過去。
その日、ディアンの城の裏にある森の畑では、リンゴによく似た赤い実がなっていて、丹恒はと一緒にその収穫を手伝った。
収穫イベントには国王も顔を出し、城の兵士長を含めた兵士達だけではなく、メイド達も総出で手伝わされている。総勢、五十人以上の大所帯だった。
『この赤い実はフランといってね、お菓子やパンの材料になるの。採りたてが一番美味しいから、第二王妃の私も毎回その収穫イベントに参加してるんだよね~。それからフランの実の収穫イベントは通常であれば一日かかるんだけど、今回はあなたの槍の技のおかげでだいぶん早く終わったって、毎回参加してるメイドや兵士達だけじゃなく、国王陛下もご機嫌だったわ』
と丹恒もフランの実の収穫を手伝い、いつもは一日かかるものが、丹恒の槍の技のおかげで半日ですんでこれには収穫イベントの参加者達をまとめる兵士長だけではなく、国王からもしきりに礼を言われてしまった。
収穫イベントの後に丹恒は、フランの実を使った食事会がお城で開かれるという招待状を受け取った。
『あなた、今夜、お城の食事会に招待されたでしょ。お城でこれ使った料理が出されると思うから、期待してね~』
の言う通り、城で出された食事にはフランから取れたと思われる赤いソースがかかったローストビーフや煮込み料理、実とソースを使ったサラダ、赤いスープ、実が練り込まれたパンとケーキまで提供され、どれも絶品だった。
国王から『丹恒殿は本日の一番の功労者だ、遠慮せずに食せよ』と、収穫イベントの後に招待された城での食事会でほかの出席者より多く料理を出され、これにはも羨むほどで、その視線を気にしつつ、再び、城で出されたご馳走を残さず食べる羽目になったという。
『あれ、今夜もそこに居たの?』
その日の夜、中庭で会ったの手にはいつものクロムの酒が入った筒と、フランの実がいくつか入ったカゴを持っていた。
は、丹恒が普段と変わらず中庭に来ている事に素直に驚いた様子だった。
丹恒はそのに怪訝な顔をする。
『どういう意味だ。俺が此処に居ては不都合か?』
『あなた、今日の収穫イベントでメイドの女の子達に囲まれてたじゃない。その槍の技で木になってた数百個のフランの実を一撃で落として、それ見たメイド達が目をハートにして丹恒様~って』
は、フランの実の収穫イベントのさい、丹恒が槍の技で木になる数百個のフランの実を一気に落としたのを見たメイド達が黄色い声を上げ、囲まれているのを知って、ニヤニヤ笑う。
はあ。丹恒はため息を吐いて、を恨めしく見詰める。
『……そういうお前は、メイド達に囲まれる俺を助けず、自分の食べるぶんだけ取ると国王と一緒にテントの中にこもりきりだったな』
丹恒は、寄ってくるメイド達にうんざりしてに助けを求めようと思ったが、肝心のは自分のぶんを収穫した後は、同じく何もしない国王が休憩するテントの中に入って、引きこもり状態で、動かなかった。因みに第一王妃は病弱のようで収穫イベントには、不参加である。
『ふふ、これも第二王妃の特権よね~。国王陛下も今回、あなたの槍で収穫量が倍になったって嬉しそうだったわ』
『まあ、俺で国王に喜んでもらえたのは良かったが。国王もには甘いんだよな……』
丹恒は、兵士長のおかげでメイド達から逃げられ、フランの実もカゴいっぱいに収穫できて、それをテントに居るだけの国王に報告にいけば、そこで国王と同じく何もしないでフランの実をむさぼっていたを見た時はさすがに『この女……』と、文句の一つも言いたい気分だったが、国王の手前、何もできず、顔を引きつらせるだけだった。
その中で国王はそのに何も言わず、にこにこ笑顔で、彼女がフランの実を食べる所を見ているだけだったという。
――まるで父親が娘に美味しいものをご馳走しているようなものだな。丹恒は国王とを見て思うが、黙っていた。
それからはいつもの噴水前のベンチに座って、丹恒を不思議そうに見つめて言った。
『それで、何で今夜、此処に居るの? 私、あなたがメイドの女の子達に誘われてるの知ってるし、今夜はそのメイドの誰かに応じて、その子とよろしくやってるんじゃないかと思ったんだけど』
