、紫陽花通りと呼ばれる通りがあったんです」
丹恒に見せた紫陽花は中央国家、ディアンの城の話であるが、実は紫陽花は、のクロム国の原産だった。
今は無い、それを懐かしく思うのは、罪か。
カラン。ヴェルトは、がグラスを傾けた氷の音とともに、気が付く。
「まさかその栞作ったの……」
「そのまさか、丹恒ですよ。この栞、国王陛下の判断で星核が丹恒の手に渡るのを決断した後、別れ際、私にくれたんです」
それは、彼女の世界が終わる少し前の話。
国王がいよいよ反レギオン軍に対応しきれなくなって、丹恒に星核を渡すので全て終わらせて欲しいとそれを決断したその日の事だった。
『多分、明日、予定通りに国王から星核がもらえれば俺は、全部を片付けて、この星を出る。そうなればもう、と会えなくなるし、側は俺や反レギオンについての記憶も消されるだろう』
『そう。それは、残念ね。でもお互い、これで良かったと思うわ……』
その時は、確かに、お互い、これで良かったと思った。
これ以上にない、後腐れの無い別れ方だ。
そう思っていたら。
『、お前にこれを』
『!』
丹恒がに差し出したのは、自分が彼に渡したはずの真っ白な栞だった。
『あれ、これ、前に私があげた栞じゃないの。しかも、私と同じ紫陽花の押し花張り付けてある……。どうしたの、これ』
『お前の紫陽花の栞を参考に、自分で作った』
『へえ、凄いじゃない。あ、これ、これで最後だから街で待ってる女の子に自分の代わりに渡して欲しいとか? 了解、了解、どの子か分かれば城の兵士に頼んで――』
『――お前と一緒に城の裏手にある紫陽花を見た後、国王に聞いたんだが』
丹恒はの腕を掴み、彼女の話を遮って逃げられないよう、いつもとは違う強い調子で割り込んだ。
はいつにない迫力の丹恒に息を飲みながらも彼から逃れられず、それをたずねる。
『……国王陛下から何を聞いたの?』
『この城の裏手にある紫陽花、クロム国が原産なんだってな。お前がディアンに嫁いできた時、クロム国から友好の証で贈られてきたと、国王に聞いた。本当か?』
『……そう、それは間違いないわ。私が此処に来た時、友好の証としてあの紫陽花、植えたの。私の国では紫陽花は定番で、私の城以外にも、商店街や広場に紫陽花通りと呼ばれる所がいくつかあったんだよ。それ、あなたにも見せたかった』
『そうか。それだけじゃなくて、紫陽花は、の好きな花とも聞いた。栞に採用した花びらの色も、お前の好きなものを選んだ。これで分かる通りにその栞は、、お前にあてたものだ。受け取ってくれ』
『で、でも、私、国王陛下の二番目の妻って、分かってる?』
『今更だ。反対に聞くが、、お前、俺のお前に対する気持ち知ってて、今まではぐらかしてただろ』
『そ、そんな事は……』
『まあ、もう別れるだけだからな。それくらい、受け取ってくれよ』
『……』
『』
『ありがとう……』
は根負けして、丹恒から栞を受け取ったのだった。
そして。
『あれ、裏にも黒で何かあるけど何これ? 黒色使ってるのは、宇宙に関する絵でも描いたの?』
栞には紫陽花の押し花だけかと思えば、裏に黒色で何か書いてあった。は最初、それは宇宙に関する絵かと思った。
『……、裏にあるのは宇宙に関する絵ではなくて俺の母国語の言葉で、それを文字で書いたものだ。文字だから黒使ったってだけ』
『へえ、あなたの母国語の言葉の字、独特ね。そういえば時々、あなたから聞き慣れない発音の言葉で話してたのを聞いた事があったけど、それを文字にするとこういう形になるんだ。で、この栞の裏の文字三つあるから、三つの言葉に関するもの? なんて意味?』
『知らん。意味は、自分で考えてくれ』
『何それ。あなたの国の言葉なんて、この世界では誰も知らないんだから、あなたが去った後にどうやって訳せるのよ! 今すぐ教えなさいよ!』
