番外編:03 星を抜けた先(01)

 お互い、その苦しみを理解できる人間は、存在しない。

 それでも――。



 真夜中。

「……」

 ふと、目が覚めた。

 横になっていた体を上半身だけ起こした。

 部屋の明かりは消されてるが、慣れてくればどこに何があるかくらい分かる。

 寒い、と、思えば、全裸だった。

「……」

 隣を見れば、今まで抱き合った男――、丹恒が寝ている。

「……」

 いつも気を張っている彼の寝顔を見られるのは、いまのところ、自分だけだ……、と、思い、優越感に浸り、ニヤける。

 同時に。

「……いい夢、見られてるといいな」

 彼の寝顔を見て思うのは、それだけだった。



 は宇宙に出て丹恒と寝るようになってから、彼の秘密を知った。

 夜中、彼が苦しそうに、うなされている姿を見る事がたびたび、あった。

 聞けば『時々、何かに追われて逃げている恐ろしい夢を見る事がある』と、打ち明けてくれた。

『いつも強気な丹恒でもそういう怖い夢を見るのかと思えば、少し、安心した』

 は、彼を前にしてそう言った。

 丹恒はそのに参ったよう、

『まあ、あまり気にするな。寝る時でもがそばについている間は、悪夢を見る回数は減った気がする』

 と、話した。

 それでもは、丹恒が悪夢でうなされている間は心配するし、自分の手でその恐ろしい悪夢をどうにかしたいという思いもあって、気が付いた時は彼の手を握るか、頭を撫でるようになった。

 その時々の気分で、丹恒が悪夢で苦しんでいなくても頭を撫でてやるのは、健やかな寝顔を見るだけで安心するし、自分だけがその寝顔を見るのを許されているという、優越感に浸れたのである。

 今回の丹恒は悪夢で苦しんでいる様子はなかったが、自分が先に目を覚ましたので、起こさないよう、彼の頭を撫でている。

「……て、あ」

 は寝ている丹恒の頭を撫でていて、急に『それ』がきて、立ち上がった。

「ヤバ、早く行かないと」

 彼の寝顔を見て、ニヤけている場合じゃなかった。

 すぐ近くにあった自分のシャツを手に取りそれに着替え、下は履かず、隣で寝ている丹恒に気遣うよう、そろりそろりと、足音を立てないよう、その部屋を出た。



 廊下は乗客のため、夜でも昼でも、常に明かりがついている。

 彼女――の現在地は、ヘルタ・ステーションではなく、星穹列車内、丹恒の資料部屋を出た廊下である。

 は普段はステーションのスタッフ専用の個室で寝泊まりしているが、星穹列車がステーションに停泊中、丹恒に誘われれば断る理由はなく、彼の資料部屋で寝泊まりしている。

 星穹列車内、夜中にほかの乗客と遭遇する事は、いまのところ、皆無だった。

 姫子と三月なのかは肌や体の調子を気にして夜はちゃんと寝るタイプ、ヴェルトはいつもの席に座って寝ているようだがそこに近付かなければ問題無く、車掌のパムも何も無ければ部屋で休んでいる、と、それぞれの睡眠事情を丹恒から聞いている。その中で開拓者はどういう睡眠を取っているのか、不明だった。

 現在、丹恒の資料部屋をすっぴん、ボサボサの髪、シャツに下着のパンツだけという、あまり人前に出たくない状態のを気にする人間はいない。

 は丹恒の部屋を出て、真っ先に、廊下の先にある乗客用のトイレに向かった。要するに、夜中、我慢できず、用足しに起きただけだった。

 星穹列車は申請すれば個人の部屋に風呂とトイレは付けられ、実際、『なのか』と姫子の部屋には個人専用のものがあるらしいが、丹恒の資料部屋は個人の部屋というより施設の一部を利用しているだけ、そのせいで、個人用の風呂とトイレが間に合わなかったと聞いている。

 丹恒本人に施設の資料部屋であっても、個人専用の風呂とトイレがないのは不便ではないかと聞けば彼は実にあっさりと、

『仕事で留守にしている時が多いし、資料部屋にこもる時はそれらを忘れてアーカイブ整理に没頭しているので、風呂とトイレは一般乗客向けの共有で間に合うから不便ではない』