『……、散々言ってるが俺は、現地の女に手を出す気はない。誘われても、全て断った』
『そう。相変わらず、淡白ね。まあ、宇宙に帰れば、いくらでもいい女が待ってるから、そう言えるんでしょうけど』
『違う、そういうわけじゃない。俺は、宇宙に帰っても一人だ』
『どうだか』
『』
『……』
『……』
微妙な沈黙が数秒、続いた。
『……それ、今日採ってきたフランの実か。お前、俺が居なかったら一人でそれ食べる気だったのかよ』
丹恒はそれから話題を変えるため、が持っていたフランの実が入ったカゴに注目する。
『そうね。夕食だけじゃ物足りないから、今日収穫したフランの実、持ってきたの。あなたはあれだけ食べたから、もう満腹でしょうけど』
『俺はもう、十分だな』
丹恒は、招待された城の食事会に出されたフランの実をふんだんに使った料理を残してはいけないと思い残さず食べ、結果、今になってもまだ腹にたまっている気がして、腹が重たかった。こんな事は、今までなかったように思う。
それでも丹恒は、の持つフランの実の行方が気になった。
『それ、どうするつもりだ?』
『これ、新鮮なうちに潰して、クロムのお酒に混ぜると美味しいのよ』
『その実、俺が槍で落としても割れなかったが。どうやって潰すんだ』
『ナイフで小分けしてから潰すの。こんな風に』
は手持ちのナイフで赤い実を切り分け、それを手で潰した。途端にの手が果汁でベタベタになる。
『潰すと、果汁があふれて手につくのが難点なんだけどさ』
『それ、収穫した時にナマで食べさせてもらってそれもウマかったが、果汁が凄いんだよな。口からあふれるほどだった』
フランは見た目はリンゴに近いが、中身の果汁のあふれ方はミカンやレモンに近い。
もその時の丹恒を思い出し、さっきの事は忘れたよう、遠慮なく笑った。
『そうそう。食べ慣れない人は果汁の多さに驚いて、口からだらしなくあふれちゃうのよね。あなたもそれやって、周りの兵士達やメイド達に笑われてたわねえ』
『面目ない』
『いやでも最近のあなたは、このお城に来た当時、私以外に誰とも付き合わず、一人でいいってつっぱねてた時よりは随分と親しみやすくなったって、評判じゃない。ロイもあなたを認めてくれたのは、私も嬉しかった』
『……そうだな。この城に来たばかりの当時は宇宙科学も知らない文明レベルの低い世界でやっていけるのかと不安だったが、この城の人間と付き合えるようになったのはのおかげもあるかもしれない』
『私のおかげ? 何で? 一人でいいっていうあなたに根気良く付き合ってた国王陛下や、兵士長のおかげと思ったけど』
『についてなかったら、国王も兵士長も、俺にここまで付き合ってないと思う。それ思えば、最初に俺をにつけた国王の目は確かだったわけだ』
『そういうわけ。確かに、国王陛下は人を見る目はあるわ。この私をお嫁さんにしたくらいだからね~』
『……、それだけは国王は間違ってると思うが?』
『何よぉ。あ、手から果汁がこぼれちゃう、もったいない~』
ぺろぺろ。は丹恒の前でも構わず、自分の手についた果汁を舐める。
丹恒は思わず、そのをたしなめる。
『おい、第二王妃が指舐めとかいいのか』
『それだから、人目を忍んで夜の中庭で飲んでるんじゃない。あの居酒屋も、支持者以外は、ロイがついててくれる時しか使わないし。さすがの私も国王陛下の前ではこれやっちゃいけないって思ってるわよぉ』
『それでか。しかし、俺の前ではそういうのいいのか』
『あなた、国王陛下から星核手に入ればさっさと宇宙に帰るんだから、宇宙に帰れば私なんかすぐ忘れるでしょ。本当、ここまで都合のいい護衛、ロイ以外に滅多に居なくてそこは助かる――』
は最後まで何も言えなかった。
丹恒がの果汁がついた手を強引に取り上げ、自分の口に持っていったせいで。
丹恒はの手を持ち、はっきりと言った。
『――宇宙に帰っても忘れるものか、ここまでの女』
『――』
自然と見詰めあい、そして――。
『ん』
丹恒はの手の甲にキスしてやった。同時に、口にの手についていた果汁もついてきた。
『……確かに、しぼりたての果汁は甘くてウマいな』
『ち、ちょっと、私の了解も取らずに勝手に手にキスしないでよっ』
