03:紫陽花通りの雨(02)

 と。

『あの。席に座ったらどうです? 王妃様がああなったら、護衛のあなたの出番、ないと思いますけど』

『あ、ああ、そうだな。そうさせてもらう』

 丹恒に遠慮がちに声をかけてきたのは、外で遭遇した大男の店長だった。

 丹恒は護衛らしく壁にもたれて不審者探しをしていたが、この集会ではその必要はなかったようだ。

 店長は丹恒が席に座ったのを見て、彼の前にと同じステーキのセットと酒を持ってきた。ステーキはもちろん一枚だけで、野菜やライスも一人前である。

『どうぞ。当店自慢のステーキと、クロム国産のお酒のセットです』

『どうも。……この酒がクロム国産、という事は、アンタは此処のディアン国の人間ではなく、のクロム国の人間か?』

『はい。この国では王妃様の支持者は、大半がクロム国出身です。此処に集まってる支持者の人間も、半分以上、クロム国ですね。それ以外、ディアン出身の支持者も連れがクロムだったり、仕事先がクロムだったりと、クロムと関わりがある人間ばかりですよ』

『なるほど、道理で』

 丹恒は店長の情報で、この場に集うのはの真の支持者達であると理解したのだった。

 それから丹恒は、いまだに飲んで食べ続けている、そして、彼女に勝負を挑むもあっさりと負けて倒れる男達を見ながら、店長に聞いた。

のあれも、いつもの事か?』

『はい。王妃様のお酒や食べ物に対する情熱は、支持者の間で知られています。相手の男達は彼女に勝負に挑んであっさり負けてるんですが、それでも悔いはない、おまけに彼女におごったぶんほかの支持者に大きい顔ができると、この集会での人気イベントになってます』

『そうか……。そういやあいつ、最初に出会った時も肉まんセット抱えてたな。あれ本当に一人で食べる気だったのか。まあ確かに、あの見事な飲みっぷりと食べっぷりは、見ていて気持ちが良いのは変わらんか……』

 はあ。丹恒は店長からその話を聞いて、初めて出会った時にが城の中庭で肉まんセットを抱えていたのを思い出し、同時に、確かにの食べっぷりと酒の飲みっぷりは見ていて気持ちが良いとは思った。

 遠巻きに飲めない人間達が、底無しに食べて飲み続ける彼女に拍手を送り続けている気持ちも分かる。

 店長はに理解ある風の丹恒を見て、声を潜めて言う。

『この国――純粋なディアン国の人間は第二王妃である王妃様に批判的ですが、彼ら以外、クロムで王妃様の支持は、クロムの跡継ぎが決まっている一番目の兄上様を上回るほどです』

『その人気、あいつがこの国に第二王妃として嫁いだのもあるのか?』

『はい。クロム国は食べるにも困るほどの貧乏国でしたが、王妃様のご決断のおかげで、ディアン国からの輸入が増え、それでクロムも潤ってきたんですよ。クロムの人間の間では、王妃様で苦しまずにすんでいるというのが、定説です』

『……、理解した。このステーキ、それから、クロムの酒、美味いな』

『ふふ。そのお肉とクロムのお酒、王妃様のお気に入りです。どうぞ、ごひいきに。では……』

 店長は丹恒に一礼した後、その席を去り、代わりに、に酒で次々倒されていく支持者達の介抱を手伝っていた。

『……(なんだ、笑った顔もいいな)』

 は今まであまり感情を表に出さなかったが、ここではじめて支持者達に囲まれて上機嫌で彼女の笑っている顔を見た丹恒は、それもいいなと、純粋に思った。


 真夜中。

 食べて、飲んで、騒いで。

 は上機嫌で、丹恒と一緒に店を出る。

『お前、さすがに飲み過ぎだろ。立てるか』

『だいじょぶ、だいじょぶ。私には優秀な護衛がついてるから~』

 が丹恒と店を出た時、酔っ払ってるせいか、彼女の足取りはおぼつかず、ふらついていた。

 丹恒はそのを心配するが――。

『お城まで、おんぶ~』

『は、何言って――うわっ』

『おんぶ~』

 は何を思ったか丹恒の背中にしがみついて、そこから離れなかった。

『おい、離れろって』

『やだー。もう歩きたくない~』

『……(どうすんだ、これ)』

『いつもそれ、ロイさんの役目だったんですよぉ』

 これはさすがにまずいのでは――と、丹恒が思えば、店を片付けていた店長が慌てて出て来て、丹恒に説明する。

『ロイさんであればその状態の王妃様を背中に担いでお城まで戻るのはわけなくて、私達も安心して見送りに出てたんですが。細身のあなたの場合、そうなった王妃様を担ぐのも大変でしょうから、私が代わりに――あら』