 と、言い切ったのだった。

 さすが、食より資料を優先する男だと、その熱には感心する。

 感心はするが――。


 ――資料しかない資料部屋に女を誘うなら、お風呂とお手洗いは無理でも、シャワー室くらいつければいいのに。


 は丹恒に資料部屋に誘われるはいいが、そのたびにその不満を抱き、以前に丹恒にそれを訴えれば、

『シャワー室をつければ、置けるはずだった資料が置けなくなる。俺は、それより資料を優先したい』

 と、再び、真顔で言い切ったのである。

 はダメ元で、丹恒に更に訴える。

『その、丹恒とヤッた後、汗でや臭いで気持ち悪いんだけどぉ』

『それなら、ヤッた後、隣の三月のシャワーを借りればいい』

『借りられるわけないでしょ! 姫子も無理!』

『そこまで汗や臭い、気になるか?』

『その、ヤッた後、自分の汗とか臭い、気にならない?』

『別に。ヤッた後に自分の汗や臭いは特に気にした事はないし、反対にスッキリしてるくらいだ』

『私、体力バカの丹恒と違って、普通の人間なんですけどぉ。多分、丹恒より汗や臭い出てると思うんだけど』

『俺は、の汗や臭いは気にしないが』

『私が気にするの!』

『それじゃあ、どうしろっていうんだ』

『車掌のパムに頼めば、個人用のシャワー室つけてくれるんだよね。資料部屋にシャワー室くらいつけて欲しいって言ってる』

『そこまで汗や臭いを気にするなら、共有風呂近くの廊下でヤるか? 夜中は誰も通らないだろ』

『ばか!』

 は、丹恒のとんでもない提案を聞いて、思わず、そばにあったクッションを彼に投げてしまった。

『汗や臭いを気にするなら共有風呂の近くでヤる、良い提案だと思ったが。何がいけないんだ』

『……』

 にクッションを投げられた丹恒はどうして自分にクッションを投げられたか分からない様子で腕を組み、は丹恒にそれ以上言う気が失せてしまった。



 丹恒は列車内だけではなく外でも権力者との交渉やレギオンを含めた外部の敵との戦闘では色々と活躍するが、これが日常的な場面になるとどうも常識から外れた事をやらかして、周囲を困惑させる事が多々あった。

 それは、丹恒の仙舟での生い立ちやそれ以降の生活も関係しているようだが、ではあいにく、彼にそこまで聞き出せる勇気はなかった。

 用足しを終えてトイレから出たは、丹恒に向けて愚痴を吐かずにはいられなかった。

「……丹恒、顔は文句無し、強くて頭も良い。女を雑に扱う点を除けば、ほかは完璧なんだけどなあ」

 はあ。溜息を一つ。

 そして、思うのは。

「……ステーションでも列車でも、丹恒に関して相談できる人間、居ればなあ」

 は、ステーションの同じ応物課の女性スタッフや、ほかの課の仲良い女性スタッフに丹恒に関する愚痴を聞いて欲しい時があるが、一歩引かれそう、更には丹恒について理解できなければ共感は難しいだろうと感じて、現時点でステーション内で、丹恒について、相談できる相手が居なかった。

 因みにアスターとヘルタは丹恒について理解していると思うが、アスターに恋愛系の相談は難しいしヘルタに限っては自分の興味ある事以外は無関心で相手にされず、姫子は丹恒について的確なアドバイスをくれるだろうがなんか違う、『なのか』はアスターと同じく恋愛系は疎いとみて、同じよう、中々相談できなかった。

 ふと目をやれば、廊下の窓の向こう側から漆黒の宇宙が見えた。

「……」

 自分の故郷では、宇宙科学という言葉は存在せず、夜になれば暗くなり、月と星が現れるだけとしか、考えられてなかった。

 千年遅れた世界でそれは自然現象の一部としか認識されず、それを利用した学術は発展していない。

 夜空に関してはたまに、船乗りや冒険家が星の位置を知り、その数を数えるくらいだった。

 それが今、目の前に、宇宙と呼ばれる星の海がどこまでも続いている。

「……私の星、どれかなぁ?」

 の故郷は、星の観察が好きなアスターより、ヘルタのステーションからだいぶん離れていると聞いているが、どれくらいの距離か、何百光年先と教わっても、全然理解できなかった。

 現在、諸事情により、ヘルタ、そして、スターピースカンパニーの高級幹部の一人であるジェイドから一年の間に宇宙科学についての知識を得るようにと言われているが、千年遅れた世界から来た人間が、独学でそれらを習得するのは無理があると思った。

「……ラ、ララ、ララ~」

 故郷の星を探しているうち、故郷の歌を口ずさんでいる。

 歌詞は覚えていない。

 貧乏国のクロムではなかったが、ディアンの城では時々、歌をうたえる人間を集めて宴会を開く時があった。歌だけではなく、その時に流行っていた演劇も観覧する事ができた。

 そこで出されるのは、肉や新鮮な魚介類を使ったご馳走と、種類豊富なお酒、お酒が飲めない人間や子供向けに果実を使った甘いドリンクも種類が豊富だった。ディアンは美食国家とも言われ、食事で外からくる旅人をもてなす習慣があり、城でそれに招待された丹恒も、の故郷の食事が恋しいと時々、口にする事があった。