は出会った頃と変わらず、丹恒に向かってうるさくわめく。丹恒はそれがおかしくて、もう一度彼女の腕を掴み、そして。
『――っていう、意味』
『う、え、え、それ、本当? 私があなたの国の言葉知らないからって、からかってる? そうでしょ、そうに違いない――』
『――冗談で書けるか、こんなの。に城の人間に隠れてそれを伝えるには、この世界では誰も理解出来ない、俺の国の言葉が丁度良いと思ったからそれ採用したって言えば、分かってくれるか』
『……ッ』
限界だった。
『う、うう~』
ぼろぼろ、あふれる。
『お、おい、今になって泣くなよ』
『だって、最後の最後でこんな事されたら、泣くって、泣くしかないでしょ』
そしては勢いで、丹恒にしがみつく。
『そ、それに、あなたにここまでされたら離れたくない、別れたくないって思った、どうしてくれるの!』
『……ああもう、これだから、お前から目が離せなかったんだ。俺もと同じで、お前と別れたくないと思ってる』
その後には丹恒の別れが現実にあると分かった途端に彼を前にして手放したくない欲が勝って泣きながら彼にしがみつき、丹恒はそのに参ったように彼女に応えるよう強く抱き締める。
それも今となっては、昔の話だ。
は紫陽花の栞でその時の様子を思い出しながら、ヴェルトに向けて笑う。
「いやー、まさかあの後、私の家族のせいであんな事になるとは誰が思います? でもそのおかげで、私は此処に立ってるんですよね。これに関しては、丹恒に感謝しないといけません。だけどあの時泣いたぶん、ヘルタ・ステーションで再会した時の気まずさったらなかったですよ、ははは」
「……、いやはや、君は強いな、本当に」
の事情を知るヴェルトはそれに関しては笑えなかったし、それの原因が彼女の家族であるという事実を知ってるがそれを非難する事はなかったのである。姫子も同じだった。
はあの星から逃げるようにこの宇宙に来てから丹恒だけではなく、ヴェルトや姫子に随分と世話になったという自覚はあるしその恩も感じている。
「姫子や、開拓者ほどじゃないですよ。丹恒からもらったこの紫陽花の栞は、私にとって大事なものに変わりありません」
「そうか。しかし、その栞の裏にある文字、この宇宙の共通言語ではなくて、丹恒の国で使われてる文字じゃなかったかな。うわ、別れ際に君にそれ渡したというのであれば、丹恒もやるねえ、そりゃ君も此処までついてくるはずだ」
「!」
は、栞の裏にある文字を読んだヴェルトの反応にひっくり返りそうになった。
「ヴェ、ヴェルトさん、丹恒の国の文字、読めるんですか?」
「さあ?」
「……!(ぎゃー、絶対、読めてる!)」
ははは。にさわやかな笑みを浮かべてはぐらかすヴェルトと、それの確信を持って顔を真っ赤にしてその栞をヴェルトから隠すと。
と。
「あ、えと、丹恒から待望のメッセージきました!」
「お。なんて?」
はヴェルトと話してる途中、待望のメッセージが届いてそれを確認する。
「開拓者と三月と共に無事に任務完了、数日後には姫子の列車に戻れると思う、ですって。了解、っと」
「はは、丹恒らしい簡潔なメッセージだな」
ヴェルトもに届いたメッセージを確認し、丹恒らしい簡潔なやり取りに苦笑する。
「で、肝心の君が要望していた紫陽花の写真は?」
「それもちゃんと、画像で添えられてました。私の希望通りの雨上がりの紫陽花! 見てください」
「おおー。雨上がりの紫陽花畑か。おまけに虹まで。これは確かに、感動的だ」
ヴェルトはから雨上がりで水滴がついてキラキラ輝く紫陽花畑、更には虹も写る画像を見せられ、感嘆の声を上げる。
と。
「あれ、まだ何枚か画像が届いてるみたいだよ。開けないのか?」