『問題無い』

 店長が代わりにを担ごうとしたところ、それを丹恒が遮り、自ら簡単に彼女を背負った。

『店長、事後に何かあった場合、証言頼む』

『お任せを~』

 細身の丹恒が簡単にを担いだのを見て支持者達は拍手を送り、店長も笑顔で城に帰る二人を見送った。


 その後。

『すみませんでした!!』

 翌日になってすっかり酔いが覚めたは、丹恒に担いで城まで帰って来たのを知って青ざめ、即、彼に向って土下座して謝ったのだった。

『申し訳ない、私のそばにいるの、いつものロイかと思って甘えてた~』

『そうだろうと思った』

 は丹恒を自分の護衛だったロイと間違えて甘えていたと、丹恒に本当に、心から、申し訳なく思った。

 丹恒からすればそこまで謝る必要ないと思ったが、の態度が面白いし、彼女に有利に立てるのでそのままにしてあった。

『ごめんね、本当に、ごめんなさい!』

『いや。それに関して俺を訴えるとかなければ、別にいい』

『それくらいで、訴えないよ。私、そこまで落ちた女じゃないし!』

『最初に城の中庭で会った時、肉まん落としたのが俺のせいで、それすぐ訴えるとかわめいてきたの、誰だったか……』

『あ、あはは、あれは、あなたが急に私の目の前に現れた不審者だったから。今は、頼れる護衛で間違いないわ!』

『現金なものだ』

 丹恒は、指を立ててウィンクしてきたに、笑う。

 はそれから落ち着いた様子で、丹恒に自分の気持ちを伝える。

『ねえ、昨夜、私に近付く店長を見るなり私をそこから守るようにその槍、構えたでしょ』

『ああ。俺は店長と初見だった。それで体が咄嗟に動いたが、迷惑だったか?』

『いえ。よそから来たうえに私に関する嫌な話も色々聞いてるのに、ちゃんと私を守ってくれるんだって、嬉しかった。ありがとう』

『……、まあ、それが俺の今の仕事だからな』

 丹恒は、これくらいで本当に嬉しそうに、にこにこ笑うから顔を逸らした。

 そして丹恒は、気になってた件をに聞いた。

『お前があそこまで大食いで酒飲みなの、何か理由、あるのか』

『ああ。それ単純にこの国の食べ物がクロムより美味しくて感動した影響と、それから……』

『それから?』

『それから飲める女じゃないと、外でも城でも、下品な男達になめられるから』

『――』

 その理由は。

『いくらクロムの第二王女といえ、飲めないままだと、下品な男の餌食にされるのよ。国王陛下や、私のクロムの支持者達は別にそうでもないけど、ディアンで私に批判的な城の権力者の爺どもや、ロイ以外の城の兵士達は、私に何度か酷いセクハラしてきたの。クロム国の第二王女であれ、私が何も知らない田舎の小娘だって、バカにしたうえでね。
 あいつらに国王陛下に隠れて私の体をベタベタ触られた時は気持ち悪かったけど、結婚が決まるまで、我慢してた。従わないと、国王陛下の婚約破棄するって脅しまでかけられてさあ』

『……』

『それが国王陛下との結婚が決まって、もう我慢しなくていい、お酒の席であいつらのしてやったら、翌日には誰も私に近寄らなくなったわ。お酒一つでここまで変わるのかと、爽快だった。それからね。武器も何も扱えない無力の私ができる、下品な男達への唯一の抵抗が、お酒だったわけよ』