「……あの店のステーキ、食べたいなあ」

 つい、口に出た――ところ、だった。


「――それ、どこの歌?」

「!」


 懐かしい故郷の歌を口ずさんでいると、声をかけられた。

 ドキリとして振り返ればそこにいたのは。

「開拓者……」

「ごめん。のその格好で声かけるかかけないか迷ったけど、歌聴いて、声かけちゃった」

「この格好って、あ」

 開拓者はに向けて両手をあわせて謝るも、では開拓者がどうして謝るのか最初は気が付かなかったが、窓に映る自分の姿を見て気が付いた。

 すっぴんでボサボサの髪、シャツだけ着て下は下着のパンツだけ。

 は、相手が丹恒以外の男や見知らぬ人間であるなら即逃げるが、相手が開拓者であれば問題無い、と、判断する。

 は開拓者と向き合い、バツの悪そうに頭をかきながら言った。

「こっちこそ、ごめん。人前に出る格好じゃなくて」

「はは。いつも完璧なでもそういうとこあるんだと思えば、親近感わくよ」

「開拓者、ありがとう……」

 は開拓者の笑ってすませる優しさに泣きそうになりつつも、乗客達も寝静まっている夜中に開拓者と遭遇し、こんな所でうろついている彼女に興味を持つ。

「開拓者、こんな夜中に何やってんの? 見回り?」

「見回り……と言いたいけど、寝付けないだけで、そういう夜は、だいたい、あてもなくうろついてる」

「開拓者でも寝付けない時、あるんだ?」

「任務で外に出てる時はぐっすりなんだけどねー。列車で何もない一日の時は、寝付けない事があるかな」

「そう。いつも完璧な開拓者でもそういう時があるんだって思えば、親近感わく」

、ありがとう」

 がしっと。開拓者もに感動して、彼女としっかり握手をかわしたのだった。

 そして。

「ところで、丹恒は寝てるの?」

 開拓者がその先にある資料部屋で寝ているだろう丹恒を気にしているのは、でも分かった。

 は開拓者に丹恒の現状を教える。

「多分、寝てる。丹恒、よっぽどの事がない限り、一度寝ると朝まで起きないと思う」

「丹恒、と居る時でも、ちゃんと寝れてるのか」

「うん。丹恒本人から聞いたけど、寝れる時は、ちゃんと寝るんだって。開拓者や『なのか』と一緒の長い旅の後は一日以上起きてて、その反動でぐっすり寝て、二、三日、起きないってのも、丹恒から聞いてる」

「そうそう。丹恒だけじゃなくて『なの』もそうだけど、開拓の長い旅の間は一日以上は起きてられるけど、帰った後はその反動で、二、三日、寝っぱなしで、起きて来ないんだよね」

「あら、『なのか』も丹恒と同じなんだ、それは初めて聞いたよ。開拓者はそうじゃないの?」

「私は一日起きてられる彼らと違って旅の途中、どこでも寝られるし、そのぶん、起きてられる」

「へえ。寝る時でもそれぞれ違いがあって、面白いね」

 は開拓者から寝る時でも『なのか』と丹恒の違いを聞いて、感心した様子だった。

 それから。

「で、さっきの歌、の故郷の歌?」

 開拓者は肝心な事をに聞いた。

 は照れ臭そうに、答える。

「そこの窓から宇宙見てたら、故郷を思い出しちゃって」

「そっか。綺麗な歌だね」

「そう? ありがとう」

「ねえ、もっと故郷の歌、聴かせてよ」

「いや、夜中だから迷惑になるよ。丹恒はよくても、それで寝てる『なのか』と姫子、ヴェルトさんを起こしたら悪い」

「それじゃ、私の部屋、来る?」

「え、いいの?」

「私の部屋、防音完備だから寝てる人達に迷惑かからないと思う。いつか、を招待したいと思ってたから、丁度良かった」

「私も色々凄いって噂の開拓者の部屋、前から興味あったんだ。お邪魔します!」

 わあ。は一度、丹恒以外の乗客の部屋を見たいと思っていたので、開拓者に招待されて嬉しく、単純にその誘いに乗ってしまったという。



「ようこそ!」

「わあ、予想以上に豪華!!」


 開拓者は張り切って、を自分の部屋に招いた。

 一人では大き過ぎるほどのベッドに、パソコン一式が置けても余裕がある広さの机、本棚はもちろん、洋服をしまえるクローゼット、観葉植物が並べられてある棚まで揃い、天井は丹恒の資料部屋にあるのと同じ宇宙の模様が描かれたもので、ライトも星の模様にあわせて光る。