「え、あ、本当ですね。でもこれ以外の画像は、予定にはないんですけど、開いてもいいものですかね? 私、メールに添えられる画像でもステーションで以前に余計な事をしてヘルタに怒られた事があったんですけど……」
は以前、ヘルタ・ステーションに届いたメールに添えられてあった画像をなんの気もなしに開いて、それが実はウィルスで、その影響でステーションの一部のサーバーをダウンさせ、ヘルタに凄い怒られたという失敗談があった。
ヴェルトものその失敗を知っていたので、彼女を安心させるように言った。
「アドレスを見ればステーションのものだから多分、開いていいものだと思うよ。いざとなれば、僕がついてるからさ」
「そうですよね。丹恒じゃないですけどヴェルトさんがついてれば、安心です」
ヴェルトで一枚だけかと思えばまだ何枚か画像が届いているのが分かり、は最初は何かのウィルスではないかと疑い心配になるもヴェルトにそう言われ、恐る恐るそれを開いた。
それを見たとヴェルトは、同時に噴き出した。
「あらら。丹恒が雨上がり待ってる間、開拓者や『なのか』に悪戯されてるわ」
「ははは、開拓者と『なのか』らしいね。多分、開拓者が仕掛け人で、『なのか』がそれに乗っかった形じゃないかな」
写真には丹恒のほか、開拓者と三月なのかが映り込み、二人は紫陽花の雨を待っている間に身動き一つしない丹恒に草を投げたり、ほかの花を頭に飾ったり、雨水をかけたり、色々悪戯を仕掛けて、それを写真に納めていた。
おまけに。
「わあ、テーブルにいっぱいのクッキーとケーキ!」
「こっちは開拓者じゃなくて、『なのか』の仕業かな? あの子、愛嬌だけで生きてるからさ……」
はは。ヴェルトは、待ってる間にテーブルにいっぱい並べられたクッキーやケーキが並べられて開拓者と『なのか』の二人が美味しそうにそれらを頬張る姿を見て、これは開拓者ではなく、何処に行っても誰からも好かれてよく物をもらっている『なのか』の仕業であると判断したのだった。
は画像の合間に時々届く丹恒からのメッセージを確認、それをヴェルトにも教える。
「丹恒によれば遠征先、任務でお世話になった屋敷の主人から、雨が上がるのを待ってる間にどうかって、クッキーやケーキのお菓子もらったそうです。椅子やテーブルは、開拓者と『なのか』が用意してくれたとか。良いなあ。私もよくお城でお茶会やったっけ……」
はテーブルに並べられた美味しそうなクッキーとケーキを見て、ごくりと息を飲む。
「え、ええと、ほら、まだそれ以外の画像、たくさん届いてるよ。次々見ていかないと、置いてかれるよ!」
ヴェルトはが大食漢であるのを知ってるので、その彼女に気遣うよう、それ以外の画像を見るように促す、が。
「で、でも、さっきより画像の枚数多いです。わわ、知らない間に百枚くらい届いてる!」
あわわ。は、正体不明の画像が知らない間に百枚以上届いているのを知って震え、涙目になってヴェルトにすがる。
「あ、あの、本当に大丈夫ですかね、これ。私がこの大量の画像開けたせいで、この列車の運行に影響したりとかは……」
「大丈夫、大丈夫。その時は、俺も一緒に怒られるから」
「ヴェルトさん……」
は、ヴェルトは本当に凄い人で丹恒も彼を気に入るはずだと思った。
「それじゃさっそく、大量の画像開けます。いざ!」
はヴェルトを信じて、大量の画像を開いた――ところ、で。
「わあ、凄い、凄い!」
「確かに、見事なものだ」
の端末には、その屋敷の周辺が花の庭園になっていて、紫陽花以外、雨上がりの色々な花の画像が次々と送られてきて、の目を楽しませる。ヴェルトもそれらの画像に魅入っている。
「次々送られてくる紫陽花以外の花の大量画像は丹恒じゃなくて、開拓者と『なのか』の仕業かな?」