『……なるほど。お前、意外と壮絶なんだな』

『言ったでしょ、クロム国の第二王女の私でなければ、此処まで来てないって。普通の女は、此処まで来れない』

『それもそうだな』

 丹恒は、無力なの抵抗方法がお酒であると分かって、彼女に感心を寄せる。

 そして。

『ああそうだ。次からは、集会があった時は店長か、ほかの支持者に送らせるように事前に話しておくわ。よそから来たあなたにそこまで負担かけるのはどうかと――』

『――次回も俺に頼れ』

『え』

『前任者のロイが復帰すればロイで構わないが、それ以外は、俺に頼っていい。次も俺がお前背負って城まで送った方がいいだろう』

『え、い、いや、でも、外から来た、よそ者のあなたに私を背負って帰らすの、酷くない? 第一王妃様ならまだしも、第二王妃の私がそれ、やっちゃいけない気がするんだけど……』

 は、丹恒の思ってもみない反応に戸惑い、焦る。

 丹恒は口の端を上げて、言う。

『俺は今、お前の有能な護衛なんだから、それくらいできなくてどうする』

『えー。私の有能な護衛って、それ自分で言っちゃう? 私の権力使えば、簡単にあなた外せるんだけどぉ』

『お前がこの国で一番信頼していたロイが不在の今、俺以外の護衛探すの、きついと思うがね』

『それはそれは。それじゃ、目の前の有能な護衛さんに送り迎え、頼もうかしら』

『ああ。俺が居る時は、俺を遠慮なく頼れ。さっきも話したがそれが俺の仕事で、そういう時の護衛だからな』

『ありがとう……』

 丹恒のその想いは本物だと、にも伝わる。

 はその気持ちが嬉しくて、丹恒を気にせず、曇りがちの空を見詰め、呟くように言った。

『明日、雨降るかな?』

『雨? この世界、雨が降るのか?』

 丹恒はにつられて、ここではじめて、この星の空を見た。

 は不思議そうに丹恒に聞いた。

『あなた、雨、知らないの?』

『雨は知ってる。でも俺のいる宇宙では、天気は関係無いんだ』

『そうなの?』

『俺が暮らしている宇宙では、天気は関係無い。気にするといったら、宇宙で時々発生する磁気嵐くらいか……』

 丹恒は、磁気嵐の影響で列車が動かないと車掌のパムが嘆いて頭を抱えているのを、何度か見た事があった。

 は曇りがちの空から、丹恒に視線を移して彼に興味深そうに聞いた。

『あなたの暮らしてる宇宙って、この世界の外側にあるんだっけ?』

『ああ、その認識で間違いない』

 丹恒はこの星に降り立った時、国王に自分が暮らしている外側の世界――、宇宙について解説していた。彼らに、反レギオン軍も自分と同じ宇宙から来たという事実も説明した。国王は丹恒の説明で宇宙について理解した風だったが、その場に第二王妃として国王のそばについていたがそれを理解しているかどうかは未知数である。

 は続ける。

『雨が降らなければ植物は育たないし、動物も飼えないと思うけど。宇宙に植物とか牧場とかないの?』

『俺が乗ってる星穹列車には植物は育たないし動物も飼えんが、ヘルタのステーションでは研究者達の管理下のもと、貴重な植物や動物を置いてたな』

『研究者の管理下って、それ、室内限定? 宇宙でこの星にあるような山や川、海といった自然的なものは、何もないの?』

『人間以外の動植物は基本的に室内限定で、宇宙では、この星にあるような山や川、海といった自然的なものは何もなく、暗闇が広がるばかりだ。晴れや雨といった気象も、とある企業の管理下のもとで操作されている』

『ふうん。あなたや反レギオンとやらが宇宙から来てから私も宇宙に興味持って、そこは素晴らしい世界だと思ったけど、実際は、暗くて寂しい所なんだね……。私じゃ宇宙に出ても、数日も耐えられないかも』

 はは。はこの時、自分は宇宙はあわないと単純に思った。

『……そうだな。お前一人では、宇宙で暮らすのは難しいかもしれん。でも』

『でも?』

 丹恒は空から、に視線を移して彼女と向き合う。

『でも、が俺と一緒に星穹列車の旅に出られるなら、暗くて寂しい宇宙でも面白いかもしれない』

『――』

 単純に――。

『しかし、宇宙の知識も無く、この星から出た事のない無能力のお前では宇宙に出るのはもちろんだが、姫子さんの星穹列車に乗るのも厳しいだろう。あの列車に乗るには、俺やヘルタみたいな能力持ちや、ヘルタのステーションの研究員とか、特別な力を持った人間に限られる』