 は予想外の豪華さに、驚きより、戸惑いの方が大きかった。

「えー、何これ、何これ。此処、本当に列車内の部屋?」

「いや、私の部屋、使われていなかった倉庫を改造したところだから、個人の部屋の倍あるって、車掌のパムが言ってた」

「いやでもここまでの、凄い! ね、ねえ、さっきから気になってるそこのバスルーム見ていい?」

「いいよ。どうぞ」

「お邪魔しま――ごふっ!」

 は開拓者の案内で、ドキドキしながら、彼女のバスルームに足を踏み入れた――ところで、おしゃれな模様の床にタイル貼りの壁、本物の宇宙空間を覗ける大きな窓、バスタブも一人で使うには広過ぎるくらいのもので、個別にシャワー室もあり、更に更に全身が確認できる鏡に化粧台もあり、あまりの豪華さに転倒しそうになり、壁に頭をぶつけてしまった。

、大丈夫?」

「い、いや、予想以上に豪華でクラクラして……(何これ、何これ、大陸一豪華と評価された、大理石のお風呂があったディアンの城でもここまでのものなかったんだけど!!)」

 うわああ。は思ってなかった豪華なバスルームに、卒倒しそうだった。

 開拓者は言う。

、お風呂使ってみる?」

「い、いいの?」

「お湯も一瞬だし、掃除も全自動で楽だから」

「い、いや、でも、ここまでの体験すれば後戻りできなくなる……」

「そう?」

「悪いけど今回は遠慮しとくわ……。さすがに、丹恒に断ってからじゃないと」

「そっか。なら、いつでも入りにきていいからね」

「ありがとう……」

 開拓者は純粋によかれと思ってを誘うも、は自分と開拓者の格差を知って、そこから逃げ出したい気分で顔を引きつらせるだけだったという。


 それから。


「ええ、ここまでの部屋にするの、車掌のパムの任務受ける報酬の一つで、でもそれ激務で一人じゃやりきれないから、丹恒と『なのか』の協力もあって、できたの?」

「うん。パムの任務、列車の掃除といっても列車の本体全体を掃除しなくちゃいけないとか、窓掃除や客室掃除だけでも一日かかるとか、列車の資材の運搬作業や部品の点検とかも力仕事で意外と大変でさー」

「うわ、そこまで!」

「そういうの開拓の旅の途中の合間にやってたから、ここまでになるの、一か月以上かかっちゃって。本当、『なの』だけじゃなく、丹恒の協力なければここまでになってないし、二人には助けられてばっかりだよ」


 は開拓者の部屋を見て回った後で列車の廊下にあった自販機で酒を買い、開拓者はソーダ水を買い、彼女の部屋で一緒にささやかな飲み会をやった。

 は開拓者とテーブルについて、向き合う。

 その中で開拓者はにこの部屋を完成させるのに、車掌のパムの任務という激務を受けたうえでの報酬であると、彼女に打ち明けたのだった。

 開拓者からパムの真実を知ったは、身震いする。

「うわー。パム、可愛くて、優しそうに見えたけど、意外とスパルタだったんだ。それは知らなかった」

「丹恒だけじゃなく、あのヴェルトも、パムには逆らわない方がいいって、常々話してるくらいだからねえ」

「ヴェルトさんまで。私もパムには逆らわないようにしよう……」

 ごくごく。は開拓者の情報でパムの印象が変わって、それの震えを抑えるため、酒を飲んだ。

 開拓者はの飲みっぷりを間近で見てやっぱり凄いなあと感心しつつ、続ける。

「いや本当、ここまでするのに開拓と同じくらい大変で。でも、皆と一緒だったからそこまで苦労なくて、完成した時は感動しちゃった」

「そうだったんだ。私、丹恒に資料部屋まで女を誘うなら、シャワー室くらい付けて欲しいって注文してたんだけど」

「あら、そうなの?」

「開拓者のその話聞けば、丹恒に無茶な注文してたかも……」

「いや、の気持ち分かるよ。女の子誘うなら、資料部屋でも、シャワー室くらいあった方がいいでしょ、絶対」

「開拓者……!」

 がしっと。は開拓者が自分の丹恒に対する愚痴を分かってくれたとそれに感動し、彼女の手を握った。

 ――そうだ、開拓者がいた!!

 は、丹恒に関する相談は誰相手でも難しいと思っていたが、開拓者なら理解してくれると思って希望の光が射した気がした。


「ねえ、開拓者。丹恒に関する愚痴、それ以外にもいっぱいあるんだけど!!」

「私も旅での丹恒の愚痴、に聞いて欲しい所だったから、丁度良かった」


 開拓者もに応じるよう、ニヤリと笑ってみせたのだった。