はそれだけで、顔が真っ赤になる。
丹恒はそのを見て、笑う。
『なんだ、この世界では手の甲にキスは信頼の挨拶だとは聞いてるし、第二王妃のお前もそれくらい慣れてると思ったが』
『そ、そうだけどっ。い、いきなりやったから驚いただけ! 普通は、ひざまずいてするものだから! その作法も知らないの?』
『そういえば、そうだったな。それじゃ、これでいいか?』
『え、何――』
丹恒はから離れ彼女の前に立つと、ひざまずき、そして。
『王妃様、その美しい手を貸していただけませんか?』
『……』
は丹恒がそう来るとは思わずこれについては文句も言えず、素直に手を差し出した。
ちゅ。
丹恒はの手を取ると、今度は作法通りに音を立ててキスして、その後、頭を下げた状態で言った。
『お慕いしております、王妃様』
『……、護衛にしてはちゃんとしてるわね。顔上げなさい』
丹恒はの了解を得て立ち上がり、そして。
『俺は宇宙に帰っても、みたいな女が居た事は忘れない。忘れたくはない。……それだけは覚えておいて欲しい』
『……』
は丹恒に何も言わず、その代わり。
『ねえ、あなたもこのフランの実入りのお酒、飲む?』
『そうだな。今夜は、その甘い酒が飲みたい気分だ』
『ええと、あなたが来てないと思ってグラス一個しかないけど』
『構わない。が気にしなければ、それで』
『どうぞ』
『なるほど。クロムのスッキリした酒と甘いフランの実は相性がいい』
『うん。フランの実は、クロムのお酒にあわせるのが一番いいのよ。これこそ、あなたの得意な宇宙科学では真似できないでしょ?』
『そうだな。クロムの酒の味は、宇宙科学では真似できない。クロムの酒は、宇宙に持って帰りたいほどだ』
『あなたが宇宙に帰る時になったら、クロムのお酒、お土産にいくつか持っていけばいいわ。許されるならね』
『そうだな。許されるなら、クロムの酒、手土産に宇宙に持って帰るか』
『きっと、喜ばれると思うわ』
話している間、と丹恒の二人は一つのグラスで、フランの実入りのクロム酒を飲んでいった。
酒の力かどうか――、お互い、それはとても、気分が良かった。
は夜空を見上げて、言った。
『私も同じ、だから……』
『何が同じなんだ?』
『私もあなたと同じで、あなたとこの中庭で夜を過ごしたの、忘れないと思うわ。あなたが宇宙に帰ってもね』
『そうか……、それは光栄な話だ』
丹恒は今ならいけると思い、の手と自分の手を重ねてきた。は丹恒のそれを振り払う事なく、応じるよう、彼に寄り添う。
それはとても、静かな夜だった――。
現在、仙舟にて。
「フランの実は、ミニサイズのリンゴを想像してもらえればいい。フランのソースがかかったローストビーフ、その実と皮が刻まれたもので炒めたバターライス、赤色のスープ、実とソースを使ったサラダ、パン、ケーキ……、収穫した後、城で出された採りたてのフランの実を使ったご馳走はどれもウマかったなあ。はその実を潰して酒に混ぜて飲んでて――」
ばたんっ。
話の途中で、何かが倒れる音がした。
見れば開拓者と『なのか』が揃って倒れ、テーブルに顔を伏せた状態だった。
「おい、どうした。何があった、新たな敵か?」
丹恒は、そこから動かない開拓者と『なのか』を心配するが。
「うわああ!! ここまで聞いて我慢してられっか! なの、予定変更、白露に連絡入れて仙舟内の美味しい店、連れてってもらおう!」
「合点!! 白露なら、それ系のお店知ってるよね! 今すぐ突撃ィ!」
開拓者と『なのか』は顔を上げたかと思えばハイタッチして、勢いよくそこから立ち去ってしまった。
一人残された丹恒は。
「……何だったんだいったい。あ、白露と一緒に仙舟の美味しい店探す約束取り付けた、見付けたらまた連絡するからそれまでゆっくりしてて、か。やれやれ」
離れた開拓者のメッセージを読んだ後、開拓者と『なのか』の二人を追いかけず、雨が降る仙舟の街並みを見詰める。
「……」
雨が降るたびに、の自然が美しかった故郷を思い出すのは罪かどうか――。
「……の土産、何にするかな。ああ、そうだ、あれがいいかもしれない。開拓者と三月が白露と出かけている間に買っておくか」