「そうみたいですね。後で、開拓者と『なのか』にお礼言っておこう~」
「君、いつの間にか開拓者と『なのか』の二人と仲良くなってたのか。それは何より」
ヴェルトは、いつの間にか孤独だったが開拓者と『なのか』の二人と通じているのを知って、素直に嬉しく思った。
それから。
「さて、俺は色々面白いものが見られたから、そろそろ持ち場に戻るよ。君もお酒はほどほどに――」
ヴェルトはもう彼女を心配する必要はないかと、から離れようと思ったがそれを引き止めたのは。
「またメッセージ、……えへへ」
「なんだ、にやけて。丹恒は君に何を――ごふっ」
その後も丹恒から何度かメッセージが届いて最後に届いたものにニヤけると、それを見て興味本位で覗いたもののその内容に顔を真っ赤にしてのけぞりダメージを受けたように座席に倒れるヴェルトと。
は、丹恒からのメッセージを読んだだけで顔を赤らめ、座席に倒れこんだヴェルトを心配する。
「ヴェルトさん、大丈夫ですか」
「大丈夫、大丈夫。いや、丹恒がさっきと違って俺達の共通語の文字でそんな直球なメッセージを君に送るとは思わなかったから、つい。丹恒、いつも君あてにそれ送ってきてるのかい?」
「はい。丹恒は、旅に出て仕事が終わるといつも、私を安心させるため、この短いメッセージくれます。
丹恒は以前、照れがあったのか、この栞と同じように自分の母国語の言葉でこのメッセージ私に送ってたんですけど、この宇宙にいる限りはそれじゃなくて共通語にしてくれって私の方から強く要求すれば、その通りに送ってくれるようになったんですよ~」
にへへ。それでにやけるの話を聞いて、ヴェルトは。
「そういうわけか……。君達、意外と上手くやってるんだね、羨ましいもんだよ、本当。この時ばかりは、酒が飲みたい気分になってきたよ、ははは……」
ヴェルトはが丹恒と意外と上手くやってるのだと分かって、それはとても眩しく、紫陽花以上に美しいものに見えたのだった――。
余談。
とある星、とある屋敷にて。
その日は、期待通りの雨が降っていた。
「……」
「丹恒、何やってんの? ホテルに帰らないの?」
「疲れた~。早く休も~」
開拓者と『なのか』は一通りの開拓任務が終わり、ホテルに戻って一休み――しようとしたところで、動きのない丹恒を心配して声をかけた。
ところで。
丹恒は屋敷を出てすぐ目の前に広がる紫陽花畑を指さし、開拓者に向けて言った。
場所は任務の途中で知り合った貴婦人の屋敷の一角にある庭園で、そこは、色々な花が植えられてある花畑が広がっている。
「これから、この庭園にある紫陽花撮るのに、此処で休憩する。この屋敷の主には許可もらってある、お前らは先に帰れ」
「え、何で、雨の中、此処の紫陽花撮るの?」
「確かに雨の紫陽花は奇麗だけど、雨だから寒いよー。早く帰ろう」
開拓者は最初、丹恒が何を言ってるのか分からなかった。なのかも同じである。
丹恒はため息を一つ吐いて、開拓者と『なのか』にそのわけを話した。
「ステーションに残ってるに頼まれたんだ。今は紫陽花が綺麗に咲く雨の時期だから、もし、仕事終わりにシャッターチャンスがあれば撮ってきて欲しいって」
「へえ。、紫陽花好きなの?」
「ああ。紫陽花は、彼女が好きな花の一つだ」
「そうでも、雨の中、それ撮るような話?」
「そうだな。雨の中じゃなくて、雨上がりの紫陽花狙ってるんだ。雨上がりの紫陽花を撮るため、雨が止むまで此処で待つ」
「えー、雨が止むまで此処で待ってるの? なの、この地区の天気予報はなんて?」
「天気予報見れば、この地区の雨、あと、二時間くらいかかるってあるよ!」
丹恒の話を聞いて開拓者はのけぞり、なのかは自分の端末で天気予報を確認してそれを訴えるが。
丹恒は落ち着いた様子で、開拓者と『なのか』に向けて言った。