『そ、そう、無能力の私は宇宙に出る事さえ厳しいわ、あ、あはは、はは……』

 は、丹恒は単純に自分の宇宙に出る能力の無さについて評価しただけだったとそれに気が付いて、勘違いしたぶん、顔が火照るのを感じた。

 今の話にお互い、深い意味はない。

 ……。

 丹恒はの様子を気にせず、雨を気にするにそのわけを聞いた。

『雨が降れば、何かあるのか?』

『え、ええとね、雨が降ったら、綺麗な花が咲く場所知ってるの。明日になるけどそこ、送ってもらったお礼で、連れて行ってあげる。どう?』

『花か……。花は、ヘルタに頼まれた時に現地で採取するだけだったな。今回は何も頼まれてないが、お前のいう花、ヘルタが気に入るかもしれない。分かった、お前にそこ案内してもらおう』

 丹恒はここで、任務の途中でヘルタに現地で自然界の色々なものを採取してくるように頼まれた件を思い出した。

 と。

『ヘルタ。さっきから名前出てるヘルタとか姫子って、女の名前よね。何、あなた、故郷の宇宙で自分を待っててくれてる女性がついてるとか、私の護衛やってるうちに街で気に入った女の子が出来たとか? そう、そうよね、どうしてその可能性、今まで思いつかなかったのかしら!』

 は今まで丹恒の女性関係には興味無かったが、ここではじめてそれに興味持った。

 そうだ、さっきの星穹列車の話もその彼女に向けたもので、自分の事ではない。

 は目を輝かせて、丹恒に迫る。

『これから私があなたに紹介する花、ヘルタさんか姫子さんに持っていきなさい。多分、彼女達に喜ばれるわよぉ』

『……、何を勘違いしてるか知らんが、ヘルタと姫子さんは俺の女じゃないし、二人とも、女扱いすれば激怒されて列車どころか宇宙空間に放り出されて終わるわ』

『え、そうなの? でも、ヘルタさんや姫子さん以外でもあなたの故郷である宇宙に自分のお気に入りの女性が待ってるとかあれば、彼女に仕事先で見付けた花を渡して損ないわよ』

『そうか?』

『そうだって。宇宙が暗くて寂しいとこなら、自然界の花はそこで待ってる彼女の心を動かすのに効果あると思う。そうそう、彼女の好きな色をつけた花であれば、更に効果抜群! 宇宙で待ってるヘルタさんと姫子さん以外、この街の女の子相手でもそれ効果あるって。私がそれ保障してあげるから、頑張って~』

『……』

 は丹恒には故郷の宇宙で愛しい彼女が待っているか、あるいは、自分の護衛をやっているうちにこの街で気に入った女でも出来たのだろうと、そう思い込み、それを応援するも、丹恒の方はに『それは勘違いだ』と否定するのも面倒で冷めた様子だったけれど。