丹恒はそれでもを宇宙まで連れて来た事に関しては後悔はなく、を思い、再び、雨の中を歩き始めたのだった――。
余談。
夜。ヘルタ・ステーション、スタッフ専用の個室にて。
「ただいま」
「お帰りー」
仙舟の任務を終えた丹恒は、部屋でくつろいでいたのもとへ。
は今まで読んでいた仙舟ガイドの本を置いて、丹恒に聞いた。
「仙舟の任務で予定より遅めになるって連絡あったけど、何やってたの?」
「予定外の事があって、それで遅くなった……、て、何だ?」
丹恒は、帰った途端にが自分の周りをうろついて犬のように臭いをかいでいるのを見て、不思議そうに聞いた。
そして。
「丹恒から、いい匂いがする! 甘いの!」
「!」
「仙舟で何かいいもの食べてきたでしょ!」
「……さすが。食べ物に関しては、犬並みだな」
普通、甘い香りがしたとあれば浮気を疑われるものだが、の場合は違った。
丹恒はここで、予定外だった話をに聞かせた。
「開拓者と三月が仙舟での依頼を終えて帰る間際、急に白露呼んで彼女と仙舟のウマい店巡りやりたいと言い出してな。白露もそれに張り切って、開拓者と三月をウマい店に案内していた。それで、予定より遅くなった」
「えー。何それ、何それ。丹恒も開拓者達のそれについていったの? いいなー。丹恒だけ、ずるい!」
「そういうと思って、今回の土産、これにした」
言って丹恒は、に買ってきた土産――スナック菓子を差し出した。
「あ。これ、リンゴ味のスナック菓子じゃない。いつもはステーキ味だけど、今回はこっちにしたのはさすがね」
は、普段は丹恒の土産のスナック菓子はステーキ味だったが、今回はリンゴ味の甘いスナック菓子だったので、これには満足した様子だった。
ここで丹恒は、機嫌を持ち直した所を見計らい、に聞いた。
「、お前、開拓者に故郷のディアンが美食国家だって、話したのか」
「え、あれ、いけなかった? 開拓者が私の故郷について知りたがってて、開拓者ならそれくらいなら話しても良いと思ったんだけど」
は自分の故郷については星穹列車でもヘルタ・ステーションでも関係者以外に口外するな、もし誰かに話せば自分の出自もバレるのでそうなった時、強制的にカンパニーの手でステーションから追放されると、ヘルタはもちろん、カンパニーのジェイドに厳しく言われていたので、慌てる。
丹恒はを安心させるため、自分もそれについて話したと打ち明ける。
「いや、それくらいなら問題ない、と、思う。俺も開拓者にせがまれて、の故郷のディアンで、美味しいご馳走でもてなしを受けた件を話してしまった」
「ああ、それで、開拓者と『なのか』、白露様と一緒に仙舟の美味しいお店巡りする事になったの? 医者の白露様なら確かに、仙舟内の良いお店知ってそうね」
は、丹恒の話に納得するよう、うなづいた。
因みには姫子の許可が出ないので仙舟に行った事もないし、白露をはじめとする仙舟の人間には会った事はないが、仙舟で開拓の旅を終えた丹恒から、白露だけではなく景元や御空、符玄についてその役目と関係性は聞いていて、そこも仙舟の勉強として役立っている。
因みに丹恒は白露については「仙舟で一番偉い医者」とだけに説明し、彼女が現龍尊である事は上手い具合に隠してあった。
その中で。
「それから、それ話しているうちに思い出した事があってな。今回は、それとは別にこれも買ってきた」
そう言って丹恒がの前に差し出したのは、ステーションの自販機でも扱っている、缶に入った果実酒だった。
これにはも素直に驚いた。
「あれ、丹恒がお酒買うなんて珍しいね。いつも、私のお酒、飲み過ぎだって取り上げるのに。これ、ステーションでも人気ある果実酒じゃない。しかも二個。どうしたの」
「のディアンの城で収穫イベントあっただろ。フランの実の」
「あー、あったね。あのフランの実とクロムのお酒で作った果実酒が一番最高だったのよね~。て、それ思い出して、似たような果実酒買ってきてくれたの?」
「うむ。俺も開拓者と三月にディアンの城で収穫したフランの実について話しているうち、その味が恋しくなってな。ステーションの規約で果実の持ち込みは検閲があるが、自販機で扱っている果実酒くらいは問題ないとヘルタの了解を得られた。それで今回は、俺のぶんも買ってきた。今夜は、二人でこれ飲もう」