「に頼まれたぶん俺は、その任務をやり遂げる必要がある」
「いやいや。嘘でしょ、いくらのためとはいえ、そこまでする必要ある?」
「そうだよー。雨が止むまで待ってられなかったって正直に言えば、もそれくらいで怒るような話じゃないと思うよ」
開拓者と『なのか』は最初、のためとはいえ、雨が止むまで待っている丹恒が信じられなかったけれど。
「これを……」
「!」
「わあ、虹と雨粒でキラキラ光る紫陽花、めっちゃ綺麗じゃん!」
丹恒は自分の携帯端末に保存してあった紫陽花の画像を開拓者と『なのか』に見せ、途端、二人の目の色が変わった。
開拓者は中でも、その画像の中で紫陽花に囲まれるように中央に立っている女性らしき影に注目する。
「ねえ丹恒、この紫陽花の間に立ってる女性、ぼやっとぼけてるけど、背格好でだよね? それじゃ、この自然界の風景のもとは……」
「……ああ。この自然界の風景は、の故郷の国で撮ったものだ。の国では、紫陽花が綺麗だったんだ。のものは今はもう、これしか残ってない」
「……そう、これがの故郷での唯一の証拠であり、原点なんだ。綺麗な場所だね」
開拓者は丹恒の話を信じるよう、うなずく。
丹恒はをステーションに残した後、ヘルタと姫子にで唯一残った画像を残せるかと直談判しに行った事があった。
ヘルタは興味無さそうに「お前が此処まで連れて来た時点で消されるわけないだろ、好きに保存しとけ」と言って、姫子は笑いながら「このステーションに来ればのものは自動的にぼやけるように細工されるから、保存しても問題ないわよ、好きにしなさい」と言われ、そのまま保存する事が出来たのだった。
が立っている所は普通であればぼやけて何か分からないものだったが、さすが開拓者、それがのものであると見抜いてしまった。
丹恒は開拓者にそれがであると否定せず、続ける。
「俺は、ステーションに残ってるがこれくらいで喜ぶなら、二時間くらい待つのは平気だ。お前らは、ホテルに帰って休め。これは、俺だけの任務だからな」
丹恒は最初、開拓者と『なのか』の二人は雨の中、二時間も待ってられないだろうと思い、彼女達を気遣うように話した。
そして。
「分かった、ホテルに戻ろう」
「え、良いの? ウチ達も丹恒にあわせて残った方が良いんじゃ……」
それを決断したのは開拓者で、開拓者の思ってなかった決断に『なのか』は戸惑う。
「『なの』が残りたいなら、残っていいよ。私は、先に戻ってる」
「待ってよ。ウチ、丹恒より、開拓者と一緒の方がいいんだから!」
『なのか』は一人で待つ丹恒を気にしつつも、慌ててホテルに戻るという開拓者についていく。
「意外だったな。三月はともかく、開拓者なら、自分も待つと言いそうだったが」
丹恒は開拓者と『なのか』が立ち去って、素直にそう思った。
「……、まあ、あいつら居ない方が落ち着いて待てるか」
丹恒は溜息を吐いた後、のため、雨の中、その場にジッと立ち続ける。
二十分後。
ガタン、と、物音がした。
振り返ればそこにいたのは――。
「立って二時間も待ってられないから、そこの屋敷から椅子とテーブル借りてきた」
「雨しのぐのにタープもあった方が良いって提案したの、ウチだからね!」
開拓者は折り畳みのテーブルと椅子を抱え、『なのか』は大きなタープを抱えて現れたのである。
「お前ら、ホテルに戻ってたんじゃあ……」
「なんだ、私をそんな薄情者だって思ってたの。丹恒にこれ言えば自分は椅子も何も必要無いってつっぱねられるから、黙って借りに行ったんだよね。私は、これがのためなら二時間くらい、待ってられるよ、ねえ?」
「うん。ウチも後で開拓者からその話聞いて、確かに丹恒は椅子とか必要無いってつっぱねそうだと思ったから、開拓者の案に乗ったんだ。ウチでものためなら二時間くらい、待ってられるよー」