『明日、私の希望通りの雨が降るといいわね。明日が楽しみ~』

『……(まあ、単純な話で彼女が喜ぶならいいか)』

 は雨を楽しみにくるくる踊り、丹恒はそんなを微笑ましく見詰めていた――。


 翌日。

 朝は晴れていたが、昼過ぎくらいから急に暗雲たちこめ、その場所についた頃にはすっかり大雨になった。

『希望通りに雨降ってくれたけど、土砂降り!!』

『……』

 は、目的地についた途端に急に降って来た大雨に笑うしかない。

 その中でが丹恒に見せたかった花は、城の裏庭に植えてあるものだった。

 裏庭にある大きな木を雨宿りに使って、丹恒はとその花を見詰める。

『……お前が俺に見せたかったお気に入りの花というのは、城の裏庭にあった紫陽花通りの事だったのか?』

 城の裏庭では、紫や青、赤、白といった色々な色がついた紫陽花が十数株植えられてある紫陽花畑になっていて、そこは城の人間達の間では『紫陽花通り』と呼ばれていた。

『此処の紫陽花通りの紫陽花、今の雨の時期、見頃なの。綺麗でしょ?』

『ああ、見事なものだ。此処の紫陽花なら、雨の中でも十分見応えはある』

『そうでも、私的には雨上がりに見られる紫陽花ほど、見事なものはないと思ってるんだけど、雨、止みそうにないわね。仕方ない、城に戻りましょ』

 は残念そうに肩を落として城に戻ろうとしたが、それを引き止めたのは。

『天気予報じゃ、この大雨、後、一時間くらいで止むとある。多分、通り雨じゃないか?』

 丹恒はガッカリするの横で携帯端末を取り出し、この地区の天気を確認する。は丹恒の手持ちの携帯端末を覗き込むが、それらの表示は何一つ分からなかった。

『何それ。その小さいので、天気まで分かるの?』

『お前がこれを信じるのであれば、一時間、待っていても損はないと思うが。どうする』

『えー。一時間待つなら、城に戻って本でも読んでるわ。あなたも今日は私の護衛する仕事はないと思うから、城に戻って、好きな事してるといいわよ』

 は丹恒に気遣うよう、彼も城に戻るよう、うながす。

 しかし。

『いや。俺は、此処で晴れるのを待ってる』

『え、本当に? 雨で冷たいし、一時間もジッと待ってるのは、疲れると思うけど』

『ジッと待つのは苦ではないし、得意な方なんだ。むしろ、お前に関する嫌な噂話が聞こえる城に居る方が窮屈だ』

『……、そう。でも、私は一時間もジッと待ってられないから、城の自分の部屋に戻ってるわ』

『そうか。何かあれば、俺を呼べ』

『分かってる。それじゃ……』

 は丹恒を気にしつつも、自分は一時間もジッと待っていられなかったので、城に戻った。

 二十分後。

 大雨は、小雨に変わってきた。遠く、雲の隙間から太陽が覗いているのが確認できた。

『……思ったより早く雨が止みそうだな。あいつ、呼んだ方がいいか?』

 はあれから姿を見せず、丹恒は別にそれを気にしなかったが、予報より早めに空が変わっていくのを見て自分だけが雨上がりの紫陽花を見れたと分かれば彼女はまた、どうして呼んでくれなかったのと、うるさくわめくだろうか――そんな事を心配していたところ、で。