「やったー。普段飲まない丹恒と飲めるなんて、最高じゃない。それ、丹恒に思い出してくれた開拓者には感謝しないとね!」
丹恒は普段は酒を飲まないし、自分には飲み過ぎだと注意してくる側だったのが、開拓者のおかげで故郷の酒の味を思い出してくれて、更には今夜は二人で飲もうと誘ってきた。は本当に嬉しそうに、くるくる踊る。
はさっそくグラスを二個用意して、自分と丹恒に缶から酒を注いだ。
果実酒を飲み、リンゴ味のスナック菓子を食べる。
「どうだ?」
「美味しい。この果実酒、リンゴ味のスナック菓子ともあう。最高~」
「それは良かった。たまには部屋で、こういう飲み方も悪くないな」
丹恒もにならって、果実酒を飲んだ後に苺味のスナック菓子を食べる。
しかし。
「うわ、どっちも甘いな……」
ステーションの果実酒は甘過ぎたようで、丹恒の口にはあわなかったようだ。一口飲んだだけで、残してしまった。
「今までいろんな星で酒を飲んできたが、のクロムの酒が一番良かった。この宇宙にのクロムの酒の技術を持ち込めなかったのが残念だな」
「だねー。私も自販機の果実酒、甘過ぎてちょっと微妙だったんだよね。丹恒の言うよう、クロムのお酒、恋しい……。あ、仙舟なら、クロムのお酒に近いのあるんじゃない? 丹恒の仙舟もお酒が美味しい所で有名なんだよね? 手元にある仙舟ガイドの本にそう書いてあったよ」
「ああ、その手があったか。確かに仙舟は、酒の種類が豊富でウマいと評判だ。後で酒に詳しい景元将軍か、医者の白露に、仙舟にクロムの酒と似たような酒がないか、聞いてみるか」
「良いね。あーでも、ステーションのスタッフの私じゃその仙舟でクロムに似たお酒見つけても、検閲に引っかかって、飲めないかも。悔しい~」
はあ。は本当に残念そうに、机に伏せる。
そのを見て、丹恒は。
「……実は俺、あの時、にキスしたかったんだ」
「え、あの時って、いつ? というか突然、その告白、何? 丹恒、そこまでお酒飲んでないよね」
は酒に酔った風でもない丹恒が急にその告白をしてきた事に驚き、顔を上げる。
丹恒は言う。
「ディアンのフランの実の収穫イベントがあった夜だ。あの時、俺、中庭での手にキスしただろ」
「あー。そんな事もあったねえ。私、あの時、丹恒が突然に自分の手を舐めてきたから驚いた。あれ、私の手についたフランの果汁目当てだと思えば納得したけど」
「それは誤解だ、あの時、俺は、からあふれるフランの甘い香りに誘われてたんだ。許されるなら手より、の口にしたかった。……こんな風に」
「ん」
丹恒はの手を取ると彼女の了解も取らず強引に、触れるだけのキスをした。
丹恒はの手を握った状態で、続ける。
「今の俺は、あの時と違って自由ににキスできるし、手も握られる。それ思えば、このステーションでの生活も悪くないんじゃないかと思って」
「……確かに、あの時と違って丹恒と自由にできるぶんは、ステーションの生活も悪くないわ」
うん。も丹恒の話に納得したよう、うなずく。
それでも。
「でも、私がステーションのスタッフであるうちは、仙舟のお酒飲めないのは変わりないと思うけど……」
「それもなんとかする。仙舟でクロムの酒と似たようなの見付けたら、の部屋にこっそり持ち込めないか、ヘルタにかけあってみるよ。二人だけで楽しむぶんは、持ち込めるかもしれない」
「丹恒……」
は丹恒の優しさに泣きそうになるのを堪えて、代わりに。
「……実は私もあの時、丹恒に隠してた事があったの」
「何?」
「あの夜、丹恒、メイドの女の子達の誘いに乗って中庭に来てないんじゃないかって、不安だった。でも、その不安に反して中庭で丹恒の顔見た時、嬉しかった。それだけ!」
「まあ、そうだろうと思った」
「え、それ、分かってたの?」
「あの時の、いつもと違って何か不機嫌だったからな。おまけで言えば収穫イベントでメイド達に囲まれる俺を見るの嫌で、国王のテントに引きこもったんだろ。それだからあの時、自分はだけだと、安心させるため、手にキスしたってのもある」