にひひ。開拓者と『なのか』はそれぞれ、折り畳みの椅子とテーブル、タープを設置しながら驚く丹恒をよそに、此処まで戻ってきた理由を話した。
ところ、で。
「おい、その茶と菓子はどっから持ってきた」
「あ、これ。雨上がりを待つなら持っていきなさいって、そこの庭師のおばさんにもらっちゃったー。ちょうど、三時のお茶会の時間だったの狙ってもう一回屋敷に入ってみれば、狙い通り、お茶会のお菓子もらえて良かったよ」
「此処のお屋敷のお菓子、美味しかったもんねー。任務終わってもう食べられないと思ったけど、丹恒のおかげでもう一度食べられて、ラッキー」
テーブルの上に紅茶が入ったポット、クッキー、ケーキとお菓子とお茶が並べられてるのを見てそれを自慢そうに言うのは、開拓者と『なのか』である。
丹恒は開拓者と『なのか』が再び現れたのはのためというよりは、屋敷で提供されていたお菓子のためと知って呆れる。
「お前らが此処に戻ってきた目当て、それかい……」
「いいじゃん、別にこれ目当てでも。あ、ここの庭師のおばさんから、あなた達、よくほかの派手な花より今が見頃の紫陽花に目をつけたわねって、褒められちゃった。おかげで、お菓子もどっさりもらえたんだよ。これは、最初に紫陽花に目をつけてたに感謝しなくちゃね」
「うん。それ、ウチらじゃなくてステーションに残ってる丹恒の彼女のっていう子に教わったって庭師のおばさんにちゃんと伝えたら、お菓子以外、これ、のお土産にどうかって。はい」
「!」
嬉しそうに庭師のおばさんに褒められた話を報告する開拓者の横で、『なのか』も嬉しそうにその庭師のおばさんから受け取ったという品を丹恒に手渡した。
丹恒の手に渡ったもの、それは。
「紫陽花の押し花で出来た栞……」
「何? それ、の趣味じゃなかった? も丹恒と同じ読書家だっていうから、それにしたんだけど。違うなら、別の花の栞か、バッグとかブローチとか、ほかの花のグッズもあるって話してたから、別のにしようか?」
「いや、これでいい。紫陽花の栞は、読書家のも喜ぶだろう。後で庭師のおばさんにお礼、言っておく」
「そう、それは良かった。あ、それからその庭師のおばさんの話だとこの雨、二時間じゃなくて、あと、一時間くらいで止みそうだって」
「え、本当に? でも、これではあと二時間くらいだと……」
丹恒は慌てて手持ちの端末でこの地域の天気予報を確認すれば、確かに、雨が止むのはあと一時間以上とあった。
「あー。それより、現地の、しかも、庭師のおばさんの方が信用できるんじゃない? ねえ?」
「そうだね。『なの』の言う通りで、それより現地の庭師やってるおばさんの証言の方が、信用できるよ」
『なのか』は、もらったクッキーをつまんでいる開拓者に同意を求め、開拓者も『なのか』に同意するようにうなずいている。
そして。
「それより、丹恒のぶんの椅子も持ってきたから、待つなら、座って待ったらどうかな」
「丹恒のぶんのお菓子もあるよー。待ってるのに全部用意した、ウチらに感謝してよね!」
「はいはい、感謝、感謝だな」
丹恒はお菓子目当てで戻って来た開拓者と『なのか』の仕業に呆れつつも、結局はに繋がるならそれもいいかと思って、彼女達の誘いに応じたのだった。
それから。
待ってる間、開拓者と『なのか』の二人に退屈だからと言って草を投げつけられたり、花を頭につけられたり、雨水をかけられたり、酷い目にあったが、それも庭師のおばさんの言う通りに一時間後に雲の隙間から陽が差してきたのを見て、それらは全て水に流れていった。
「ほら、庭師のおばさんの言う通りにすぐ晴れたじゃん!」
「そこまで待つ必要なくて、良かったねー」