 ガタン、と、そばで物音がした。

 だった。

 は丹恒に構わず木製の椅子を持ってきて、それを置いた。

 は言う。

『思ったより早く空が明るくなってきたから、椅子、持ってきた』

『お前、ずっと空見てたのか?』

 部屋で本を読んでいるはずでは。丹恒は椅子に座るに、目を見張った。

 は笑って、丹恒に言い放つ。

『あなたのその予報、アテにならないわね』

『……そうだな。後でカンパニーのアスターに苦情出しておくわ』

 丹恒もの話を聞いて、遠慮なく笑った。

 そして。

『もう一つの椅子、俺のぶんか?』

『立ってるのが好きっていうなら、使わなくていいけど』

『いや、遠慮なく使わせてもらう』

 言って丹恒は、が持ってきたもう一つの椅子に座る。

『……』

『……』

 と丹恒、二人でジッと雨が止むのを待った。

 ……こんな静かな時間、悪くないな。丹恒はの綺麗な横顔を盗み見ながら、思う。

 十分後、小雨は終わり、雨が止んだ。いくつか水たまりが出来る中で現れたのは――。

『見て、虹!』

『!』

 晴れ渡った青い空に現れるのは虹、そして、下にあるのは水滴を帯びて更に濃い色をつけた紫陽花――。

『紫陽花と雨粒と虹か。確かに、ここまでの光景は見事だ』

『でしょ! 私の言った通り!』

 ふふん。は、自分の狙った通りの最高の瞬間を丹恒に見せる事ができて、胸を張る。

 それを見た丹恒は何を思ったのか。

、ちょっと、紫陽花の間に入ってくれないか』

『え、何で?』

『いいから、紫陽花と紫陽花の間に立ってくれ』

『?』

 は戸惑いつつも、丹恒の言う通り、紫陽花と紫陽花の間に立つ。

 そして。

 パシャ。

『今、なんかへんな音したけど。何?』

『うん、最高の一枚が撮れた』

『何の話?』

『これ……』

『!』

 は、丹恒の手持ちの端末にさっきの風景――紫陽花と虹、その間に自分の姿が映っているのを見て、とても驚いた。

『うわ、何これ、何これ。凄い! その小さいので、こんなのできるの?』

『ああ。この端末の画面に映ってるのは、写真画像というものだ。紫陽花に立ってるの姿は、綺麗だと思った。思った通りのものが撮れた』

『き、奇麗だと思ったって。嬉しいけど、面と向かって言われると照れる~』

 の写真を見て本当に満足そうな丹恒と、その丹恒の言葉に素直に照れると。

 それからは、丹恒の手元にある写真画像を見て言った。

『それ、どうするの。その私の写真画像とかいうの、国王陛下に渡すとか、私の支持者にばらまくとかできる?』

『……、この端末の技術は、この星の人間に教える事はできない規約がある。国王はもちろん、お前の支持者に見せる事はない』

『えー。それじゃ、目の前の風景、あなたしか楽しめないじゃないの。ケチ~』

『これ以上は無理でも、目の前の風景はまだ消えてないぞ』

『え、あ、そうだった、そうだった。目の前の綺麗な風景は見られるうちに、目に焼き付けておかないと。そのために部屋から絵画セットも持ってきてたんだ。紫陽花の絵、描こう』

 は丹恒の誘導に引っ掛かるよう、もうすっかり写真画像の件は忘れて目の前の現実の風景に夢中になり、持ってきた絵画セットで紫陽花の絵を描き始めた。

『……(写真でも彼女の姿は、任務が終われば消されてるだろうか)』

 姫子の星穹列車やヘルタ・ステーションについて理解できない文明レベルの低い星では、お互いの技術を持ち込めずに干渉してはならないと、規則であった。

 そうしなければこの星の歴史が狂ってしまう、と、話したのは、姫子だったか、ヘルタだったか。

 任務が無事に終わればこの星の出来事はもちろん、に関する記憶は全て、消されてしまうだろう。

 丹恒はせめて、の記憶は残したいと思って、手持ちの携帯端末で咄嗟に画像に残した。

『……(写真だけでもについて残していいなら、残したい。後で姫子さんかヘルタに聞いてみるか)』

 丹恒はそのを見て、密かにそう思ったのだった。

 それから。

『あなたにこれ、あげる』

『栞?』

 紫陽花の絵を描き終わって満足して紫陽花通りから出たは、丹恒にあるものを渡してきた。

 それは、一枚の紙で出来た栞だった。

 栞には、ある花びらの押し花が張り付けてあった。

『栞に張り付けてあるの、紫陽花の花びらだな。ここの紫陽花の花びらを押し花にしたのか?』

『うん。その栞、私の手作り。あなたもたまに本読んでるの見てるから、丁度良いと思って、部屋から持ってきたの。使えるなら、使って』

『ありがとう。ありがたく使わせてもらう』

 丹恒は素直にから紫陽花の花の栞を受け取る。

 それだけではなく。

『おまけで、もう一枚』

『何だ。こっちは花も絵も無い、真っ白なままだが』

 はもう一枚栞を取り出し、それを丹恒に差し出した。丹恒は栞に花も何もない真っ白な状態で渡されて、怪訝な顔になる。

 は言う。

『それね、自分で好きな花を張ったり、好きな絵を描いたり、自分の好きな風に栞が作れる用だよ』

『俺は、お前がくれた一枚で十分だが』

『私のは、そういう風に作れば見栄え良いっていう見本で渡したの。その真っ白な部分に私と同じように相手の好きな花を張り付けるとか、相手の好きな絵でも描いてその栞を贈れば、上手くいくと思うわ』

『……、相手って誰の事だ?』

『またまた~。そう、今更隠さなくても良いわよ。宇宙であなたの帰りを待ってるヘルタさんか姫子さんか、この街で気に入った女の子の贈り物として、それ、丁度良いから、使える時に使ってね!』

『……』

『あ、恥ずかしくてとか、身分違いで相手に渡せないっていうなら、私も協力するから! その時はちゃんと、相手について、話してね。ふふふ~』

『……』

 ニヤニヤ、にやけた顔で丹恒の背中をバシバシ叩くと、に何も言えずに黙ったままの丹恒と。

 丹恒はに否定するのも言い訳するのも面倒だったので、そのまま、真っ白な栞も受け取ったのだった。