「何だ、全部、私の裏、分かってたのか。つまんない」
ごくごく。はここで自分の裏を告白したのがばかみたいと言って、果実酒を一気飲みする。
すぐにの果実酒はカラになった。
「ね、丹恒が残したぶん、もらっていい?」
「どうぞ」
「ありがとう」
ごくごく。は自分のぶんをカラにしたので、丹恒が手をつけなかった残り、同じグラスでも構わずに飲んだ。
丹恒はそのを見て、再び、思い出した事があった。
――姫の裏は、まだ表ってな。
「……裏はまだ表、か」
「ん、何それ? 裏はまだ表って、どういう意味?」
「特に意味はない、が。故郷では今の酒飲みは誰にも見せられない裏の顔として扱われてたが、俺から見れば今の酒飲みの方が表に見えてたって、それも思い出した」
「……!」
ぶわっと。は酒を飲んでいたせいか急にあふれるものがあって、それを隠すよう、丹恒に抱き着いた。
そして。
「好き、一番好き! 宇宙でもどこでも丹恒が一番、だから!」
「はいはい、それも知ってるよ。俺も宇宙でもどこでも、が一番だ」
丹恒もそのを受け入れるよう、彼女の頭を優しく撫でる。
は上機嫌で丹恒と腕を組み、言った。
「仙舟でクロムのお酒に似たお酒見付けたら、私に一番に報告してね。こうやってまた二人で飲みたいから」
「そうだな。仙舟でクロムの酒に似た酒見付けたら、に真っ先に報告するよ。その時が来たら、二人で飲もう」
は丹恒の優しい言葉を聞いて「ありがとう」と、小さな声で呟くように言った。
そして。
「私、宇宙に出るの怖かったけど、丹恒と一緒なら怖い思いしなくてすむよね……」
「」
それからすぐ、の寝息が聞こえてきた。
「、そこで寝るな。風邪引くぞ」
「うへへ……」
は丹恒の腕の中で安心したよう、眠るだけ。
「……」
丹恒は、酒で寝てしまったを見て再び思い出した事があった。
――それから何があってもそれ以上に姫に深入りしないように、とだけ、忠告を。お前は目的が果たせれば姫を気にせず、さっさと宇宙に帰った方がいい。
「……あの時はすでにそれ以上にに深入りしてたからなあ、ロイも俺にそれ言うの遅かったな。まあ、それのおかげで手元にが居るわけだが」
苦笑した後、寝ているをベッドに運んだ。
「これだけじゃまだ、起きてくるな。が途中で目覚ました時のために、まだ部屋に居るか」
丹恒は、酒で寝たはもう一度起きる確率が高いのを知っているし、その時に自分の姿が無ければ不安になるのも知っている、それだからまだ自分はの部屋に居る方がいいと判断する。
「……」
の穏やかな寝顔を見て、思う。
――私、宇宙に出るの怖かったけど、丹恒と一緒なら怖い思いしなくてすむよね……。
丹恒は、のさっきの言葉こそが、彼女の隠れた本音ではないかと思った。
「俺がを無理に宇宙に連れてきたのは間違いだったのか……」
思うのと同時に、『彼女』達の言葉も思い出した。
――あなたが無能力で無資格の人間を宇宙科学も知らない未開拓の世界から、いっときの感情だけで、この宇宙まで連れてきたのはルール違反で、罪深い事よ。
これは、いつか、カンパニーのジェイドに言われた言葉。
――よくもまあ、宇宙科学も知らない未開拓の世界から、無能力で無資格な女をこの宇宙まで連れて来たわね。彼女の境遇に同情してというのであれば、これ以上に罪な話はないわよ。
これは、いつかのヘルタの言葉だ。
確かに、宇宙科学も知らない未開拓の世界から、無資格で無能力の人間をいっときの感情と同情で、宇宙の世界へ連れ出した事は宇宙の世界ではルール違反で、罪深い事かもしれない。
それでも。
「それでも俺は、カンパニーのジェイドやヘルタに何を言われようが、を宇宙まで連れてきた事に後悔はない。俺の犯した罪は、俺が背負うだけだ。はその罪をかぶる必要は無いし、これ以上に怖い思いをしなくていい。俺は、これ以上に罪が増えたところで何ともないからな……」
丹恒は、眠るの頭を優しく撫でる。
その後。
「が起きるまで、彼女の仙舟の勉強の添削でもしておくか……」
丹恒は机につくと、今までの事を振り払うよう、が手にしていた仙舟ガイドを手に取り、その作業に取り掛かったのだった――。