「……本当だな。というかこれ、不良品じゃないか。後でアスターに苦情出しておくか」
庭師のおばさんの話を信じて良かったと自慢するのは『なのか』で、開拓者も眩しそうに雲の隙間から見える太陽を見詰め、丹恒は自分の端末を見詰めてあの時と同じだと笑いたくなった。
「でも本当、紫陽花に雨粒キラキラで、綺麗! おまけに虹まで出てる! 自然界の雨上がりの風景がここまでとは思わなかった!」
「凄い、凄い。本当にの言う通りじゃん! これなら、雨が止むまで待ったかいがあったってもんだよ」
わー。開拓者は自然界の雨上がりと虹を見て感動し、なのかは雨で出来た水たまりを足で蹴って遊び、それぞれ、はしゃぐ。
そのそばで丹恒は、目的の紫陽花に向けて携帯端末を構えて、そして。
「やっとに紫陽花の写真、送れる。何枚か撮って、一番いいやつをに送る」
パシャパシャパシャ。丹恒はのために端末を構え、色々な角度で紫陽花を撮るのに夢中になる。
その様子を見ていた開拓者は、羨ましく思った。
「丹恒だけ、に何かしてあげられていいなー」
「ねえ、開拓者。此処の庭園、紫陽花以外にもいっぱい綺麗な花あるんだから、それ撮ってに送れば、喜ぶんじゃないかな?」
「なの、ナイス! 紫陽花以外の別の花の写真いっぱい撮って、に送ろう!」
「ウチもそれ、手伝うよ!」
バシャバシャバシャ。開拓者と『なのか』の二人はそれぞれ庭園の花畑を駆け回り、紫陽花以外の花を何十枚か撮ってそれをあてに送信したのだった。
開拓者と『なのか』がのために花の写真を撮るシャッター音が、紫陽花を撮る丹恒のもとまで聞こえてくる。
「全く。あいつらが戻って来てから一気に騒がしくなったな。でも、あいつらの撮った花の画像がに届いたら、はどんな顔をして見るか……」
その時のの反応を知るのが今から楽しみだと思ったと同時に――。
「……此処にが立っていたら、あの時と同じよう、画になって、撮ってたな。おまけに今回は一枚だけじゃなくて、をモデルに何十枚も撮ってたかもしれない」
丹恒は此処にが立っていれば、紫陽花通りの時と同じよう、彼女をモデルに何十枚も撮っていたかもしれないと思って苦笑する。
それから丹恒はもう一度、が城の裏手にある紫陽花通りの中で映る風景の画像を見詰め、そして。
「でも、あの時だからこそ、この一枚の価値が跳ね上がるか……。に送る紫陽花の画像、これがあの時のものに近いな、これにするか。送信、と」
あの時、虹を背にして無邪気に紫陽花の中に立つ彼女を見て、咄嗟にカメラを構えたのは間違いなかったと、その自信を持つ。
そして色々撮った紫陽花の中から渾身の一枚を厳選して、に送信する。
それから。
「あと、紫陽花の画像送ったら忘れずにいつもの言葉、に送っておかないと、後でうるさいからな。最初は城の人間に隠れるように俺の母国語でやり取りしてたが、今はもうそれの必要無くなったんだよな。……」
雨が降るたびあの情景を思い出すのは、罪のうちか――。
「……よし、に関する任務完了」
丹恒は紫陽花の画像を送った後にいつもの言葉をに送信して、彼女に関する任務完了して、一息ついた。
ところ、で。
「あいつら、いつまでの花の写真撮ってるんだ。、ヘルタ・ステーションで画像開いた時に失敗してヘルタに怒られた件があったせいで、それで画像開くの慎重になってるから、あいつらで俺の紫陽花の画像まで怖くて開けられなかったと言われたら、どうする」
丹恒はヴェルトと同じく、列車やステーション内で機械に弱いの数々の失敗を知っているのでそれの影響で自分の厳選した紫陽花の一枚すら見てくれなかったらどうするのかと慌てて、まだに向けて花の写真を撮り続けている開拓者と『なのか』のもとへ、水たまりが跳ねるのも気にせず、駆けていく。
そんな、雨の日の一日。